ミクとデイフィリア、ふたつの家族
ヨセミテ国立公園のキャンプ場に、朝日が昇る。
キャンピングカーでは、優人と、誠が。テントでは、女性陣が寝袋の中で寝ている。
最初に目を覚ましたのは、アンだ。他の人を起こさないよう、慎重にテントから出て、朝食の用意を始める。
目を覚ました順番に、キャンピングカーで顔と歯を洗い、朝食の準備を手伝う。
朝食が済むと、後片付け。テントをたたみ、バーベキューコンロの掃除をして、キャンピングカーに載せる。
「絶景の旅へ出発!」
運転は、優人とキャンディが交代で。家事はアンが仕切って、手の空いている人が手伝う。雄大なヨセミテ国立公園を、二泊三日で巡る。
観光は、キャンピングカーを返却したところで終わる。
「さて、ミクと誠以外は一旦、俺の家に来てもらおうかな」
「あたしは、誠と一緒に、家に帰ります」
「どうして誠と一緒なの?」
「ボーイフレンドを家族に紹介するのは、当然のことでしょう」
「いつからあなたが誠のボーイフレンドになったのよ」
「さ、誠。行きましょう。バスはあっちよ」
「ちょっと! 質問に答えなさい!」
「まま、彩ちゃん。今日はミクの顔を立ててあげて」
Rashomonのある大学から、そう遠くない場所に、ミクの生家はある。アメリカにある、典型的な平屋の家だ。
ドアをノックしながらミクは言う。
「ママ! パパ! ミクが帰って来たわよ」
ドアが開くと、中から大きな犬が飛び出し、尾を勢い良く振りながらミクに抱きついた。そして、顔をなめ回す。
「スカイウォーカー! 久しぶり。元気だった?」
ミクもスカイウォーカーを撫で回す。
家の奥から、ミクの両親が顔を出す。なるほど、似ても似つかない。失礼な言い方だが、このご両親から、ミクが産まれたとは、誰も信じないだろう。
「おかえり」
「おかえりなさい。日本はどう?」
「とても快適よ」
「また少し、大きくなったんじゃないか」
「ちょっとだけね」
ミクの後ろに立っている誠に気が付く。
「そちらは?」
「紹介します。日本でお世話になっている、横田優人先生の息子さんで、誠くん」
「初めまして」
「初めまして」
ご両親と握手をする。
「中へどうぞ」
「おじゃまします」
リビングには、家族の写真がたくさん、飾ってある。兄姉に抱かれている写真。幼いミクを愛おしそうに抱いている両親の写真。家族五人で並ぶ姿もある。
トントントン! とノックが響く。母親が出ると、ミクの兄と姉が入ってきた。
「ミク! ひさしぶり~。日本はどう?」
「楽しいよ」
「ミク。元気そうだな」
「元気モリモリだよ」
三
「こちらの方は?」
「横田優人先生の息子で、誠さんです」
「君が誠君か。ミクから話は聞いてるよ」
「日本では迷惑かけてない? 意外とおっちょこちょいだから」
「とんでもないです。とてもしっかりしていて、皆、助けられてます」
「ディナーは食べていくんだろ?」
「是非」
「それじゃ、馳走しなきゃ」
「ミク。手伝って」
「もちろん」
兄姉と母親がディナーの準備をしている間、お父さんと一緒に、スカイウォーカーの散歩につきあった。
「ミクは良い娘だろ」
「はい」
「君が優人先生の息子さんってことは、お父さんが何をしているか、知っていると思っていいのかな?」
「はい」
「そうか。なら、話が早い。私には三人の子供がいるが、全員、血がつながっていない」
「私は、産まれた時の性は女性だった。しかし、心は男性だった。若い頃、女性器を摘出した。その後、今の妻と出会って結婚したんだが、子供が欲しいという気持ちは私たちの共通認識だった。ところが、妻は先天的に卵子ができない病気だった。近くの大学病院で、代理母を募集していてね。産まれた子供は、自分の子供として育ていいという条件に飛びついた。その結果、産まれたのが、あの三人だ」
「血のつながりはなくても、三人のお子さんを愛していらっしゃる。もちろん、奥様のことも」
「そのとおりさ。さすが優人先生の息子さんだ。理解が早い。安心して娘を任せられる」
「あの…、お嬢さんとは、正式にお付き合いしているわけではないんです」
「なんだって!? 遊びなのか?」
「違います。アプローチはされていますが、私が返事を保留しているだけです」
「それは良くない。娘のどこが不満だ?」
「いえ、娘さんはとても良い人です。非の打ちどころなく」
「それでは、なぜ?」
「私はまだ16歳です。もっと、人として成長したいと思っています。ステディな相手をみつけるのは、その後にしたいんです」
「若者は、なにかと突っ走るモノだが、君は堅実だな」
「最終的に、娘さんを選べられば、それがベストではあると思いますが、今はまだ、決められません」
「ミクが君の御眼鏡に適うことを願ってるよ」
「恐れ入ります」
「娘も、そんなあなたを私たちに紹介したかったのかも知れない。今日は存分に楽しんで行ってくれ」
