第13話

 翌日は昼ごろから忙しかった。普段は使っていない広間を開けて、メイドと一緒に準備をした。当然、有李華は見ているだけでも良かったのだけれど、退屈だったのだ。

 

 厨房を覗きに行くと、下ごしらえで吉野と調理人がてんてこ舞いだった。料理を手伝わせてもらったことはないので覗くだけに留める。


***


 夜が、招待状の時刻がやってきた。

 招待客が訪れる。最初のお客様はシックなドレスに身を包んだ夫人だった。

「ごきげんよう。いらっしゃいませ」

「ごきげんよう、お招きありがとうございます。蜜ノ園さま」

「お気軽に有李華と呼んでくださいな」

「あら。では恐縮ではありますが、そうさせていただきますわね、有李華嬢」

 招待したのは有李華と年の頃の近い令嬢の居る佐藤家と、庭が綺麗な小見夫妻と、ピアノが上手な神夫人だった。

「夫人、広間にはピアノがありますの。よろしかったら後で一曲お願いしてもよろしいかしら」

 有李華は夫人を広間へと案内しながらそうお願いした。

「まあ、そんな、気恥ずかしいですわ」

「恥ずかしがることなんてちっともありませんわ。いつも貴女の家の前を通るとき、素敵な音色が聞こえてくるから、是非近くでお聞きしたいと思っていましたの」

「有李華嬢にそんなふうに思われていただなんて」

「ね? だからお願い」

「わかりました、でも一曲だけですわよ」

「ありがとう」


 次に訪れたのは佐藤家だった。

「有李華さん! 本日はご招待ありがとう」

「雪乃さん、こちらこそ来てくださってありがとう」

 二つ年上の雪乃は病気がちで、この別荘には静養に来ている。散歩中に出会って仲良くなったのだ。雪乃はその名の通り淡い雪色のマーメイドドレスを身にまとっていた。

 雪乃とそのご両親を広間に案内している最中に、雪乃がこっそり耳打ちしてきた。

「それで、有李華さんの王子様はどちらにいらっしゃるの?」

「なっ、何を仰っているの! そんなんじゃないったら!」

 雪乃はくすくす笑った。

「ごめんなさい」

「蒼夜さんのことなら、まだ来ていないわ。もう少ししたらいらっしゃると思うけれど」


 次に訪れたのは小見夫妻だった。

「やあ、有李華嬢。素敵な薔薇園だね」

「今晩は、ごきげんよう。お二方。お褒めに預かり光栄ですわ、今度庭師に伝えておきます」

「またうちの庭も見に来てくださいな」

「ええ、是非!」


 有李華は玄関の外に出て、彼が来るのを待った。

 来られないかも知れない、と頭の片隅で考えていた。有李華の家に送り届けてくれたときは、”手を繋いでいた”から湖を出られたのかもしれないと推測している。

 踵を返して、広間に向かおうとする。来賓を放っておくわけにはいかないからだ。

 その瞬間、背後から目隠しをされた。

 その冷たい温度に覚えがあった。

「ごきげんよう、有李華さん」

「ごきげんよう、意地悪な蒼夜さん」

 ぱっと振り返ると、いつもとは違って正装をした蒼夜が立っていた。

「そのボルドーのフィッシュテイルドレス、とても似合っているね」

「蒼夜さんもいつもとは雰囲気が違って素敵だわ」

 こちらへいらして、とあの日とは逆に蒼夜の手を引いてエスコートする。その手の温度がまた少し温かみを増していた。代わりに、有李華の背筋を悪寒が走る。

 けれどそんな些末なことは蒼夜がいまここにいるということに比べればどうでも良かった。

 家の前に立っていた警察の林のもとに向かった。

「林さん」

「お嬢さん、どうしました? そちらは?」

「こちらがわたしが会いに行っていた方です」

「蒼夜と申します。はじめまして」

「県警の警部の林と申します。いくつかお伺いしたい点がありまして……」

「何でも聞いてください」

「お名前、フルネームでお聞かせくださいますか」

「蒼夜夕です」

 有李華はくるりと蒼夜を振り向く。

「え? 蒼夜さんって下の名前じゃないの?」

「そうだよ」

「どうして教えてくださらなかったの」

 林の咳払いが聞こえた。

「ご年齢と職業は?」

「年齢は秘密です。職業は無職になるのかな」

「秘密って……あのね、ふざけていないで真面目に答えてください」

「忘れちゃったんですよ。自分がいくつになるのか」

 蒼夜は飄々と答えた。

「外見だけ見ると、わたしより少し年上くらいかしらね?」

「そうかもね」

「殺人犯がこの別荘地に逃げ込んだことはご存知ですか?」

 少し苛立ったような林の声を聞き、有李華はそこでおや? と思った。これまでの質問からもそうだが、林と蒼夜は初対面らしい。警察があの湖を知らないなんてことがあるだろうか?

「ええ。ここにいる有李華さんに教えていただきました」

「別荘はどちらに?」

「もしかして、僕は今事情聴取されているのですか?」

「そんな大層なものじゃないですよ。任意の協力を願っている段階です。本格的な事情聴取となったらもっと怖いですからね」

「怖いのは嫌だわ」

「任意なのでしたら、そろそろパーティに参加してきてもよろしいですか? 有李華さんをお待たせするのも嫌ですし」

 林は深いため息を吐いた。うまくハンドリングできない曲者だらけの別荘地に辟易しているのかもしれない。


 蒼夜に手を引かれ、広間へ入場すると、皆が一斉にこちらを振り向いた。

 立食パーティ式なので皆それぞれ楽しんでいるようだった。

「遅くなりまして申し訳ありません。みなさん、お楽しみいただいておりますでしょうか?」

「あら、貴方が有李華さんのお友達ね? 初めまして、佐藤雪乃と申します」

 雪乃の一礼に蒼夜も優雅に返す。

「初めまして、蒼夜と申します。時折有李華さんからお名前をお聞きしておりました」

「まあ、有李華さん、何を話したの?」

「僕も聞きたいな、有李華さん?」

 急に二人に見つめられて、有李華はにこやかに笑ってみせた。

「そんなに変なことは言っていないわよ。……本当よ?」

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