第7話 過去への自問と新たな決意

 翌朝、それはもう早朝の早朝。午前4時、日の出時に叩き起こされた。


「――――おきろぉ!!」

「……ウ”ッ、!」


 掛布団の柔らかさを貫通した打撃がみぞおちにクリーンヒットして、まだ見ていたかった夢にサヨナラをした。うぅ……気持ち悪い。

 

「ぁ、んですか……」

「おきろぉ! 常盤中尉ときわちゅういが待ってるッ!」

「んぇッ……!?」


 いつの日か(昨日)と同じように布団を剥ぎ取られ、まだ薄暗い外を見せるかのようにカーテンを勢いよく開けられた。


 朝日の光もまだ届かないような早くに、自分は叩き起こされた人物に着替えて準備するように命じられた。


「えっと、……あの、あなたは!」

「無駄口叩く暇あるならさっさと着替えて!」

「は、はいっ!」


 この人、ん? この娘、かな?


 とにかく成人しているようには見えない。なんなら自分よりも年齢が低く見える少女が持ってきたボストンバッグに入っている運動着を素早く身に付けると、早速病室から少女は飛び出していった。


 慌てて病室のドアから廊下を覗き込むようにすると怒られた。


「なぁにもたもたしてるの! さっさと着いてきなさいよ!」

「え! あのどこに!?」

「院内で大声を出さないっ」

「「すみませんでした!」」


 ナースステーションにいた看護師さんに注意されたので二人で頭を下げて謝り、指示通りボストンバッグの持ち手に腕を突っ込んで、リュックサックのように背負うと何とも足の速い少女を追いかけた。


「あの、誰ですか!」

「あんたが無事に着いてこれたら教えてあげる!」


 少女は階段をダッシュで駆け下りていく。速すぎる。足がこんがらがってしまいそうになるのを必死に踏ん張って背中を追いかけた。


 病院の外へと出ると少女は駐輪場へと走っていった。自分は正直5階から猛ダッシュで降りてきたことが原因で息切れしていたので、そこで足を止めてしまう。


 まだ体は全快じゃない。


 たった数日動かなかっただけでこんなにも疲れてしまうのかと、体力の衰えに驚かされる。


「おいっ、なに止まってんのっ! 走れバカ野郎!」

「えっ、ちょっと!」


 なんと少女はバイクにまたがり、そのエンジンを吹かすとこっちに突っ込んできた。ぶつかるギリギリで避けると、地面に転がる。


 痛った。掌を擦ってしまった。


 バイクは病院の壁に当たりそうになる直前に急回転して衝突を避けていた。


「軟弱者に怠けてる暇なんかあるかぁ! いいから動いて走って着いてきなさいよ!」

「は、はぁ!?」


 バイクを全速力で飛ばす少女の光景と言ったら、まだ夢でも見ているのかとでも勘違いしそうになるが、でも確かに切ってしまった掌の感覚は本物だった。


 というか、バイク吹かし過ぎて近所迷惑でしょ……。





「遅い遅い遅いッ!」

「そっちは、バイクにっ、乗ってるから……っ」


 二時間は走っているだろうか。朝日が顔を出し、新たな一日が始まることを告げている。もう大声出す元気もなかった。


 既に息が切れてるのにも拘らず、未だ全速力で走っている。走っていれば、背負ったボストンバッグの抵抗を大きく受けてバランスを崩しそうになる。


 そうでなくとも空気抵抗が強いため、思い通りに前へと進めなかった。


 どれだけ走ろうが一向に目的地に着く気配もなければ、バイクからはどんどん離されていく。さっきだって先を行き過ぎたバイクが怒声を浴びせるためだけに一度戻ってきたほどだ。


