第16話
「想像より遥かに素敵な方でしたね、お嬢様のお友達」
「私、女性なのかと思っておりました」
「あら、言っていなかったかしら……蒼夜さんは男性よ。目の色がとても綺麗だったでしょう」
「目を見るような余裕ありませんでしたよ」
「目が合ったら何か話さなければならないじゃないですか」
どうやら蒼夜は有李華邸のメイドにいたく気に入られたようだ。
***
朝露に濡れた紫陽花の小道を抜ける。石垣の上に咲いているので辺りに何があるのかはわからない。この紫陽花通りには人の手が入っていないのだろうか、それにしては綺麗に咲き誇っている。褪せていく様まで綺麗な色なのに紫陽花にはどこか儚げで憂鬱な印象があって、どことなく蒼夜を彷彿とさせた。
***
「あ、そこの!」
林は有李華を送り届けたあとの帰り道のメイドふたりを捕まえた。
「蜜ノ園さんの家の方ですね? お嬢様は今どちらに?」
「まあ、逢瀬を邪魔するのは関心しませんわ」
「そうよ」
「やっぱりあの蒼夜さんという方のところに居るんですね。そこまで案内してくれませんか」
メイドは顔を見合わせて、数秒してからうなずいた。
「こちらです」
「あら? たしかにこの辺りだったと思うのですけれど……」
「変ね」
メイドたちの記憶によればこの近辺に小道があったはずなのだが、紫陽花もなければ小道も見つからない。
「ごめんなさい、私達も道がわからなくなってしまったみたい……困りましたわ、帰りのお迎えはどうしましょう」
「帰りも家からまっすぐ来れば大丈夫なんじゃないかしら。今日は途中からだったから感覚がずれているのかも」
「いえ、ご協力感謝します。この辺りなんですね?」
「ええ、この辺りであることは確かです」
***
いつもの四阿に蒼夜が見当たらなかった。
「蒼夜さん?」
名を呼びながらきょろきょろとあたりを見回すと、背後から声がした。
「なあに?」
びくっと肩をはねさせる。驚きすぎて声も出なかった。くすくすと笑う蒼夜をにらみつける。
「あ、あ、貴方、お化け屋敷のおばけの才能に恵まれているようね」
「じゃあ来世は目指してみようかな」
「あら、今からでも遅くなくってよ」
「今からはちょっと難しいかな」
一秒くらい、静かな時間が流れた。
本当は気づいていることから目を背けるために必要な時間だった。けれど、目を逸らすのはもうおしまいにしよう。
「蒼夜さん、質問ごっこをしましょう」
「いいよ。今日は特別に有李華さんからでいいよ」
「ひとつ、推理したのだけれど――あなたは、生きている人じゃないわね?」
「うん。僕は幽霊――ということに、なるのかな」
***
人間の熱を奪って実体化している蒼夜にとって、初めの有李華は新たな熱源の一つでしかなかった。すこし面白いお嬢さんが遊びに来たなくらいの気持ち。嫋やかだから殺しやすいだろうし、自分に惚れさせるのも簡単だろうと踏んでいた。実際有李華は日に日に自分に魅入られていくのが目に見えてわかった。
しかし、ここでひとつ計算違いが生じた。
蒼夜も有李華に惹かれてしまったのだった。
その仕草に、声に、奔放さに、端々から伺える育ちの良さに、頭の回転の速さに。
蒼夜はいつしか彼女から熱を奪うことに躊躇いを覚えるようになった。
彼女が発熱を押して会いに来た時なんかは嬉しくて殺してしまいそうだった。
そうだ、有李華を殺してしまえば幽霊として二人で過ごしていけるのでは?
――なんて、罪深いことを考えたりもした。
しかし甘美な誘惑だ。
だが、これまで殺してきた人間たちは皆成仏していった。有李華がここに幽霊として残ってくれるとは限らない。それなら少しずつ少しずつ依存させて、有李華が死ぬまで一緒に居たほうが長い時間をともに過ごせるのではないだろうか。
ああ、どちらを選ぼうか。
***
「人間から熱を奪うのは、そうすることで目に見えるようになるの?」
「実体化できるようになるんだ。心臓は動いてないんだけど」
蒼夜は有李華の華奢な手首を掴んで心臓のあたりにおいた。
「ね? 動いていないだろう」
「ちょっといま自分の心臓のほうがうるさくてわからないわ、ごめんなさい」
蒼夜は笑った。
「僕が死んだ時はね、湖面に氷が張っていたんだ。あまりに綺麗だったから歩けるかと思って湖面の氷の上を歩いてね、真ん中の辺り、氷の薄かった場所で氷が割れて沈んで死んだんだ」
「そう……」
有李華はそれでもその光景はきっと美しかったに違いないと想像した。
「食事は当然摂る必要が無いものね。一緒にいると食事が食べられなくなるのも貴方が幽霊だから?」
「そう。この間は立食パーティ式だったから助かったよ、壁際にさえ居れば他の人に影響を与えずに済むから」
「ああ、そう云えば湖から出られたのはどうして? 手も繋いでいなかったのに」
「君からもらった招待状があっただろう。あれのおかげで境界を超えられたんだ」
「境界……」
「目には見えない境界がこの世にはたくさんあるんだよ」
「そうなのね」
「君のことを聞かせて」
「なんでも聞いてよろしくてよ。嫌だったら答えないから」
「有李華さんはご両親のことが嫌いなの?」
「――嫌いでは、無いわ。嫌いにならないように生きてきた」
有李華は湖の方を遠い目で見つめた。
「そうなんだ。僕は嫌いだったよ。ネグレクトだったから」
「育児放棄されてきたの?」
「うん。でも目に余ったんだろうね。近所の人の通報で施設に引き取られて、そのあとは富豪の老夫婦に引き取られた。その時はやっと報われると思ったんだけど、老夫婦は別に僕に愛着を持って引き取ったわけじゃなくて、資産の管理を任せるために引き取ったらしくてね。誰でも良かったうちの誰かが僕だっただけなんだ」
「そう……。わたしはね、いつでもお父様の天秤の片方に乗っていたわ。そしてもう片方にはいつでもお母様が乗っていたの。軽いのはいつも私の方、だからあまり両親に執心しても仕方ないと思っているの」
期待するだけ無駄だわ、と有李華は淡々と述べた。
有李華と蒼夜は諦めで繋がっていた。端々に感じる連帯感はそこから来ているのかも知れなかった。
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