第14話
神夫人のワルツ曲を堪能して、広間に拍手が響く。恥じらう夫人は少女めいて可愛らしく見えた。
「あのね、わたしの旦那様がピアノがお好きなの。だから一生懸命練習したのよ」
「幼い頃から許嫁でいらしたのよね?」
「ええ……」
「少女小説みたい! 素敵ね」
「わたしには有李華さんの生き方も素敵に思えるわよ。知識人という感じ」
「そんなことはないわ! まだまだ知らないことばかりですもの。でもありがとう」
「有李華さん、わたしにもそちらのピアノがお上手な方を紹介してくださいな」
雪乃が訪れた。
「雪乃さん! 神夫人、こちら佐藤雪乃さんというの。確かおふたりは同い年だったはずだわ」
「佐藤さんも二十一歳なの?」
「ええ! 共通点が一つ目」
同い年の二人の話がはずんでいたので、壁の花と化していた蒼夜のもとへとすっと寄る。
「蒼夜さん、楽しめてる?」
「ああ、こういう場は久しぶりだから楽しいよ。……ねえ、有李華さん、薔薇園を案内してくれないかな?」
「ええ、勿論」
吉野に中座する旨を伝えて、有李華は蒼夜と庭の薔薇園に繰り出した。蒼夜はやはり家で用意した何の料理にも手を付けなかった。
「薔薇っていろんな色や種類があるんだね」
「ええ。折角だから、昼に咲いているところを見せたいのだけれど……」
「昼は、ちょっと難しいかな」
「ええ。なんとなくそんな気がしていたわ」
一輪の閉じた薔薇に顔を近づけて、目を瞑った蒼夜は初めて出会ったときのように儚く美しく見えた。
まるで消えてしまいそうだったので、薔薇の茎を掴むその手に触れた。
「……有李華さん?」
不思議そうに尋ねられて有李華は遅れて自分の行為の大胆さにぱっと手を引いた。その手を蒼夜に掴まれる。
「あまり可愛らしいことをしないで」
「い、いえ、まるで貴方が消えてしまいそうだったから」
蒼夜の柔らかな視線に射抜かれる。
「僕は消えないよ」
「それじゃあどうして貴方はそんなに儚いの?」
「いざというとき君を守れるくらいには儚くないけれど」
「口説いている?」
「さあ、どうだと思う?」
「都合よく解釈しろって云うのね、ずるい人。じゃあ、口説かれてる」
「正解」
「でも、あなたには秘密が多すぎるわ。もっとお互いのことを知らなくちゃ」
「そうかな」
「解きたい謎が多すぎるんだもの」
「ミステリマニアだね」
「そうかしら」
「じゃあ質問ごっこをしようか」
「質問ごっこ?」
「一つずつ相手に質問をして、相手がそれに答えるゲーム。勿論嘘はなし」
「なんだか蒼夜さんに仕掛けられると怖いものがあるわね」
「失敬だなあ」
「冗談よ。受けて立ちます」
「じゃあ質問。怖いものは何?」
「怖いもの? そうね……」
有李華はうつむいた。
「人に期待することが怖いわ。うーん、怖いというより、諦念を持っている、と言ったほうが近いかしら。とにかく、好きじゃないの」
「それはどうして?」
有李華は幼少期に思いを馳せた。何歳だったかの誕生日。本邸の広い食堂で、豪奢なケーキとともに取り残される自分の姿。
たしか母の容態が急変しただとかで、父は会社を早退して母のもとへ向かったらしい。その日の内に帰ってくることは無かった。
そんなことが重なって、重なって、重なっていく内に、母のことを嫌いになりそうになって、でもそうなりたくなかった有李華はいつしか人に期待することをやめたのだった。
「――どうしてかしらね」
「ごめんね」
「あら、どうして謝ったの? 気にしなくていいわ。じゃあ、わたしの番ね」
有李華はドレスの裾を持って立ち上がった。
「貴方が今日このパーティに来られたのは何故?」
「君に、招待状をもらったからだよ」
「招待状をもっていなかったらきっと来られなかったのでしょう」
「うーん、君は鋭いね」
「あら、わたしは初めて出会った時から鋭かったつもりだけど?」
蒼夜が何か言いかけたときに執事の吉野の声が背後から聞こえた。
「お嬢様、そろそろ中へ」
「わかったわ……蒼夜さん、中へ入りましょう。この遊びの続きは次会ったときに」
「ああ、そうだね」
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