変身

 6月が終わり、7月を迎えた、蒸し暑い朝。


 ミク・キャサリン・クラークがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分がベッドの中でひとりの巨大な生き物に変わっているのを発見した。


 肌は、鱗も棘も生えていない、さらさらで、身体中のほとんどが、些細な棘に触れただけで切れてしまいそうなほど脆い。頭と、脇と、股間に毛が生えているが、引っ張れば簡単に抜け落ちてしまいそう。肌の色は白く、わずかにピンク色で皮下に走る血管が透けて見える。

 手は肩から二本、生えていて、その先には五本の指があり、物を掴むのにちょうど良くできている。

 足は腰から真下に二本、生えていて、その先にも五本の指がある、歩く上でバランスをとるのに役立つようだ。

 胸にはふたつの乳房があり、重い。これがなんの役に立つのか、まったくわからなかった。頭は直立すると、身体のちょうど真上にあって、顔がよく見える。碧眼。ブロンドの髪。ハリウッド女優の様に整ったスタイルと美しい顔立ち。どうして自分がこんな姿になったのか、皆目、見当がつかない。


 実の親については、自分が幼い頃に亡くなったとだけ聞かされていて、写真も見せてもらっていない。もしかしたら、私の親は、ハリウッド女優だったのかも。しかし、そんな話は聞いたことがない。仮に、私がハリウッド女優の子供だったとしたら、ニュースになっていても不思議じゃない。しかし、そんなニュース見たことない。パパラッチに追われることもない。


 まるで夢でも見ているようだが、これが現実だ。




 私は里子に出され、以来、養父母の下で暮らしながら、横田先生の学校で授業を受けた。ある日、横田先生から、日本の学校へ行ってみないかと言われた。アニメ、漫画の大好きだったあたしは、二つ返事で日本行きを決めた。なにより、養父母にお世話になりっぱなしは気が引けた。もちろん、向こうはそんなことなど気にしていないのだけれども、あからさまに似ていない親と一緒にいることが、息苦しかったのかも知れない。




 夕食の卓で、ミクは言った。

「もう時季、夏休みでしょ? どこか遊びに行かない?」

「みんなで?」

「もちろん」

「ミクから『みんなで』なんて言葉が出るとは、驚きね。いつもなら、『誠! 一緒に遊びに行きましょう!』なのに」

「それはそれで、別にやります」

「やるんかい」

「どっか、行きたいところある?」

「海!」

「海は…」

 誠はチラッと、彩を見る。

「みなさんが、それを含めて私の個性と受け取ってくれたので、肌を出すことに抵抗はありません。海、初めてです。楽しみです」

「お兄ちゃん。今年もお父さん、日本に帰って来るのかな」

「横田博士って、日本によく帰って来るの?」

「あたしたちがお父さんの実家に住んでいた時は、毎年、夏のバカンスとクリスマスには帰って来てました」

「バカンスとクリスマスは家族で過ごす。という矜持らしい」

「今年は、あたし達が東京にいるし、どうするんだろう」

「後で俺が親父に訊いてみるよ」




 親父に電話して、開口一番、出た言葉は、

「みんな、こちに来い」

「え? なんで」

「誠や陽子にとっては、物心ついて初めての海外旅行になる。見聞を広めるためにも、海外へは積極的に出て行った方が良い。他のメンバーにとっては、ちょっとした里帰りになる」

