第2話

   ✳︎

「ジャズバー『停車場』ってあるだろ。ジャズの生ライブやってる」と、吉村氏。例によってスナック「奈美」での夜。氏はハイボールをやっている。スナックのママは、お任せのおつまみを作っている。俺と吉村氏が「いちいち注文するのが面倒くさい」「そうだな」と言ったところからら、常連の俺達には適当につまみを準備してくれるようになった。

「朝霞台駅からおりてすぐにある古びたビルに入ってるやつでしょ。バス停の時刻表みたいな案内板がたってますよね」俺はお通しのナッツをつまみ、ジム・ビームのロックをやりながら答える。「ジャズとかなんか朝霞みたいな埼玉の地方都市にはあわないような。横浜みたいな街のイメージかな、ジャズのライブなんて」

 朝霞市にはロードサイドっぽい回転ずし、ファミレス、家電量販店、チェーンのコーヒー店みたいなのが似合う、と勝手に個人的には思っている。「停車場」の入る古びたビルにはレトロな純喫茶が入っており、一度行ったことがある。実にいい雰囲気の店だった。用件がスマホのバッテリーの交換だったことが残念。調べたらその喫茶店でバッテリーの交換もやっているとのことで、依頼したことがあるのだ。少しの時間しか立ち寄ってないが、いい雰囲気の風格のある店で、朝霞の地にはそぐわないかもしれない。ごめん朝霞。


「そうでもないぞ。実は朝霞は日本のジャズ普及の地と呼ばれていたんだ。朝霞市の栄町には現存する店としては日本初となる『ジャズ喫茶海』がある」吉村氏はカシューナッツを口に放り込んで言った。

「それは意外過ぎる、嘘でしょう」俺は飲む手が止まった。

「朝霞には戦後、米軍占領下の時代米軍基地キャンプ・ドレイクがあったからなんだが……。朝霞市にあった米軍基地返還後は、横浜のアメリカ海軍住宅跡地という設定で、あぶない刑事シリーズのロケで結講使われていたんだな。戦後の朝霞には横浜の雰囲気があったんだよ。基地の名残として。それどころか戦後アメリカ統治下においては朝霞は『日本の上海』と言われていたんだぞ」

「上海というと進んだおしゃれなイメージがあるな。埼玉と上海はどうもあまり、マッチしないような。ジム・ビームおかわり」

「いや、かつての上海は魔都と呼ばれたように犯罪と欲望が渦巻く混沌とした都市だったんだ。朝鮮戦争の時の時、朝霞のキャンプ・ドレイクには休暇に返ってきたアメリカ兵がたくさんいた。戦争は兵士の心を病ませてしまう。それが暴力沙汰や、売春の横行などに反映してして、基地周辺の町の治安が悪化した。半面、米兵相手のジャズバー、ビヤホール、キャバレーなどで朝霞は栄えたんだ。そこから埼玉の上海。そういわれたんだとおもう。上海には不平等条約により、20カ国以上の人間が治外法権を持つ外国人居留地があった。それが魔都と呼ばれるような不法が横行することにつながった。戦争、そして異文化が交流するところには混沌がうまれるのさ。ママ、俺もハイボールおかわり」

「20年住んだ俺には何もないように見えていたが、朝霞にもそんな重い歴史があったんだな。平凡なベッドタウンかと思っていたが、かつては光と影のコントラストの強い街だったんだ」アルコールで煮しまりはじめた俺の脳は、吉村氏の濃い話を受け止めきれなくなり、わかったようなわからぬようなセリフをつぶやいた。でも俺はジム・ビームさらにおかわりするんだな。


 そして今日のおつまみのまず第1弾。ここでは乾きものだけでなく、ちょっとした一品をだしてくれる。きようは「白子のバターソテー」か。ふむ、ウイスキーにもあうが、ここは日本酒にチェンジするか……。

「朝霞も沖縄と同じ基地問題を抱えていた街だったんだよ。まだ一部、日本に返還されてない地域さえある」

 吉村氏は俺より少し年齢は上だから60はとうに過ぎているはず。それでもしらけ世代。米軍占領下の時代なんか知る由もないだろう。

「実は、俺の父親はアメリカ統治下の時代米軍基地で働いていたんだ。親父の話をよく聞いてたよ」

 と、吉村氏の父親の話を聞くうちに俺の脳が生き絶えてきたような気がする。それはそうと美味いなこの白子。「これふぐのじゃないよね」「そんな高いの出せないわ、マダラよ」と、ママ。そして暗転。

 

