第2話 目的と約束


「全人類が人類の滅亡を望んでいるものだとばかり思っていたぞ……」


 アンゴルモアは面食らったような表情をしてからうろたえている。

 そんな物騒な話があってたまるか。ダウンジャケットはこの際くれてやろう。俺は手を振り解き、肩掛けのカバンを背負い直して、不忍池のベンチから立ち上がった。

 こんな電波女に絡まれるぐらいなら、大学の図書館にでも行こう。顔見知りに話しかけられたい気分ではないから行かなかったが、今の状況も知り合いに見られたらだいぶ気まずい。近所の人が通りかからないとは言い切れないし。


「待ってくれ、台本と違う!」


 食い下がってきた。手首を右手で掴まれている。

 俺が「その台本、もらってねェし」と言い返してやると「我の脳内にあるからな!」と大きな胸を主張してきた。

 どうしよう。バカなのかもしれない。震えてきた。寒さのせいじゃあなくて。

 話の通じない相手と相対している恐ろしさっていうの?


「前世が悲しいお別れだったから、今世はそうならないようにしたい」


 今度はしょげた顔して、左手で自身の首を触りながら『前世』と言い出した。属性が盛られていく。

 早く逃げ出したい。マジで恐怖体験だよこれ。俺にはその『前世』の記憶はないしさ。他の誰かと勘違いしちゃいないか。


「我と結婚することが、タクミにとっても幸せなことだぞ!」

「は?」


 勝手に決めつけないでほしいよ。お前は俺がでかいってだけで惚れたのかもしれねェけど俺はお前のこと何も知らんし。知らんどころか好感度どんどん下がってるからさ。

 出会って三分も経っていないのにプロポーズされちゃいないか。アダムとイヴがどうのってのもプロポーズに含まれるかもな。神話に興味がなさすぎてどっちが男でどっちが女だかすぐに思い出せねェけど。

 というかなんで俺の名前知ってんの。


「言わなくともわかる。我とタクミとは浅からぬ関係。だから、してほしいんでしょ?」

「うわぁっふっ!?」


 ベンチの上に立ち上がって、その谷間に俺の頭を押し付けてくる。痴女じゃん。

 嬉しいか嬉しくないかでいうと嬉し――こんな白昼堂々とやってほしくない。通行人に警察呼ばれたら俺が怒られるやつじゃん。俺は悪くないのにさ。

 なので、よしよしと頭を撫でてくる手を掴んで「わぁかったから! 家でやろう!」と言ってしまう。

 言ってしまってから、祖母になんと言えばいいかを考える。あっち視点だと「孫が女の子を引っかけてきた」って思ってしまうだろうし。違うよ。


 こういう時に悪者扱いされるの、大体男側なのはつらいな。女さんそういうところある。


 俺はいま、祖父母の家で暮らしている。後妻さんのご実家だ。

 自身もつらいだろうに、血のつながりのない俺を引き取ってくれた後妻さんのご両親には感謝してもしきれない。

 倉庫になっていた部屋を片付けて俺の部屋にしてくれたし。


 祖父は仕事の都合で不在なことが多く、平日は祖母と二人で過ごしている。正直、と呼ぶには若すぎると思うよ。

 かといってこの俺がお父さんお母さんと呼ぶのも気まずい。

 日中はこうやって外に出て、日が暮れたら一緒に夕飯を食べて、部屋にこもっている。いつかは恩返ししないといけない相手だよ。


「タクミの家!」


 パァッと表情が明るくなる。

 コロッコロと表情が変わる様を見ているとなんだかかわいらしく思え――流されそうになった。危ねぇ。というか無理は承知だけども「その格好、なんとかならない?」と聞いてみる。

 アンゴルモアの現在の装備、水色のビキニの上に俺のダウンジャケット(オーバーサイズでぶかぶかになっている)。裸足。

 不忍池から家まで歩かせるの、そういうプレイだと通行人から思われる危険性を伴う。

 アンゴルモアは上機嫌だから俺だけが恥ずかしい思いをしそうだけどさ。


「あの表紙を見てコピーしたけども、この服は人間の普段着ではなかったな。そうだった」


 アンゴルモアは道端に落ちている雑誌を指差す。

 週刊の漫画の。よくよくみると、表紙の女の子とアンゴルモアがそっくりで、顔は瓜二つでお揃いの水色のビキニだ。

 ちょっと前にひいちゃんと見た音楽番組に出演していたアイドルの子。ご本人ではないよな。アンゴルモアが本名で芸名が朝霞鈴萄あさか……なんて読むんださんじゃあるまいし。