 人間の運動能力なんかたかが知れてる。

 所詮機械には勝てない。


「そんなことばっかり思ってるからあんたは弱いんでしょ!」


 酸欠の脳みそで考えていた思考が読まれたかのように、再び戻ってきたバイクに乗る少女は怒鳴る。


「そんなんで常盤中尉のタッグが務まる訳がない!」


 少女の言う通りだった。


 ついこの間までただの訓練隊員で大して優秀でもない自分が、中尉のパートナーになれるのかという不安で、ベッドの中での安眠は見事に阻害された。


「あんたなんかに命を預ける常盤中尉の身にもなりなさいよ!」


 自分だってこのまま戦場に投下されて生き残れる自信がない。不安でいっぱいだ。


 そしてそんな奴をタッグに迎える常盤上官だって、不安でたまらないんだろう。


「あんたに何ができるの!」


 目元に熱い水が滴った。


 学校に【ゲート】が開いた日。養成学校に通っている自分は、少なくとも一般市民よりは何かが出来ると思っていた。

 討伐に、少しでも貢献できると。


 しかしそれはただの過信でしかなかったと思い知らされた。無茶な応戦を戦犯扱いされ、実際に学校は退学処分。


 何も出来ないって気付かされた。


 今まで何にも執着しなかった自分が初めて、悔しかったと感じた。


 どうして【将軍ジェネラル】を倒したのが自分ではなく、どうしてあの瓦礫の上で悠々と立っているのが自分ではないのかと。


 命を懸けて挑んだ戦いを、どうして否定するんだ、と。


 【将軍ジェネラル】を討伐した上官に、というよりかはそれまでまじめに現実を見てこなかった自分に腹が立った。


「泣くぐらいなら辞めなさいよ!」


 バイクの轟音と共に聞こえてきた怒声に、的確な指摘は心を抉る。


 役に立たないのならいらない。

 

 そう暗に、いや堂々と怒鳴ってくる。しかし今度こそは黙ってはいられず吠えた。


 これは泣いてるんじゃない、汗だ。そう思え。


「――――や、めません!」

「あんたなんかお呼びじゃないの!」

「辞めるわけにはっ、いかないんです……!」


 そう、辞められない。


 今ここで諦めてしまえばもう、自分に残る選択肢は消えてしまう。何も残らなくなった自分は、普通の人生をなぞって似せるだけの空っぽの生活が始まってしまう。


 ただ経歴に傷がついた落ちこぼれの人生を歩んでいくだけになってしまう。それはいやだ。


「誰もあんたを必要としてない!」

「少なくとも上官は! 常盤上官はそうじゃないッ!!」

「自意識過剰ッ!」

「っ……、」


 そう言われてしまえば何も言い返すことは出来ない。悔しさに視界が歪む。無意識に口元に力が入っていたのか、口の中は血の味で広がっていた。


「言い返さないってことは理解してるんでしょ!」

「――――うるっ、さいなッ!」


 そこではじけた。少し先で並走する少女は少しだけ目を見張ったように見えた。バイクは相変わらず音を響かせ、しかしそれに負けじと声を張る。


「あなっ、たに、どうこうッ言われようが! 期待には応えなくちゃいけない!」


 水分補給もしていないからカラカラな声で叫ぶ。唇が切れて仕方がない。


「常盤上官にっ、恩を! 返さなきゃいけない!」


 死にそうになったところを救ってくれた。知らぬ間にか行き場を失っていた自分を拾ってくれたんだ。常盤上官に、拾ってもらったんだ。


 ならばせめて、何かに貢献しなければ、申し訳が立たない。じゃないと私は自分を許せない。


 やがてスピードを落としていくバイクは、ようやく目的地に着いたことを教えた。それに合わせて徐々に足の回転を落としていく。


 もうフラフラだ。走らなくなった後、立っていられるかも怪しい。

 

「きっと、常盤上官のように、強くはなれない。それは分かってるっ」


 息が気管を鋭く刺して、痛みは全身にずしんと響くように広がる。


「……っ、だったらせめて、上官をサポート出来るくらいにならなくちゃいけない……っ」


 少女はまたがっていたバイクから降りて、自分の目の前に堂々と立った。自分は膝に手をついて肩で大きく呼吸しながら、話すことが苦しくも伝えなければならないことを少女に吐き出す。