「ありがとうございます」
その夜、ミクの家族と共に、楽しく愉快なディナーを過ごした。おかずは主に、ミクの幼い頃の暴露話。彼氏に聞かせる定番だ。真っ赤になって否定するミクに対して、追撃を許さない家族。そこに悪意はない。ただ、ボーイフレンドにミクのことを知って欲しい。愛して欲しいという一存だ。
誠の話は日本での生活に焦点が当てられる。誠は、日本の田舎での生活を披露する。気候も、生活習慣も、価値観も、宗教観も、まったく異なる日本という国。
「今度、遊びに来てください」
「もちろん。行かせてもらうよ」
親父の迎えで、クラーク家を後にする。
「今夜は楽しかったよ」
「また会いましょう」
「みなさん、おやすみなさい」
「Sweet dreams」
翌日。
横田家族とデイフィリアは、二台の車に分乗して出かける。
「誠。今日はどこへ行くの?」
「俺も初めて行くところだよ」
墓石に、Yoko Yokotaの名がある。
全員で墓前に花を手向ける。
「実はね、俺たち兄妹も母親の墓を詣でるのは初めてなんだ」
「どうして今まで、来なかったの?」
「お母さんは陽子を産んだ時に死んだ。俺は1歳だった。母親の顔は写真でしか知らない。4歳の時、妹と一緒に日本へ渡って、それからアメリカに来たのは、今回が初めてだ」
「バカンスとクリスマスは、お父さんが日本に来てたし、アメリカへ行くという発想がなかったよね」
「せっかく、アメリカに来たんだから、お母さんの墓参りぐらいしようって兄妹で話した」
「デイフィリアもせっかく来たんだ。花を手向けてあげてくれるかい?」
デイフィリアは、優人から花を受け取り、墓前に供えた。
「さて、デイフィリアの気持ちはまとまった?」
少し考えてから、
「そうね。私も両親の墓参りに行くわ」
「送って行こう」
キャンディと陽子は帰った。
優人の運転で、誠とデイフィリアが、古里へ向かう。
目的地までは距離がある。黙々とハンドルを握る優人。寝ている誠。複雑な表情のデイフィリアは、ただ、呆然と景色を眺めている。
墓地に着き、父と母の墓前に立ち、花を手向ける。
「何か話した?」
「なにも」
「そう…」
「ちょっと寄りたいところがある。付き合ってくれ」
日が傾いて、西日が眩しくなる頃、とある老人ホームに着く。
「デイフィリア。お兄さんに会っていかないか? 痴呆症が進んでいる。たぶん、今日が会える、最後のチャンスだ」
「嫌なことするのね」
「会う気がないなら、このまま帰ろう」
「会うわ」
兄は、車椅子に座り、コントローラーを握って、ビデオゲームに夢中だった。
介護士に促され、デイフィリアと対面する。
「こんにちは。おひさしぶりです。お兄さん」
「なんだ、孫娘じゃないか。いつ来たんだ?」
「さっき」
「見てくれこのゲーム。お爺ちゃん、なかなかやるだろう?」
「そうね。とても上手だわ」
「一緒にやるか?」
昔、兄と一緒に興じていたビデオゲームを思い出した。
兄は負けず嫌いのくせに、時々、私に勝ちを譲ってくれる。ゲームに誘う決まり文句は、
「一緒にやるか?」
まったく、変わってない。話し方も、目つきも、太い眉毛も、濃い髭も、ホクロの位置も。
その後、向かったのは、妹の暮らす家。子供と、孫に囲まれて、ベッドに寝ている。
「癌のエンドステージだ」
ベッドに腰をかけ、優しく囁く。
「いい女になったじゃん」
「お姉さん?」
「そうだよ。お姉ちゃんだよ」
震えながら、小枝のように細い腕を出した。その手を握る。
「生き返ったんだ」
「生き返っちゃったよ」
「良かった」
デイフィリアが、シワシワの妹の顔を、優しく撫でる。
「お姉ちゃんの手。子供みたい」
「ホント。自分でもびっくりだよ」
「お姉ちゃんには謝らなきゃいけないことがあってさ、それを言えなかったのがずっと心残りだったんだ」
「なに?」
「お母さんが大事にしてたコップを割ったの。あたしなの」
「知ってた」
「お姉ちゃんのせいにさせちゃってさ、それをずっと謝りたかった。ごめんね」
「もういいよ」
「お姉ちゃん。今、幸せ?」
「幸せだよ」
「そう。良かった」
家を出た途端、デイフィリアの瞳から大粒の涙がこぼれる。誠がそっと抱きしめる。
「兄妹の最期に会えないのは、不幸だと思ってね。お節介をした。許して欲しい」
「いえ。胸につっかえていたモノが、とれた気分です」
「家族って良いだろ?」
「そうですね」
「将来、君にも家族を持って欲しい。その時、両親や兄妹のことを引きずったままでは、良い家庭は築けない。過去は清算した。これからは、未来を見て欲しい」
「誠と結婚しろ! ってことですね」
「えっ!?」
「そういうことだ」
「よろしくね、誠」
ギュッと抱きよせる。
「ちょっと、待ってよ」
デイフィリアは、大声で笑った。
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