第2話 恋の密約


 あれは密約とは違うんだ。


 窓硝子に私の鈍い黒い影が映り、遠方の山裾が震動する闇を悼んだ花影へと染まっていく。


 


 おそらくは多くを知りもしない、しかし、普遍性を兼ね備えた街並みの色彩が百花繚乱に乱れ打ちながら染まっていく。


 盛暑が和らいだ、夜行バスの中にごった返すような人いきれが立ち込め、そのムッとするような余熱は長年、多数の名も無き人々が持ち合わせる、期待と諦念という、相対する感情を星の船のように乗せた歳月の証の匂いだった。


 下唇にはまだティーカップの縁に熱度が残っているように甘ったるい泥濘を感じた。


 初めての味な筈なのにどこかしら、卑屈さを纏いながら妙に懐かしかった。


 乳房にも誰かに強く、完熟した大きな桃を撫でたような記憶の勲章として残っている。


 


 体内の至る所に血流が巡り、かすかに吐いた息も風花のように意地らしく、恋慕のテラス席に舞い込む。」 



 そのテラス席を臨む心の部屋の片隅で拒んでしまう私もいたけれど、これを心待ちにして、やっと願いが叶ったんだ、という甘美な結果に満ち足りている私もいた。


 


 心のストッパーが消えてしまった。


 心の軸が紅蓮の炎によって健気にゆらゆらと燃え盛る。


 


 その炎は赫々と枝垂れ柳の遠花火の火花のように燃え盛ったり、試験管の中で蒼く光る金属片のように消えたり、投げ槍になりながら白く刹那を彩るように煌めいたりした。


 有象無象の炎色が生まれては消え、生まれては消えていく。


 


 これは、……恋なんだろうか。


 今までも恋を扱った小説はなるべく多く、半ば義務的に読むように努めてきた。


 ただ、私がその恋情をリアルに体験するのとはしないとでは全然話のスケールが違う。


 恋を分かつ灯火の帆柱が蒼然とした心の闇の渦中で安価な造花を千切るように消えた。


 


 蝋燭の炎が消火してしまいたいくらい、切ない気持ちが無条件にまざまざと込み上げてくるんだ。


 クルクルと気まぐれにエキゾチックな唐草模様の朽葉色のガウンを身に纏った、碧眼の少女が舞う輪舞のように私の心は激しく揺れ動く。


 あんな過ちを選択して、とある黄昏の帝国の士官に詰問されるのではないかな、と私は無性なまでに生ぬるい不安感に襲われる。


 

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