「そのためにっ、頑張らなくちゃ、いけないんです……」


 突然止まったからか、朝の涼しい空気を掻っ切らなくなった体は熱を溜めこみ、汗を噴き出した。しょっぱい汗が唇を添って落ちていく。


 顔を見上げて少女を睨む。


「あなたに、何を言われたって、それだけは譲れません……っ」


 辞めさせたいなら、やってみろ。自分は死んでも喰らいつくぞ。


「……ふんっ、新人が生意気言わないの。ただのランニングだけで死にそうな顔してるくせに」

「はぁ、はぁっ。……っ、はぁッ」


 どれだけ新鮮な空気を吸い込もうと、話し過ぎたのか、目の前がくらくらする。朦朧とする意識を手放さないと気張る。それでもよろけてしまった体は、しかし地面に着くことなく支えられた。


 前に倒れそうになった自分の身体を、少女が腕で支えてくれていた。


「生半可な隊員なんぞうちにはいらないの。養成学校から出てきたばっかの雛鳥なんかは特にね。だからこそ試したのよ。あんたを」

「……っ自分は、ひな鳥、じゃ、ない…です」

「そうね。まだ孵化も出来てない卵ってところ」


 さらに退化した。


「あんたを認めたわけじゃない。歓迎もしない。せいぜいこの《月章組アルテミス》の魔境で無事生き残れることを願いなよ」

「は……?」

「言葉遣いがなってないッ!」


 拳骨が降ってきた。現役隊員は全員暴力を振るう感じなのか?


 危うく舌を噛みそうになって、じんじん痛む脳天はきっとたんこぶでも出来るだろうと脳死状態で考える。


「あたしはわたり 千歳ちとせ。階級は准尉。あたしと話すときは敬語」

「は、はい…了解しまし、た?」

「なんでちょっと疑問形なの」


 さっさと一人で立てと脅されたので、脚に力を入れてどうにか体勢を直した。向かい合えばやっぱり自分よりも背が低くて、とても准尉には見えない。と、そんな時。


「やっと来たか。立浪」


 常盤上官が建物の中から出てきた。そうか、ここが《月章組アルテミス》の……。出てきた上官に敬礼する亘准尉を見習い、自分も敬礼した。


「休め」


 常盤上官の声で自分たちは左足を肩幅に開き、軽く握った両手を腰の後ろに落とした。

 隣に立つ亘准尉と違って、私の肩は今も激しく上下に動いている。


「早速亘の訓練に指示した訓練、どうだった」

「え、っと、……暴言が、きつかったです」

「ふんっ!」

「ぐふッツ?!」


 脇を肘で思いっきり突かれてよろけるどころか地面と抱き合うことになった。


「そうか。亘の訓練一回だけできつかったか」

「っ、はい……」

「それは……そうだな、訓練内容を組み直さなければいけないな。取りあえず今日は通常の訓練予定をこなしてもらうから覚悟するように」

「ありがとうござっ……わっ!」


 立ち上がろうとすると常盤上官が手を差し伸べてくれたので、その手を掴むと物凄い力で引き揚げられた。


「よし。では、亘。次の訓練に移ってくれ」

「了解しました」


 自分の服に付いた土を軽く払ってくれると亘准尉に指示を出した。亘准尉にアイコンタクトをした常盤上官が今度は自分の目の前に立つ。


「それから、立浪。この程度でへばってもらっては困る」

 

 鋭く放たれた言葉に、やはり未熟だと訴えられた。


「多少は君の体調も考慮するが、しかしそれでも君には“きつい”らしいからな。貧弱な身体は一から作り直してもらうこととなるが、頑張れるか」

「はいっ!」


 亘准尉は見たことがないものを見るかのような目で自分たちの会話を横で聞いていた。そして自分の返事を聞いた常盤上官が再び建物の中へと消えていくのを見送ると、亘准尉は呟いた。


「……常盤中尉に甘えちゃダメだからね」

「え?」

「というか何で常盤中尉はこんな小娘に構うのよ!」


 癇癪を起こすようにその場で地団駄を踏む亘准尉を見て、少し引いた。というかこの人准尉なのにこんな子供っぽく起こるなんて、しかも自分の事を小娘呼ばわり。一体何歳なんだ?


