One-Sided Game
秋乃晃
一冊目 Spirng to Summer
奇妙なオレンジ
第1話 謎の水着女X
小学校の頃に「自分の名前の由来を親に聞いてみよう」という宿題が出たことがある。父親からは「お前には兄と姉がいて、おれにとって三番目の子どもだからだ」と答えられた。
これが名前に〝三〟という数字が入っている正しい理由。
腹違いの兄と姉とは面識がないし、父親が事故で亡くなってしまった今となっては、半分血が繋がった兄と姉に連絡を取れたとしても「どちら様ですか」と聞かれるのがオチだ。お二人は自分の父親が事故で亡くなったことを知っているだろうか。まあ、先日の葬式に、息子を名乗る男や娘を名乗る女は現れなかった。という事実が全てを物語っているといえるのかもな。
別に俺も会いたくな――そうでもないや。可哀想な弟は困り果てています。大学院の入学手続の書類を左手に握りしめて、事故現場の不忍池を眺めている。
俺の実の母親は俺を産んでから間もなく行方をくらましてしまい、父親は写真やら映像記録やらを全て捨ててしまっていたから、俺の母親は俺の想像上にしかいない。
橙色の瞳は母親譲りらしいが、それぐらいしか手がかりがない。探そうにもヒントがなさすぎるので、探そうとは思っていない。どこかで達者でやってくれていればいいや。
腹違いの兄や母にとっての俺の父親も、そういう〝いてもいなくてもいい〟ような存在なのかもしれない。
生きていようが、亡くなっていようが関係なく、ただ目の前にある日常が過ぎていくだけ。そう考えたら、まあ、葬式に来ないのも致し方ないな。
ちなみに「自分の名前の由来を聞いてくる」宿題は「ありのままを書いてしまうと教師からあまりよく思われないのではないか」と、当時の俺なりに危惧して、調べてから「画数が良かった」という嘘の理由をでっちあげて提出した。
うまく誤魔化せていたので、他人から聞かれた時にはそう答えている。さほど機会は多くないけども。
表向きには『生まれたばかりの子どもと共に見捨てられた可哀想な夫』を演じつつ俺をこの年齢まで育ててくださった父親は、昨年どこかで引っかけてきた女性と再婚した。
一応、俺の母親なので、どこかで引っかけてきた女性と言ってしまうのはあんまりよろしくないから、後妻さんとしておこう。あの父親は二十二歳の――当時は二十一歳の俺が家にいるにも関わらず、後妻さん側にも俺の存在を明かさずに急に連れてきた。
父親とより俺とのほうが歳が近かっただけに母親という感覚は余計にない。かといって姉のような距離感で接するのは違う。どれほど年齢が近いのだとしても書類上は母親であることには間違いないわけだしさ。まあいいや。
事故は、この後妻さんと後妻さんの連れ子である
後妻さんの連れ子の
ひいちゃんは俺にすぐ懐いてくれた。なんだかんだと俺を頼ってくれて、本当にかわいくてかわいくて仕方なかった。勉強の合間によく公園へ遊びに行った。近所の人からも「実の兄妹みたいだ」ともてはやされていた。全て過去形だ。あの日々は戻ってこない。
どれだけ悔やんでも、失ったものは取り返せない。2022年に死者蘇生はできない。ゲームじゃあるまいし。この世界に魔法はない。
彼らの死後、ただ流されるままに、この2022年のニホンにおいて書かねばならぬ定型文の書類に筆を走らせた。
書かなくちゃあいけないから書いたけども、俺が書かなくていいのなら他の人間に代わってほしかったよ。腱鞘炎になりそうだった。
そんなこんなで今日に至るまでに〝
電子化、早く進まないか。なんでもかんでも紙じゃあないか。こんな紙切れ一枚で俺の価値が上下するんだな、って改めて入学手続きの書類を太陽にかざしてみる。人間が産まれたら出生届を出して、就職するにも履歴書を作らないといけなくて、結婚する時は婚姻届を書いて、離婚する時も離婚届に、――そういや、死んだ時も紙だ。ただの紙に文字が印刷されているだけだっていうのに、印刷されている文字列の内容によって人間の人生が左右されてしまうんだな。一旦しまっておこう。
水面を見つめながら考える。
人生、人生というけれど、俺の人生はとっくのとうに存在していなかったのかもしれない。
全部、他人の期待に応えるための人生だった。