「まあ、俺はかまわないけど」

「それじゃあ、みんなに言っておいてくれ。スケジュールは追って連絡する」

「相変わらず、強引だな」




 翌日、みんなにこの話をした。

「良いわよ」

「良いですよ」

「OK」

「キャンディさんは?」

「私は学校での仕事があるから、予定が空いたら、現地で合流するわ」

「陽子は?」

「いいけど、アンはどうするの?」

「もちろん、一緒に来れば良い。問題ないよな?」

「はい。大丈夫だと思います」

「じゃあ、決まりだな」


「楽しみだなあ。それまでに水着買っておかなきゃ。日本には、可愛いのがいっぱいあるんだよね」

「ミクは、どんな水着でも似合いそう」

「陽子もビキニで攻めましょう」

「それは無理」

「ミクは親と会いに帰るの?」

「親は、あたしが小さい頃に死んだの。でも、養父母の下へは帰るつもりよ」

「そう。悪いこと訊いたわね」

「別に、気にしてないって」


 楽しい雰囲気が漂う中でひとり、怪訝な面持ちのデイフィリアがいた。




 部屋でひとり、日本語の勉強をしていると、ノックが。誠だ。

「どうしたの? さっきは怪訝な顔して」

「心配してくれてるの?」

「もちろん」

「私の素性は知ってるでしょう?」

「いや」

「え? そうなの。てっきり、横田博士から聞いているものと思った」

「Rashomonがらみなのはわかるよ」

「私ね、ミイラから蘇生したヒトなの」

「へー。それはすごい」

「あまり驚いてないね」

「親父の仕事は知ってるから」

「そう。なら話が早い。私は数十年前に一度死んでいてね。現代医学とやらで、蘇生したんだけど、両親はとっくの昔に死んでいるし、歳の近かった兄妹は既に老年」

「昔を過ごしたアメリカに帰るのは、気が重いと」

「そういうこと」

「今回、日本に来るとき、ご両親のお墓参りは?」

「行ってない」

「ご兄妹に会いへは?」

「会ってない」

「会ってくれば?」

「どんな顔して会えばいいのよ」

「笑えば良いと思うよ」

 誠は、ニコっと微笑む。

「覚えてないわよ」

「会ってみなきゃわからないさ」

「会った時に、『あなた誰?』って言われたら?」

「あなたの兄妹です。蘇ったのよって」

「バカにされるか、撃たれるか、どっちかよ」

「夏休みまでには、まだ時間がある。よく考えて、後悔のないように」

 誠は、部屋から出て行った。


 デイフィリアは、タブレットに保存してある、家族の写真を見た。




 部屋に戻る途中で、ミクと会った。

「ちょっと、話があるんだけど、いいかな?」

「どうぞ」

 そう言って、誠はドアを開けた。




「誠は、あたしの出自について、知ってる?」

「子供の頃に実の両親を亡くして、里子の下で育った」

「それだけ?」

「ああ。それだけだよ」

「写真すら残ってないのよ。それっておかしくない?」

「里親に配慮してのことだろう」

「それでも、あたしには知る権利があると思う」


 ミクは自分が、デザイナーベビーであることを知らない。それ故、血のつながりのある親はいない。家を建てるように、DNAを機械の中で組み立てて作られた、親のいない生命。


「訴えてみたらどうだ? アメリカは個人の権利を尊重する。特に、生命に関する主張には敏感だ。間違いなく、勝てると思うよ」

「それは、育ててくれた親に悪いわ。できない」

「育ての親に不満でもあるの?」

「まさか。まったく無いわ。とても良い人よ」

「それじゃあ、なんで実の親にこだわる?」

「自分で言うのも変だけど、あたしって、完璧に作られてない?」

「そうだね。美人だし、背も高いし、スタイルも良いし、頭も良くて、運動もできる」

「あたし、自分のことを、本物の人間じゃないんじゃないかって思う時があるの。まるで、別の生き物が、ヒトに変身したんじゃないかって」

「グレーゴル・ザムザもびっくりだ」


「お願いがあるの」

「なに?」

「アメリカに帰った時、親に会って欲しいの」

「なにそれ。結婚の挨拶みたい」

「ボーイフレンドを家族に紹介することぐらいするでしょ」

「何時から俺は、ミクのボーイフレンドになったんだ」

「あたしが好きになった時からよ」

「そのことは一旦、保留にして、親に会うのはかまわないよ」

「ありがとう」


 ミクは笑顔で部屋から出て行った。




 秘密を持つというのは、辛いな。相手が良い人であればなおさら、罪悪感が沸く。




 夏は、すぐにやってきた。

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