「あの、亘准尉」

「なにっ!!」

「いえっ、何でもありません!」


 それはもうライオンにでもキッ!!っと睨まれたかのような勢いだったので、全速力ダッシュのランニングで精神が削られた今、亘准尉に年齢を聞くなどの立ち向かう勇気はなかった。


「もう、いいから次行くよ!」

「了解です!」


 少し休憩を挟みたいとも思ったが、今の自分にはそんな余裕がないのだと改めて感じた。さっき常盤上官が言っていたように、まだ“この程度”なんだ。


 三か月後には嫌でも【ゲート】が開いている戦場で、一人でもフロウズを対処できるようにならなければいけない。


 その時に守ってくれる人なんていない。常盤上官もすぐに死んでしまうような新人を望んでいるわけじゃない。


 生き残る隊員を育てる、その為の訓練なんだ。


 常盤上官と肩を並べて戦うには、もう休んでいる時間はない。


 気合を入れるために両頬をパチンッ!と叩いた。その音に驚いたのか先に歩きだしていた亘准尉が振り返ってこっちを見た。


「何の音?!」

「すみません! 気合入れ直してました!」


 自前の武器を取り出した亘准尉に慌てて弁明する。


「驚かさないでよ! ……ま、せいぜい置いてかれないように全力で取り組みなさいよ」

「了解っ」


 建物に付いている時計を見ると7時を短針が指していた。そうするとおよそ三時間走っていた計算になる。


 養成学校でもこんなに走らされたことはなかっ……いや、あった。一日マラソンがあった。あれは地獄だったな。もう最後の方は足を引きづりながら終わった記憶がある。


 それでも今回は最初から最後まで全力だったから、一日マラソンよりもきつかったかも。


 何度も外周を走っていたし体力には自信がある方だと思っていたが、こんなに息が切れるまで何キロ走らされたんだろう。


「なにをぼさっとしてるの!」

「すいませんっ!」


 いつの間にか数十メートル先を行った亘准尉に怒鳴られる。


 これは、今日一日だけでもかなりの体力持ってかれるな。


 亘准尉の一歩後ろをへとへとになりながらも着いていく中で感じた、今日一日を終えた時の様子を先取りした感想だった。


 ふらつく足元を眺めていると亘准尉から声がかかった。


「そういえばあんたさっき、“恩を返さなきゃ”とか“期待に応えなきゃ”とか言ってたよね」

「確かに、言いましたが……。それがどうかしたんでしょうか」

「そう言ってるうちは、強くなれないよ。少なくとも進んで何かを望まない限りは」


 ヒヤッと首元が涼しくなる感覚が襲う。真理を教えられたような気がして足が止まった。


 そうなのかもしれない……。


 なんて納得してしまった自分は、やはりどこか気が付いていたんだと思う。不純な動機?ではないとはいえ、同じく隊員を目指していた周りのクラスメートに比べると、あまりにも弱すぎる理由だったからだ。


 数舜迷いが生じた。


 しかしすぐにそれを打ち砕く。


 恩を返す。期待に応える。今はその理由で心を保てばいい。原動力にして動けばいい。自分でも言った通り、はじめっから強くなろうとはしていない。


 生き残れるだけの、そして常盤上官を少しでもサポート出来る力をまずは身に付けるんだ。


 大した戦力にもならない自分がこの世界で残っていくには、何があろうとどれだけ醜かろうとしがみつかなければいけない。そうでなければ命を刈り取られておしまいだ。


 残るためのしがみつく理由を失っては、意味がない。だから最初から多くは望まない。行き過ぎた夢は、これまで何も持たなかった自分には重すぎる。


 まずは目の前のことを目標に頑張るんだ。一歩一歩慎重に、しかし確実に。


 建物に刻まれた《月章組アルテミス》の紋章を見上げて、今まで暮らしていた世界から本当に遠い所まで来ていまったと、そう思った。


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