3-1

 ヴィートが、うなるようにこぼす。

 わたしは思わず息を止めた。


「……そうなんだな。いつも、そうだ。わけのわからない冤罪を被ってまですべてを捨てようとしてるのは、フォシアのためだ」


 ――かつ、と小さな音がした。

 その音に弾かれて、わたしは顔を上げる。ヴィートの目と合う。

 鋭く、けれどまっすぐにわたしを見つめてくる目だ。


 かつ、と音をたて、ヴィートがもう一歩踏み出す――彼の靴が地を踏んでたてる音。わたしのほうへ、坂を下りてくる。


 彼の体から常にもまして威圧感が放たれているようで、わたしは無意識のうちに一歩後じさった。

 まるで――断罪されるのをおそれる咎人のように。


 ヴィートの双眸は、声は、明らかにわたしを非難している。

 それでも、彼の怒りに怯んだ心が、少しずつ反発を覚えていく。

 なぜ・・。


「……なぜ、そんなことを聞くの」


 強ばっていた舌で、なんとかそう言葉を絞り出した。

 ああ、そうだ。なぜヴィートはこんなところにいるのだろう。


「わたしのことが嫌いだと――そう言ったじゃない」


 そう口にしたとき、声がかすかに震えた。

 ――口論になった最中でその言葉を投げつけられたとき、一瞬頭の中が真っ白になったほどだった。


 わたしはヴィートに嫌われてしまった――ヴィートの心はフォシアに傾いたのかもしれないと、耐えがたい痛みの中でそう思ったのに。

 その痛みが、わたしをここまで運ぶ大きな力の一つにもなっていたのに。


 ヴィートは顔を歪め、慌てるでもなく答えた。


「嫌いだ。その……フォシアを何よりも優先するところが」


 わたしは一瞬、耳を疑った。思わずヴィートの顔を見ると、戯れの気配も冷笑の兆しもなかった。張り詰めたものが伝わってくるほど、険しくも真摯な顔をしていた。

 かつ、とまた彼の靴が音をたてる。距離が詰められる。


「――それでも俺は、フォシアを大切にするところはルキアの良さだと思っていた。ルキアが優しいのは俺もよく知っている。妹を大切にする姉というのは、美徳でありこそすれ非難すべきものじゃない。だから、嫉妬を感じるなどというのは恥ずべきことだと、ずっと自分に言い聞かせてきた」


 再びかすかな音。彼が更に距離を詰めてくる。

 わたしは動けなくなっていた。ヴィートの目が、その言葉がわたしの体を呪縛する。

 ――嫉妬。誰が、誰に?

 はじめて聞かされたその言葉が、大きな鐘のように頭の中で反響する。混乱する。


 気づけば、自分の婚約者であった人が間近に迫っていた。


「だが、間違いだったらしい」


 ヴィートの唇がかすかに歪む。冷笑よりもなお鋭い笑み。

 わたしは自分がかすかに怯えていることに気づいた。

 ――こんなヴィートは知らない。


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