 一卵性双生児だったとしても、こんな不忍池で水着姿になるか? あるいは水着姿のままスタジオを飛び出すようなこと、する? しないよな普通は。


「タクミ、スマホを貸してくれ」


 持っていないのか。と思ったけども、どこにもしまう場所がないな。俺はロックを解除して、スマホを手渡す。


「何に使うの」


 出会ったばかりの女の子にスマホを貸す。

 何されるかわからなくて画面を覗き込むと「コーディネートの検索だぞ」と返された。画像検索。

 適度にスクロールして、テキトーな画像をタップする。


「これはどう?」


 オレンジ色のセーターにロングスカートとショートブーツ。

 聞かれているっぽいので「いいんじゃない?」と言ってみる。

 その水色ビキニよりは季節感も合っているし。


 アンゴルモアは自身に言い聞かせるように「今回は特別だぞ」と唱えて、姿。何度も瞬きをしてしまう。それから目をこする。俺の目がおかしくなったのか。

 さっきまでの女の子はいなくなり、俺と同い年ぐらいの女性が目の前に立っていた。


「ふんふん!」


 声は変わっていない。自慢げに鼻を鳴らしている。早着替えも早着替えだし。中の人も変わっちゃいないか。黒髪は短くなって肩につくぐらいの長さに。

 というか俺のダウンジャケットはどこいった。


「我はアンゴルモア。このぐらい容易い――が、今回だけだぞ!」


 このぐらい、が人間のなせる技ではないので「アンゴルモアって何?」と俺は訊ねる。

 聞いたことがない単語だ。

 人間ではないってこと?


「知らないのか!」


 驚かれた。知らないから聞いているんだけども。

 バカにされているようでムカつく。


「バカにしているわけではないぞ。誰しも知らないことはある」


 ベンチの上から降りる。

 俺の肩ぐらいの背丈になった。

 俺の顔を見上げながら「1999年の7の月、恐怖の大王に命ぜられた我はこの星にやってきた」と語り出す。


 1999年の7月。俺の誕生日は1999年7月20日だ。

 まあ、7の月が7月かどうかはさておき。


「我らの新たな居住先を探す。そういう任務だった。それなのに、この肉体がこの星の大気に適応できなかったので、その時は三分もしないうちに逃げ帰った」


 電波女に戻ってしまった。

 SF映画のような、または、厨二病みたいな設定が次から次へと出てくる。

 茶々を入れたいところだが、本人の顔はいたって真剣だから聞いといてやろう。


「逃げ帰る前に、我は人間の幼体を見た。転移先として設定されていた位置情報が、病院の内部だったから。――これを設定したのは恐怖の大王だから、我にその意図はわかりかねる」


 ふーん。幼体は赤ちゃんってことでいいのかな。妙な言い回しをする。


「その時に出会った幼体がこうして育っているのだぞ、タクミ」


 こうして、と俺に抱きつきながら言ってきたので、その時に出会った幼体こそが俺なんだろう。

 つまりそれぐらいの年の差ってことか。そうは見えないけど。

 見えないのはさっき姿が変わったからか。本来の姿はどうなってんの。


「我は力を封印し、となってタクミと結ばれる未来を選びたい」

「力ってのは、アイドルの女の子から今の姿になったみたいな?」


 ようやく情報が整理できてきた。

 この子は宇宙人で、俺が生まれた直後を知っていて、成長した今もう一度会いに来て、今度は結婚しようと言ってきている。――なんだそれ。


「他にも色々とできることはあるぞ! ……でも、これからは使わない。タクミを怖がらせてしまうから」


 まあ、アンゴルモアの星がどのぐらい遠くにあるのかは知らないけども、遠くの星から地球まで来られる技術力がある時点でかなり脅威ではあるよな。

 見たものへと一瞬で姿形を変えてしまうのも、いくらでも悪用できるしさ。なりすましっていうか。


「これからタクミの家で暮らして、タクミから愛してもらえるように努力していくぞ!」

「え」


 聞き間違いでなければ『暮らして』って言いましたかこの人。俺にその決定権はないが。なんて言うつもりなんだ。


「暮らせないのか?」


 目を潤ませるな。俺にその決定権はないんだよ。家主じゃあないんだからさ。


「聞いてみないとわからない」

「我の交渉術をアピールするチャンスだな!」


 張り切っているところ悪いけど、交渉術はなさそう。ふんふん! とやる気に満ちている。

 はあ……なんて言おう……。彼女じゃあないしさ。

 アンゴルモアのほうは俺と結婚する気でいるけども。俺は今のところまったく。


「一つ屋根の下で過ごす上で、ひとつだけ約束してほしい!」


 だからまだ泊まれるとは決まっていないのに。

 泊まれるというか、アンゴルモアとしてはどういうつもりなんだろうか。

 その、1999年の7の月の時は居住先探しだったっぽいけども。今回はなんだ。

 人類の滅亡? ――滅亡させる気なら、こんなところでうだうだしていないんじゃあないか?

 俺と結婚するとかなんとか言い出すのも、滅亡とは結びつかないし。何がしたいの。


「結婚するまでセックスは禁止!」


 まだ同居が確定したわけじゃあないけども追い出すか!

 前世の契りだの生まれたばっかの頃に会っただの、深い縁はあっても俺が無理。

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