第4話

 翌日は朝から霧が深い日だった。朝食のとろとろスクランブルエッグとサラダとホットサンドを食べながら、もしかしたら蒼夜が居るかもしれないという期待が胸にふわっと浮かび上がった。それを押さえつけつつ、メイドに申し付ける。

「ねえ、今日もまたサンドイッチを用意してくれる?」

「かしこまりました。量はどうなさいますか?」

「昨日と同じだけ」

「承知いたしました」

 今日も来なかった場合のことを考えて、有李華は文庫本を三冊ほど用意してあの湖畔へと向かった。


***


 紫陽花の小道を抜けると、四阿に人影が見えた。

 ああ、やっぱり。

 こころなしか早足になった有李華は四阿の蒼夜のところへ向かった。

「ごきげんよう、蒼夜さん」

「ああ、ごきげんよう、有李華さん。昨日はごめんね」

「どうして昨日もわたしが来たことを知っているの?」

「君は興味を持ったら止まらない性格のように思えたから」

「うーん、あたってる。少し、複雑だわ」

「でもこうして今日も会いに来てくれた。嬉しいよ」

 その言葉に単純にも有李華の心は弾んだ。

「ひとつ推理したのだけれど」

「なんだい?」

「貴方はどうしてか霧の深い日にしかここに来られない」

 蒼夜はくすりと笑った。

「試行回数が少なすぎやしないかい?」

「それを言われるとぐうの音も出ないけれど、覚えておいてね、わたしってせっかちなの」

「そうなんだ。でも正解だよ。僕は霧の深い日にしかここには現れない」

「日光に弱いの? そういう病気?」

「うーん、まあそんなようなものかな」

「そう……大変なのね。あ、そう、サンドイッチはお好きかしら? 昼食にと思ってあなたの分も持ってきたのだけれど」

「ごめんよ、僕は食事をしないんだ」

「家で用意したものしか食べられないということ? アレルギーをお持ち?」

「いや、そういう訳じゃあ、ないんだけれども……」

 蒼夜は言葉を濁した。有李華はバスケットを置いて、青年から少し離れた隣にハンカチを敷いた。

「言いたくないなら構わないわ。今日は一緒に読書をしたくて来たの」

「なんの本を持ってきたの?」

「小学生の頃に買った本よ。三冊とも同じ作者のミステリ」

「ミステリが好きなんだね」

「ええ、ロジックがきれいであればあるほどね」

「僕は怪奇小説が好きだな。近代の怪奇小説なんかは特に好きだ……」

「わたしも読むわ。分厚いのほど挑戦しがいがあっていいと思いませんこと?」

「そういう観点で本を選んだことはなかったなあ」

 蒼夜は笑った。

 あまり笑わない人が笑うと魅力的だ、と感じた。


 二人並んでそれぞれが持ち寄った本を読んだ。左手首の内側の時計を確認するとちょうど正午だったので、バスケットからサンドイッチを取り出した。

「じゃあ、食べられない人の目の前で悪いけれど、昼食をいただくわね」

「どうぞ」

 通常ならお腹がすく時刻なのになぜか食欲がなかった有李華はサンドイッチになるべく小さい口で噛み付いた。どうしてだろう。味があまりしなかった。

 二口目に口をつけるのを躊躇っていると、蒼夜はふいに立ち上がった。

「僕はちょっと休憩に湖を一周してくるから、その間に食べるといいよ」

「え、わたしも一緒に行きたいわ」

「じゃあ三時ごろになったらまた気分転換に行こう。とりあえずはご飯をお食べ」

 蒼夜に言われるがまま、蒼夜の背が遠くなってからサンドイッチを口にすると、さっきのは何だったんだと感じるほど美味しく感じた。いつもどおりの調理人の味である。

 思わず蒼夜の背を目で追うも、霧がその体を隠してしまっていた。


 帰ってきた蒼夜は、先程と同じ位置――有李華の隣に腰を下ろした。

 途端に食欲が失せたわたしは、サンドイッチをバスケットに戻した。

「帰ってくるのが少し早かったかな」

「そんなことないわ」

 どういう意味だろうか。まるで有李華の食欲に自分が干渉しているかのような言い様だ。

「さっきまで、どんな内容の本を読んでいたんだい?」

「ああ……そうね、短編連作方式の構成よ。全体的に醸し出されるゴシックな内容に惹き込まれるの」

 読んでみる? と銀色の表紙のそれを差し出す。

「読んでみようかな」

「それがいいわ。わたしにもなにか今度本を貸して頂戴」

「いいよ」

 ねえ、貴方は一体何者なのかしら。

 そう問いかけてみたかったけれど、自分で解き明かしてみたくもあったから口にはしなかった。

「じゃあ、また霧の深い日に」

「ええ」


 別荘に帰ると、やはり、予測通り食欲はなかった。

 そのことを伝えて、自室に下がる。

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