第2話

翌日——。今日はまともに眠れないまま朝を迎えた。朝ご飯も喉に通らず、空腹なのに吐き気がする。今日がもし平日なら学校に行かなかっただろう。血行が悪すぎて、洗面台の鏡に映る自分の顔がどどめ色に染め上がっていた。

待ち合わせの時間が近づくまでずっとスマホと睨めっこ。“世話焼きの妹”さんのDMを見返しては閉じ、見返しては閉じ——をひたすら繰り返す。他にもたくさんのDMが届いていたが、精神的に見ている余裕はない。

美和は昨晩から様子のおかしい私に冷たい視線を送るばかり。「大丈夫?」とか「体調悪いの?」とか「熱ない?」とか私を気遣いような言葉を掛けたり、素振りを見せない。私と美和の冷え切った姉妹関係はもはや、血のつながりのない他人同士。生憎、他人を気遣えるような善人な心をお互いお持ち合わせていない。幼少期、他の友達を置いて、二人で仲良く遊んでいた頃が懐かしい。あんなに仲の良い姉妹だったのに、いつからこんな事になったんだ? きっかけが思い出せない。

美和は両親にバイトがあると伝えて昼前に、慌ただしく玄関のドアを開ける。その数分後に私も下着をカバンに携え、玄関のドアを開けた。


「よし、まだ時間まで余裕があるな」


腕時計を見て、只今の時刻を確認。待ち合わせ時間まで少し余裕がある。××公園は家から五分も歩けば、すぐ到着する場所にある。だいたい十分前に到着すればいいので、それまでは近くのカフェのトイレで身嗜みをチェックする。

ちなみに今日はいつものダサい私服(ジャージ)よりは幾分マシなコーデ。上はシンプルなロゴが効いたTシャツに、下は可動域が制限されたタイトなジーパン——。マシなコーデではあるが、男を欲情させるような魅力はない。タイトなジーパンを選んだのはもしもの時、簡単に脱がされないようにするための防具だ。

トイレの鏡の前で再度、美和の部屋からパクってきたブランドもののベルトを締め直し、ジーパンをウエスト付近まで目一杯上げる。Tシャツはなるべく胸が目立たないように空気を入れてダボッとさせる。これで準備完了だ。

私はカフェを出て、目と鼻の先にある公園に向かう。


■■■


晴天ということもあり、公園にはたくさんの子どもが遊んでいた。幸いなことに敷地面積が広いため、変に目立たないはず。でも、子どもたちの笑顔を背景に自分の下着を売るなんて気が引けちゃう。なんとなく罪悪感を感じてしまう。

公園にはまだあの人はいない。私はバツが悪そうに屋根付きのベンチに腰を掛ける。待ち合わせ場所に来ると恐怖と緊張が増し、足の震えが止まらない。全身から噴き出る玉の汗がTシャツやジーパンにじわじわと滲んでいく。カバンをベンチに下ろし、所在なさげにチャックを半分開けたり、閉じたりを繰り返す。傍から見れば充分、不審者だ。


