第8話
ざあざあの雨の日だった。出窓に片肘をついて、外を眺める。胸の奥が疼いた。こんな雨の日にはさすがにあの蒼夜も居やしないだろう。
ああ、けれどもしも居たとしたら?
ひとりきりで寂しいのではないのだろうか。
寂しく在ってほしい、と思った。
有李華が居ない日を寂しく思ってほしい、と思った。
顔が熱くなる。
なんてことを思ってしまったのだろう。恥ずかしい。
クロゼットの奥から大きめのレインコートを取り出して、身につける。ちょっと様子を見に行くだけ。
それだけだから。
いつものバスケットにはバスタオルを三枚くらい詰め込んで。
結局蒼夜はこんなにもひどい天気であるのに四阿にいて、読書をしていた。彼が一滴も濡れていないのが不思議だった。
「蒼夜さん、あなた何をしているの?」
「それはこちらの台詞だね。こんな雨の日に何をしにきたんだい」
「え」
言葉に詰まってしまった。
何をしに来たんだろう。
有李華がいないとさみしいと想ってほしくて。
違う。
「さみしかったから、顔が見たくなったんです。それだけ」
「また風邪を引いてしまうよ」
「蒼夜さんは? さみしくなかった?」
「さみしいのには慣れてしまったからね」
その一言で、天啓が降りたような気がした。
「あのね、わたしも、さみしいのには慣れているのよ」
「そうなんだ」
「そう。そう……それだけ」
「人と会ったりするのも有李華さんが久しぶりだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
だから風邪を引かれたり、拗らせて死なれたりされたら困っちゃうんだ。
蒼夜はそう言った。
「さあ、おかえり。また霧の深い日に会おう」
「ええ、ええ。そうね。そうするわ」
***
何度も何度も蒼夜との逢瀬を繰り返した。霧の深い日にばかりでかける有李華を家人は不思議そうな目で見たが、有李華にはそんなことはどうでもよくなっていた。蒼夜と会話することに夢中になっていた。
今日も霧が深かったので、会いに行こうと思っていた。
***
「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」
「お客様? 誰とも約束はしていなかったのだけれど」
ハンカチで口元を拭って、席を立つ。
玄関ホールに、二人の男性が立っていた。
「ごきげんよう。どちら様かしら?」
「蜜ノ園有李華さんでお間違いありませんか?」
「ええ、そのとおりです」
「我々は警察です。私は警部の林、こちらは部下の今井です。実は、この別荘地に残忍な殺人犯が逃げ込んだ可能性があるのです。重々身の回りに注意して過ごすようにしてください」
「まあ、殺人犯?」
実際の警察は手帳を出したりなどしないものなのか、と有李華はふと思った。
「富裕層ばかりを狙う計画犯です」
「霧の深い日にばかり犯行を繰り返しています。この別荘地に来る可能性もあるのです」
霧の深い日にばかり?
その言葉に一瞬目が泳いだのを、林は見逃さなかった。
「なにか心当たりがおありで?」
「心当たり? いいえ、何もないわ」
***
自宅のうつくしい薔薇園には目もくれず、有李華は息せき切って湖畔への道を辿った。紫陽花の小道はやさしく有李華を包んだけれど、胸の内にある不安は拭い去ってはくれなかった。
蒼夜さん、あなたは、もしかして、もしかして。
その日も四阿には蒼夜が居た。有李華は頽れるように四阿の椅子に腰掛けた。
***
「チッ、見失ったか」
「霧が深いですね……」
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