 次の日、また俺は後悔と自己嫌悪。吉村氏の話はもっと続いていて興味深かったかもしれないのに、後半ぶっとんでいる。なんか吉村氏に失礼なことはしていなかっただろうか。心配になった。氏にショートメールを送ってみる。返事。「トラブルなんて何もなくずっと話をして、普通に帰ったぞ」とのこと。今月は何回酒で記憶をなくした。今に始まったことではないが。


 酒の場ではトラブルがつきものだ。俺は経験的にそれを避けるための作法を作っている。世間でも言われていることだが、酒の場では、宗教、政治イデオロギー、野球の話はしないことだ。一度、「奈美」で、吉村氏と仏教の話をしていたら、居合わせた見知らぬ客が「親鸞聖人が」と割り込んできたことがあった。酒の場では知らない客と話すのも面白く酒場での醍醐味だ。しかしその時は一向一揆にまで話題がさかのぼり、博識の吉村氏が応戦。俺は置いてきぼりを食い、ママも話を仕切れず、一晩中浄土真宗の論戦が交わされたことがあり閉口したことがあった。そんなこともあり俺はマイルールを作ったのだ。

 

 俺はかつて休肝日を作っていた。

 もう3年前になるのか。

 2019年12月、中国武漢市で原因不明の肺炎の集団感染が発生した頃。その時も酒で記憶を無くしてばかりだと不安になっていた。少し調べると記憶を無くすのはアルコール依存症の症状でもあるとのこと。

 アルコール依存症専門の病院はあるようだが、依存症の場合、断酒が必要になるとのことで俺は気後れし、休肝日外来のような都合の良いものはないかと調べ始めた。朝霞台・北朝霞駅が近接する付近にもいくつか心療内科があった。土曜やってるようなので行ってみようと考えた。


 そして土曜日。駅前に向かうが、依存症と言われるのが不安でクリニックのビルまで足を踏み出せない。駅前をうろうろする。「もう11時か」ふと、ちょい飲みを売りにしているチェーン店の中華屋が目に入る。「一杯ひっかけてその勢いでクリニックに出張るか」

 今にして思うと異常な思考だ。酒で悩んでいるのに酒を飲んで医療機関に向かうなんて。しかしその時の俺は不安をなくすため、その店でホッピーセットを頼んだ。頭がハッピーセットになっていたんだと思う。ホッピー自体はノンアルコール飲料だが、焼酎をそれで割って飲むもの。庶民が高額なビールになかなか手を出せないところから開発されたようだ。ホッピー一本で焼酎をおかわりしながら3回くらいで割って飲むのが基本で、おかわりの焼酎のことをナカという。俺はナカを5回重ねて頼んてすっかりできあがった。できあがったといったが、酒を飲んでできあがるとはどんな状態なんだろう。ともかく俺は酒で勢いをつけ、心療内科に突進した。馬鹿だね。その心療内科は、駅前の居酒屋やクリニックが入るビルの上階にあった。俺はエレベーターに飛び乗りドアが開くのを待った。開いた。真っ赤な顔をしていたであろう俺は中に入ろうとすると……。なんだこの待合室の人数は。怖くなるほど人がたくさんいた。窓口で言われたのは「予約で当分一杯です」


 俺はとぼとぼと帰りについた。

 団地に帰り、ネットのアルコール依存症スクリーニングテストを試してみる。結果は「依存症の恐れがあるので医療機関に相談しろ」とのこと。まあこういうネットのテストだと大袈裟に結果を出すものだろう。

 これまで試しに酒なしで寝たことがあり、その時は寝付けなくて、朝方うとうとしてスマホの目覚まし音で起き、睡眠不足となった。そんなことで休肝日には睡眠薬が必要だと感じていた。睡眠薬は医師の処方箋が無くては手に入らない。


 ネット検索でようやく予約できる医療機関を探し当てた。もうアルコール依存症に対処できるか関係なく睡眠薬を処方してくれるところならどこでもよかった。練馬区の職場近くにあるようだ。最近開業したばかりで、患者の数が少ないみたいで、電話して即、予約が取れた。なんだかごきげんな名前のクリニックだった。


 2020年1月16日、日本で初の新型コロナの感染者確認のニュース。この時は、後々歴史の教科書に残るような大ごとになるとは俺は思ってなかった。


 同年1月25日より、練馬区にある、ごきげんな名前の心療内科のクリニックに、休肝日の相談ということで通いだした。そこのクリニックは一応アルコール依存症にも対処しているとのことで、スクリーニングテストを行ってくれた。結果「依存症ではないが、一歩手前ですね」と先生にいわれる。

「酒がないと不眠になるので、休肝日のために睡眠薬が欲しいんですが、薬の害、例えば依存などは出ませんか」と聞いてみると「確かに睡眠薬は依存性がありますが、アルコールの害に比べたら薬の害なんて少ないですよ。アルコールを控えるのに薬を使った方がいいですよ」とのこと。