「あっ」


ツイッターを開くと、世話焼きの妹さんからDMが届いていた。


『今、公園に着きました。屋根付きのベンチにいます』


背後から誰かの足音が迫る。私は恐る恐るスマホの画面から足音がする方向へ視線を移す。


「——え?」


どうせ汚くて気持ち悪いオジサンなんだろう——。しかし後ろを振り向いた瞬間、勝手に決めつけていたイメージが一気に崩れ去る。


「こんにちは、みーさん。直接では初めてだね」

「いや、え、あ、はい……?」


私が挙動不審になるのも無理はない。だって目の前にいる人物が女性でしかも、妹の美和だったからだ——。


■■■


「み、みわが、世話焼きの妹さん⁉」

「はい。そうですが、何か問題でも?」

「いやいや、問題アリアリなんだけど」


世話焼きの妹さんの正体が予想外過ぎて、頭が真っ白になる。言いたいことが山ほどあるのに衝撃のあまり言葉が出ない。

一方、美和はいつもの無愛想な表情で、やけに落ち着いていた。まるで“みー@”の正体に最初から気付いていたような様子だ。


「会ってすぐにあれだけど早く例の下着、こっちに渡して貰える?」

「あ、えっ⁉」

「えっ、じゃなくて早く」


手を差し出し、厚かましく催促する。私は差し出しされた手を見詰めたまま呆然とする。


「値段はいくらがいい? フリマで買う値段より高い方がいいよね」

「別に値段なんかどうでも——」

「あ、こんな所にお目当て見っけ」


美和は乱雑に万札十枚を私の手に握らせ、リュックのチャックの隙間から見えていた下着を手に取る。


「あれ、今回黄色いシミ付いてないじゃん。あと、全然匂いもないし。これ、ちゃんと履いたヤツ?」

「み、みわ……?」

「詐欺とかないわー。今日は直接手渡ししてもらえたから許すけど、フリマだったらすぐ返品ものよ」

「美和‼」


美和は手に取った下着を淡々と酷評する。袋から取り出し、両手でパンツを広げて何度も匂いを嗅ぐ。

私はどうしたらいいか分からず、美和の名前を叫んだ。


「びっくりした~。なによ、急に。大きな声出して」

「み、美和があの”世話焼きの妹”さんなんだよね?」

「さっきからそうだって言ってるでしょ。二回も同じ質問しないで」

「そ、そりゃあ、二回も同じ質問するでしょ!? まだ信じられないんだもん」


私のパンツを妹の美和が買い取るなんて誰が予想できるか。百歩譲って仲の良い姉妹ならまだしも私たちはお互い避けるほど仲が悪いはず。特に美和に関して私への嫌悪を全面に出していたじゃないか。なのに、どうして私の下着をいつも買い占めるんだ——?

私が地べたに座り込み頭を抱えている中、美和は依然として私のパンツとブラを死んだ目で凝視する。


「なんか意味分かんないし、もう家に帰っていいかな? 部屋で状況を整理したい。あと、気まずくて恥ずかしい」

「——」

「失礼します」


美和は私の声が聞こえていないのか、完全無視。私は帰ってオーケーと勝手に判断して、逃げるようにこの場から立ち去ろうとした。しかし——、


「待って」


美和が逃げようとした私の右手を掴んだ。反射的に振り解こうとしたが、美和の握力に負けた。


「まだ、終わってない」

「イタッ⁉」


美和はそのまま私の手を引っ張り、近くにあった公衆便所に連れ込む。


「ちょっ、痛いから離して‼」

「うっさい」

「きゃっ⁉」


公衆便所に連れ込まれた私は美和に背中を押され、無理やり個室トイレにぶち込まれる。何故か美和も一緒に入ってきて、個室の扉を閉めた。


「二人でトイレっておかしくない? なにする気?」

「履いて」

「は?」

「このパンツ、ここで履け」


美和は先ほど買い取ったパンツをこちらに投げつける。


「履けってどういうこと?」

「アンタ、日本語分かんないの? 履けっていう意味はこういうことだよ‼」


美和は乱暴に私が着ているTシャツを引っ張り、ジーパンを脱がそうとする。私は取り敢えず、脱がされないように背中を丸める。


「美和、ヤメテ。何がしたいの⁉」

「抵抗すんな。早く履け‼」

「美和‼」


二人の緊迫した怒声が無人のトイレに響く。運動部で力が圧倒的に強い美和は便器の蓋の上に私を押し倒す。私は必死に背中を丸めて防御に徹したが虚しく、両手首を掴まれて動きを止められた。


「こっちはいつもアンタの下着を買ってあげてる太客だ。大人しく指示に従えよ‼」


美和は覆い被さるように私の体を押さえつける。今の私たちの構図は紛れもないレ○プだ。ここに通行人がいれば、通報されてもおかしくないレベル。


「「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」」


お互い呼吸が乱れ、肩で息をする。美和の手が止まり、束の間の静寂が訪れる。


「美和、顔が怖い……」


血走った瞳、歯を食いしばる口角、ピクピクと痙攣する眉毛、頬を伝う脂汗——。乱れた前髪から見える美和の表情は冷静さを欠いていた。理性的な彼女にしては珍しく全面に感情を露にする。これは決して欲情した猿のように理性が暴走しているわけではない。憤りや悲しみ、悔しさが滲み出る。

ただならぬ感情が伝わってきた私は怖くなり、自然と涙が零れる。


「泣くなよ、バカ……」


私の表情を見て正気を取り戻した美和は目尻に溜めた涙を手で拭いてくれた。そして、私から距離を取り、個室の扉を開ける。


「襲われる覚悟がないくせに、売り子なんかやんな」


そう捨て台詞を残して私の前から立ち去る。去り際に見せた横顔が妙に寂しそうだったのが少し気になる。









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