他人が「こうしたほうがいい」と推奨した事柄を、完璧にこなしてしまっていただけだ。俺はただ、従っていた。最たるものが父親の存在だ。
俺はいつだって、父親をよく見せるための付属品だった。優秀でなければならなかったから優秀だったんだと思う。そうでないと、外から見えないところで詰められる。男手ひとつで頑張っている父親と、とってもよくできた息子。そうでなければならなかった。そうあることが、絶対的に正しかったから。
普通のご家庭はここまでではないらしいって、あとで知ったわけだけど。うちはうち、よそはよそ。そうだな。その通りだよ。責任の所在は他人にある。他人の言葉に従って、結果を出せてしまうだけの素質があった。俺は悪くない。
大学院への入学を躊躇っている理由のひとつとして、この進学に関しても「参宮くんは優秀だから」と教授がおっしゃったから試験を受けたまでで、俺自身に特にやりたいことがあるわけではない、というのがある。
試験を受けたら合格してしまった。ただそれだけの話だ。受ける学科は申し込む段階で大学のサイトを見て教授の顔で選んだぐらい、どこでもよかった。小論文が一番得意かもしれない。求められていることを、適当に書き連ねればいいからさ。
というか、いろんな意味で有名なんだよなこの人。俺は授業受けたことないけども。
辞退して、俺ではない他人が、この分野を極めたい人間が進むべき道ではないか。俺は、今からでも就職先を探して、働いたほうがいいのではないか。大学院に通うのも無料ではないのだから。住まわせてもらえるだけでもありがたいのに、祖父母に迷惑はかけられない。
金の問題。これも理由のひとつ。大学院は今通わなくともいい。働いて、どうしてもやりたいことが見つかったときに研究者の道へ進めばいい。
「高学歴高身長高収入! この三つが揃って優良物件らしいぞ」
隣にぬるっと女の子が座ってきて、いつかの時代の価値観を言ってくる。高学歴――学士卒が高学歴とは思わないし、高収入ではない。俺に当てはまっているのは高身長ぐらいじゃあないか? 身長だけは昔から高い。最近は計測していないから正確な数値はわからないが、最後に測った時の記録が190cmぐらいだったのは覚えている。
女の子は三月だってのに水色のビキニ姿だ。しかも裸足。俺はダウンジャケットを脱いで「抜け出してきたんなら、捜されているだろうからすぐに戻ったほうがいいよ」と肩にかけてやった。見ているだけで寒い。
どこかで見覚えのある顔だ。どこだかは正確に思い出せない。アイドルっぽいような、モデルっぽいような。
池の近くではあるが、この池は泳げない。スワンボートやカヌーは貸し出しているが、泳いで遊ぶような場所ではないから水着なのはおかしい。だから、たぶん、この辺のスタジオでグラビア撮影をしていて、嫌になって逃げ出したとかそういう……スタジオあんのか知らないけどさ。
「でかさは強さ、と思わないか? 我はでかいほうがいいぞ!」
戦艦大和の話でもしてやろうか。女の子は俺の手を包み込むように握って「我はアンゴルモア。宇宙の果てからきた」とわけのわからないことを言い出す。アンゴルモアさん。日本人の名前じゃあなさそうだけど、見た目は日本人っぽい。芸名なのかな。ストパーのかかった亜麻色の髪と、輪郭の丸い顔。どっちかっていうとアイドルっぽいか。モデルってもっと細身の子だよな。
「我と手を組み、人類を滅ぼさないか?」
わけのわからないことの次は人類滅亡ときた。しかも『手を組み』だって。俺を巻き込もうとしている。ここでもまた俺は他人の言葉についていくのか。違うな。この痴女の誘いには乗るな、と俺の第六感が囁いている。こんな真っ昼間からビキニ姿で街中にいるなんて、露出狂じゃあないか。
あの父親がいなくなった俺は、自分の意志でこれからを生きていく。
「地球上の全生命を滅し、新世界のアダムとイヴになろう」
グイッと顔を近づけてきて、蠱惑的な声で続けてくる。アンゴルモアさんは『でかいやつが好き』と言っていたけど、話のスケールがでかすぎやしないか。地球上の全生命にいなくなられるのはちょっと……俺が恨んでいた相手はつい最近死んだし……。
「滅ぼしたくはないし、そんな存在にはなりたくないな」
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