 先生と相談し週に2回の休肝日を設定。それをもとに、睡眠薬を処方してもらった。

 

 酒を飲むと記憶がくなり、あっという間に時間が経つ。反面、休肝日は夜が長い。酒を飲まないと長い夜を持て余す。所在ない。ただ、本を読むのは捗る。酒を飲みながらだと内容を忘れていることが多い。

 同じマンガを繰り返し読めるのでコスパがいい……のか。飲酒の時間は行き過ぎると人生から消えて、時間をすり潰してしまう。

 休肝日の長い夜を有効に活用する策を考える。本を読むのは好きなので無論本も読むが、休肝日ならではの特別感があるもの。


 その時は、俺は色々考えてウクレレを始めることにしたんだった。

「自分、テクノとかプログレとかが好きだったんじゃないの。何でウクレレなの」と、明美が疑問を呈する。ギターやシンセサイザーはハードルが高いとも言えず「俺は牧伸二のファンだ」といい、アマゾンでウクレレと教本のセットを購入。

「やんなっちやった節」をマスターするのが当面の目標だった。しかしこれ、歌詞というかネタが1500以上あるんだな……。


 同年2月5日、集団感染を起こしたクルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」で14日間の隔離措置が始まった。

 このころ、スーパーやドラッグストアなどからトイレットペーパーがなくなり始めた。買いだめが始まったのだ。日本人はなぜか事あるごとにトイレットペーパーを買いだめする性質があるようだ。今回はデマがきっかけとなって日本中で始まり、あっという間に店頭からトイレットペーパーが消えた。さらにメディアが店頭での品切れを報道したことにより集団パニック状況が起きたと聞く。オイルショックの時買いだめしたトイレットペーパーのストックが残っていて助かったというツイートを見た。おれが小学生の頃のトイレットペーパーか。


 2020年2月29日、ごきげんな名のクリニック再訪。診察後、医師に「クリニック近辺でトイレットぺーパーを売っているところないですかね」と聞いてみる。俺の住まい周辺のあらゆる店頭からトイレットペーパーが消えていたからだ。クリニックの最寄り駅である高野台駅周辺を探すがどこにも無かった。

 明美にはいつも不織布のマスクの面裏の間違いを指摘されていたが、間違えずに装着できるようになった頃、俺はウクレレのコードをいくつかおぼえて弾き語りができるようになっていった。3つ4つコードを覚えれば結構弾ける曲ってあるんだな。明美は休肝日毎に嫌な顔もせず聴いてくれたものだ。


 2020年4月7日から5月6日まで埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県及び福岡県の区域において新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言発出。この時「ほっしゅつ」ってことば、はじめて聞いた。スマホの仮名漢字変換でも変換できない。


 4月 16 日、急事態宣言は全都道府県とされた。この頃には俺はイルカの「なごり雪」の弾き語りをマスターした。

 ウクレレでコードを押さえられるようになって気がついたが、「なごり雪」とビートルズの「レットイットビー」ってほぼ同じコード進行なんだな。印象はまるで違うが。ここら辺が音楽というものの妙味なのかな。

 当時はトイレットペーパーがない、マスクがない、消毒液がない、という小市民的危機に陥る時はあった。が、日常的には休肝日にウクレレを弾き淡々と過ごした。しかし未来から振り返れば、これは感染症、パンデミックとして人類史に残る出来事なんだろうな。渦中の人間にとってはそれほどの実感はない。が、志村けん氏が亡くなった時は驚いた。


 宣言のため外で飲むことも無くなった。

 東京で都知事がロックダウンするなんてデマも飛び交った。おれは会社の人間から聞いた。「都庁関連の知り合いから聞いたんで間違いない」と言ってたが人騒がせな。今の日本の法律ではそんな人権制限はできないだろう。強権的な国家では人権を制限するような方策を実施しているところもある。日本では日本人の多くが持つ性格がパンデミック対策に生きたようだ。ロックダウンもせずに、2022年6月段階で新型コロナ致死率の低さで日本はOECD首位となった。国民の大半がマスクをしてワクチンを打つ。周りへの同調。日本人は社会的な圧力によく従う。


 緊急事態宣言で県を跨ぐ移動に自粛を求められクリニックへの通院も断念。これは酒飲みの言い訳だな。時差ではあるが出勤はしているし。そんなことで休肝日はなし崩しにやめてしまい、毎日酒を飲むようになった。「やんなっちゃった節」をマスターしたこともあり、その達成感で休肝日の友であったウクレレも手に取ることがなくなつた。


 これが前回の休肝日の顛末である。

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