地図から消えた街

 人は、減った。




 ひとつの集落が消え、ひとつの村が消え、ひとつの町が消えた。住む人を失った家は朽ち、働く人を失ったビルは苔生し、遊ぶ人を失った公園は木や草が繁茂する。


 歩く人、走る車を失った道も、アスファルトから草が繁茂して、最早、道とはいえないが、誰も困らないので、そのままになっている。


 草木が生きるところには虫が住み、動物が住み、鳥が住むようになった。そこは小さな自然界。コンクリートとアスファルトで固められた大地を掘り起こし、再び、自然が宿ろうとしている。




 そこへ、小松彩と横田誠がやって来た。

「何年も前に、人のいなくなった市だ」

「私、こういうところ好きなんです。遺跡みたいで」

「遺跡というには、新しすぎるかな」


 歩みを進めると、ところどころに、焚火の跡や、新しい生活跡がある。

「危ないんじゃない?」

「だから、誠さんがいるんじゃないんですか」

「俺は用心棒か」

「私はスタンガン、持ってます」




 手入れのなされていないカラーブロック舗装は、道を凸凹にして、車はおろか、人さえ歩くのが難しい。そこへ、落葉樹の赤茶けた落ち葉が積り、さらに道のりを険しくしている。落ち葉に足を踏み込むたび、カサ、カサっと、ささやいて、柔らかく沈む。


 辺りは、鳥のさえずり以外、静かだ。


「家も、ビルも、公園も、道路も、取り壊されることなく、そのまま捨てられたみたい」

「みたい、じゃなくて、捨てたんだよ。取り壊すにも、更地にするのにも、お金がかかるからね」




 下ってゆく直線の先に、大きな池が広がり、道も、ビルも、鳥居も沈んでいる。水は青や緑に光り、水面は穏やかで、その先にそびえ建つ、摩訶不思議にな造形の市役所庁舎を逆さまに映している。


 当時の芸術家によってデザインされ、造られた市役所庁舎はツタに覆われ、それはまるで、ダイオウイカの触手に絡め捕られたウミウシの様である。




 池を迂回し、件の化け物に近づく。

「ホント、怪獣みたいですね」

「これを建てた、当時のお役人の感性がすごいな」


 入り口に、市のモニュメントが建てられていた。今は、コンクリートを割って松が根を張り、太い幹を伸ばしている。幹の先には、空を覆わんと枝が広がり、緑の葉を芽吹かせている。


「このモニュメント、なんだったのかな」

「さあ。なんだろう」




 中に入ると、差し込んだ陽が、ホールや受付、エスカレーター、螺旋階段、垂直に建つエレベーターの筒を照らし、アニメに出てくる海の底か、宇宙ステーションの様。差し込む光を頼りに、シダやコケが生え、湿った暗闇の隙間にキノコが生えている。


 彩と誠は異世界に迷い込んだ。


「神秘的ですね」

「綺麗だ」

「上へは行かない方がいいですよね」

「階段が壊れているかも知れない」


 ゆっくりと、光景を堪能しながら、市役所庁舎を通り抜けた。




 一面、緑色の畑が広がっていた。


 彩は、植物を観察した。

「大麻ですね」



 大麻畑の前で、彩はおもむろに語りだした。


「私の身体は、再生臓器だらけで、生命維持に薬が欠かせません。異常がないか、月に一度、優人博士が紹介してくれた病院で検査しています」


大麻畑に一陣の風が駆け抜け、サワサワと耳をくすぐる。


「私の飲んでいる薬の原料に、大麻が使われています。私は、広い意味で言えば、大麻無しでは生きていけません」


 彩は言葉を飲む。告白するつもりで、誠とここにやって来た。しかし、これではまるで、脅しているみたい。緊張する。目が泳ぎ、乾いた口を、無理矢理開くが、つぐむ。言葉が出ない。




「こんなところでなにしてるんだ?」


 ひとりの男性が、やんわりと声をかけた。


「君たちみたいな若い子が、来ちゃいけない、危ない場所だぞ」

 声や顔色に殺気は無い。誠が応じる。


「この大麻は、お兄さんがひとりで栽培してるんですか?」

「まさか。俺はひとりお留守番。他のメンツは、営業に行ってるよ」

「そうですか」

「通報するかい?」

「いえ。無意味ですから」

「そうだ。俺が君たちの口を封じたとしても、リスクが高い。それが今の日本だ」




「まあ、そう構えるな。悪いようにはしない。畑の隣にビルが建ってるだろ?」


 ふたりはその建物を見る。なんの変哲もない、ただのビルだ。

「元市警察署だ。あそこが俺たちのアジト。笑っちゃうだろ。大麻の違法栽培をしている奴らのアジトが警察署跡だ」


「良いんですか? 私たちにバラしてしまって」

「それが無意味なことは、あんちゃんがさっき言ってたじゃねぇか」

「捨てられた市町村は、なんらかの犯罪拠点になってますから。国も、個人認証や人工衛星写真をAIで分析して、全て把握してます」

「そこまでわかってるなら、どうして俺たちみたいなのが放置されているのかも知ってるな」

「それで儲けてる人が国を動かしているからです」

「正解だ」

「だからこそ、日本は安全な国なんですけどね」

「違いねぇ」




「日も暮れてきた。もう帰りな。それと、そこのお嬢さん。こんなところまで彼氏連れてきたんだ。はっきり伝えな。じゃあな」


 お兄さんは手を振って、警察署跡へ帰って行った。



 もしかして、私の後押しをしてくれた? さっきまでの緊張は嘘のように解けた。




「私。誠さんのことが好きです」


「あの…」

 彩は言葉を遮る。

「今日はそのことを伝えたくて、ここに来てもらいました。壊れた街のような私の身体。大麻から作られた薬がないと生きられない私の身体。生きようともがいている私の身体。受け止めて欲しい。返事は今ではなく、いつか、きっと、ください」



「わかった」



「今日はありがとうございました」


 深々とお辞儀をする。すっきりした、明るい顔で彩は言う、




「帰りましょう。もし良かったら、手をつないでください」


 彩は手を差し出した。誠はその手を取った。




 ふたりは、朽ちた街を後にする。

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