16-1
灰色の瞳の青年は傍らに膝をつき、短くそれだけを言った。かすかに息を飲んだような気配が感じられた。
その手が伸びてフォシアに触れかけ、だが寸前で長い指が握りこまれた。
「フォシア……っ!!」
ほとんど悲鳴のような声と共にルキアが駆け寄り、フォシアを抱き起こした。
強く抱きしめられ、姉の温かな体に包まれ、フォシアはようやく呼吸を取り戻す。
驚きに止まっていた息が緩み、とたんに視界が滲んで嗚咽がこみあげた。
自分もまた姉の背に手を回し、しがみつく。
しがみついたルキアの体もまた、かすかに震えていた。
だから――フォシアは寸前で、自分を奮い立たせた。
「……だい、じょうぶ」
震える声を振り絞る。姉を少しでも安心させるために。大丈夫だと、自分にも言い聞かせるために。
「お、お前……っ!! ふ、ふざけるな! 僕にこんなことをして、許されるとでも思ってるのか!!」
裏返り、喚く声がフォシアの耳に突き刺さった。嫌悪に思わず身震いしながら、考える力がわずかに戻ってくる。視線だけを動かし、鍵のかかっていたはずの扉を見ると、へこんだ傷があり、ノブの周りは破壊されていた。
衝撃音の正体はあれだったのだ。
扉を壊し、駆けつけてくれた。
グレイが――飛び込んできてくれた。
フォシアがそう理解したとき、グレイがすっと立ち上がった。
もともと細身で背の高い青年だったが、いま、その大きな背はフォシアの目に際立って映った。
「――許される? 誰が、誰にですか。ここに、許されるべき人間、許される人間などいません」
その声に、フォシアは姉に抱かれたまま息を飲む。
――これまでの声が感情豊かだったと思えるほど、いま聞こえる声は酷薄だった。
侮蔑を隠そうともしない、一切を拒絶し否定を突きつける声。
「いるのは制裁される・・・・・人間が一人。ただそれだけです」
腹を押さえたまま立ち上がれないアイザックに、グレイは一歩近づく。
アイザックは顔をどす黒く染め、激しい憎悪の目でグレイを睨んだ。
「潰して、やる……っ!! お前も、お前の家も、お前の周りの人間も……!!」
敵意と呪いに満ちた声は、フォシアの背に寒気をはしらせた。
とっさに、グレイの背中を見つめた。
――アイザックは、あのエイブラの息子だった。エイブラの持つ絶大な権力のために、姉は自分の身を犠牲にしてまで守ってくれようとした。
権力と悪意に巻き込まれれば、どれほどグレイが強い青年であろうと、その地位や名誉、生活のすべてが脅かされかねない。
フォシアの中から血の気がひいていく。
――自分の身が脅かされることへの恐怖ではなかった。
自分を守ってくれたグレイが、アイザックに脅かされることなど耐えられない。
だが、グレイの背は怯まなかった。
「ヒルズゴート」
冷徹な声が、短く、だが明瞭にそう告げた。
それが何を意味する単語なのか、フォシアにはわからなかった。
――しかし憎悪を剥き出しにしていたアイザックが、一瞬にして凍りついた。
どす黒くさえあった顔から血気が消える。かわりに、たるんだ輪郭に冷や汗が噴き出た。
「な、な……お前……っ!?」
アイザックの声は動揺も露わだった。とっさのことでまともな否定も糾弾すらもできないように。
「あなたは父親にくらべて粗雑で性急すぎる。隠蔽しなければならないことが多すぎて、さすがの父君も手が回らない部分があったようですね」
「な、何を言う! 嘘をつくな!!」
顔を蒼白にしながら、アイザックは喚いた。大声で遮り、相手の言葉を打ち消そうとしている。
――くっ、とかすかに喉から漏れ出る声を、フォシアは確かに聞いた。
切りつけるような皮肉の響き。
グレイの顔は見えない。けれど彼はいま――はっきりと嘲笑わらったのではないか。
それを裏付けるように、決定的な一言が放たれる。
「感謝します。――あなたのおかげで、容易にあなたの父親ごと失墜させられるのですから」
フォシアはかすかに目を見開く。
グレイの凍てつく言葉はほとんど死刑宣告のように聞こえ、アイザックの喚きは、もはや悲鳴でしかなかった。
そのあまりにも対照的な姿のせいか――怜悧な青年が、無慈悲な暴君のように微笑する幻覚がフォシアの瞼の裏をよぎった。
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