第18話
蒼夜さん、蒼夜さん。
やっと抜けた小道の先には、蒼夜の姿は無かった。
「そんな……」
それでも、それなら、隠れなきゃ。
でももう長いこと歩けない。
四阿の、小道から見えない反対側に回り込んで、座り込む。もう動くのは限界だった。
あえぐ口に手で蓋をして、肩で大きく息をする。背中が疼く。
ざくざくと道や草を踏んで小道を抜けてきた男たちの足音がする。
どくんどくんと心臓の音がする。そのたびに背中から血液が流れる。頭からすうっと血が下りていくような、貧血の感じがした。
「ここが例の湖か」
「綺麗なところですね」
あなた達にそんなこと言ってほしくない。
わたしと蒼夜さんの場所について一言も触れてほしくない。
そのとき、蒼夜がどこからか目の前に現れた。
人差し指を唇に当てて、しー、という仕草をする。
そして自分は手近に落ちていた人の頭ほどの大きさの石を拾って立ち上がり、有李華からは見えないところへ行ってしまった。
何をするつもりなのだろう。蒼夜が傷つくことはきっとないけれど――
「ぎゃっ」
「お前っ、がっ」
林と今井の悲鳴が聞こえた。
その後、ごつん、ぐしゃっ、という音が何度か続けて聞こえた。
「有李華さん、もう大丈夫だよ」
蒼夜の声がした。ひょい、と有李華を覗き込む。
その顔には返り血や脳漿が飛び散っていて、凄惨な有様だったけれど、有李華には知ったことではなかった。林と今井は頭を石で潰されて死んでいるようだった。
本当に躊躇いなくひとを殺せる人間なんだ、と思った。
それは有李華のためだったのか、それとも蒼夜が元来持つ性質だったのか。
どちらでも構わなかったけれど。
だってわたしは、もう死ぬのだから。
自分でもわかる。目の前に病院がありでもしない限り助からない。
「蒼夜さん、蒼夜さん」
「何、有李華さん」
「わたしを一番にして。あなたの一番にして。秤の片方に何が乗っていたとしてもわたしを一番重くして。忘れないようにこの亡骸を刻みつけて、わたしの魂を刻みつけて、骨の髄まで」
「うん。大丈夫だよ。君はずっと前から僕の一番だ」
「嘘よ」
「嘘なんかつかないよ。明日のない僕に、未来も過去も空虚な僕に、明日を夢見る時間をくれたのは君だった。愛しい有李華さん、他に代わりなどいない君。世界で一番愛しい君を、忘れることなんてするもんか」
それを聞いた有李華は嬉しそうに目を細め、血の気のない頬で笑おうとした。
「目を閉じて」
「いやよ。最期のその瞬間まであなたのことを見つめていたいの」
かすれた声はもうその瞬間が近いことを告げていた。
呼吸音が喘鳴に変わる。
蒼夜は有李華にそっと口づけた。
そうして止まった彼女の息を、最期の熱を引き取るように顔を上げる。奇しくも、そのとき初めて蒼夜と有李華の体温が等しくなった。
そのとき、紫陽花の小道を抜けて由利が息を切らして畔へと飛び込んできた。
「林! 今井! おれの獲物はどこだ!?」
そしてそんなことを叫んだ。
「林さんも今井さんももういませんよ」
蒼夜が答える。
「おまえ、この間の馬鹿げたパーティに居たやつだな。林と今井を殺したのはお前か」
「そうだよ」
「それなら代わりにお前が殺されろ! 今晩はデザートを殺す予定で、おれは予定が狂うのが嫌いなんだ」
「無理だよ、僕はもう死んでいるからね。有李華さんは僕が連れて行く」
蒼夜は有李華の亡骸を抱き上げて、湖の上を歩いた。
「な、何だお前、なんで水の上に」
その言葉を省みることなく湖の中央まで歩いた蒼夜は、そっと足元から沈んでいった。
「やめろ、もうおれを一人にするな、林ィ! 今井ィ! お前らは殺す側だろうが! 殺されてどうする、返事をしろォオ!」
由利の叫びだけが湖畔に反響した。
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