16年も放置しておいて、いまさら母親面するな。って気持ちです

 雨が滝の様に降ったと思ったら、パっと晴れる。雨に濡れると肌寒いが、陽が照ると射す様に眩しく暑い。そんな天気が代わる代わる訪れる日々が続く中、6月を迎えた。

 小松彩がやっているSNSに、ひとつの投稿がなされる。



「彩ちゃん、お母さんだよ。もうじき誕生日だね。あなたを引き取りたいの。今度、会ってお話ししたいです。返信、待ってます」




 横田誠は軽く笑って、

「これは、あからさまな詐欺だね」

「はい。私もそう思います」

「無視した方がいいよ」

「はい。それで、本題なのですが…」

「なに?」

「6月7日、私の誕生日です」

「うん。知ってる。プレゼントも用意してあるよ」

「デートしてください」

「いいよ」

「ありがとうございます」

「どこへ行きたい?」

「デートプランは私が考えるので、楽しみにしていてください」

「了解」




 同じ家に住んでいるのだから、一緒に家を出ればいいのだが、雰囲気を重んじて、渋谷駅で待ち合わせ。あえて、離れた駅で待ち合わせる。デートの演出。


 ハチ公像の前で待ち合わせする人など、今の時代、あまりいない。場所は音声がナビゲートするし、お互いの位置は情報交換できるし、時刻などを含めた間違いは全てナビゲーターが修正するので、会えないということは、まずない。たとえそれが見ず知らずの初対面であろうと、非合法な行いをしても。


 今から数十年前。ハチ公像前は待ち合わせの人でごった返し、それが逆に待ち合わせの目的を成していなかった。なにしろ、数メートル先さえ見通せないのだから。いまでは、駅まで見通すことができる。ハチ公はやっと、主人を待つことができている。それはハチ公にとって、幸せなことに違いない。




 そんなハチ公の前で、誠に選んでもらったワンピースを着て立つ小松彩。あえて、お互いのナビゲート機能をオフにしてまで『待ち合わせ』たのは、彩のこだわり。あらゆる情報が、耳に付けた端末から流れてくる。情報を入力すれば誰とでも簡単に出会えるようになった現代だからこそ、彩はやってみたかった。愛しい人を待つという行為をしてみたかった。


 


 自分でやっておきながら、効果は抜群だ。

 待ち合わせの時刻より、30分も早く着てしまった。彼が来るまで手持ち無沙汰。待ち合わせの段取りに間違いは無かったか? 本当に彼は来るの? 焦燥感が溢れて冷や汗が流れる。待ち遠しい。そんな気持ちがこみあげてくる。




 駅に誠の姿が見えた。彼は、私をみつけると、駆け寄ってきた。

「待った?」

「いえ」

 耳まで火照るのが自分でもわかる。昔の人は、こういう気持ちだったんだ。なるほど。悪くない。

「さっそくだけど、どこへ行こうか」

 その時、背後から声がかかる。


「彩ちゃん! 小松彩ちゃん!」


 振り返るとそこに、見ず知らずの、50歳ぐらいの女性がいた。

「はい」

 返事をしてから、しまった! と思った。名を呼ばれた時点で、気がつかないフリをすればよかった。しかし、彩は人を待つ気持ちに溢れていた。だから、思わず返事をしてしまった。

「やっぱり彩ちゃんだ。元気だった? 身体に異常は無い? 私のことわかる?」

「す、すいません。どなたか存じませんが、人違いではないでしょうか」

「メール読んでくれた? 今日、誕生日だよね。会いたかった。まさか、こんなところで偶然、会えるなんて」

 偶然? そんなバカな。


 狼狽する彩に、誠が割って入る。

「失礼ですが、どちらさまですか?」

「小松彩の母です」

「彩さんの母はずっと、行方不明でした。その人が突然現れ、しかも偶然会えるなんて、あり得ません」

「あなた失礼ね。いったい誰?」

「彩さんの同級生です」

「たかが同級生風情が、家族間に割り込まないでくれる!」

「彩さんとは、事情あって同居させていただいています」

「知ってるわよ。あたな、横田優人の息子でしょ」

 親父のことを知っている? この人、何者だ?

「ご存知でしたら話が早い。御用は事前に、当家の主を通してアポイントメントをお取りください」

「メールを送ったけど、無視したでしょ。それで直接、会うことにしたの。少し話すぐらいならいいでしょ?」

 ここで押し問答をしていても埒が明かない。

「わかりました。落ち着いた場所で話しましょう」




 近場の喫茶店に入る。

「まず、あなたの名前は?」

ワン 紅玉ホンユーです」

「王さん。先ほど、偶然会ったとおっしゃいましたが、直接会うことにしたともおっしゃいました。つまり、偶然ではなく…」

「そんなことはどうでもいいの!」

 声を荒げ、誠の話を止める。

「彩ちゃん。私と一緒に、中国へ帰りましょう」

「突然ですね」

「やっと中国で落ち着いた生活ができてね。アメリカでの監禁生活は、さぞ、辛かったでしょう」

「監禁生活? いったいなんのことですか?」

「全部知ってるよ。私たち夫婦から、彩を奪って、アメリカで人体実験のモルモットにされたって」

「それは誤解です」

「身体中、切り刻まれたって。なんて痛ましい」

「ですから、それは誤解です」

 これはまずい流れだ。


「王さん。小松彩さんが、あなたの本当の母親であるという証拠がありません」

「証拠なら、生体認証をみればわかるでしょ」

「生体認証は、個人を特定することはできても、血縁関係を証明することはできません」

「彩ちゃん。こんな男の言う事、信じちゃダメよ。あなたをだまそうとしてるんだから」

「母親であると主張されるのであれば、公的機関でDNA検査を受けてください」

「それであんたの気が済むの?」

「私ではなく、彩さんに聴いてください」

「もちろん受けるよね? 彩ちゃん」

「それであなたの気が済むなら」

「それじゃあさっそく、病院へ行きましょう」

「今からですか?」

「善は急げというでしょう」

「こちらにも予定があります。お互いに都合のいい日をすりあわせましょう。連絡先を教えてください」

「誰があんたなんかに教えるのよ」

「王さん、教えてください。私の連絡先もお教えします」

「良い娘に育って。ママ、嬉しい」




 横田優人は言う。

「先手をとられた」

 誠、彩、キャンディが静かに聞く。

「横田優人とRashomonが、幼児誘拐の罪で刑事告発された」

「誘拐?」

「なにそれ」

「今から16年前の6月。小松彩を横田優人とRashomonが誘拐し、人体実験の検体にしたとの訴えだ」

「濡れ衣じゃないか」

「そうとも言えない」

「?」

「病院に置き去りにしたのは、王さん。当時は小松さんと名乗っていたが。連絡が取れないことをいい事に、Rashomonで再生医療の検体にしたのは事実だ」

「でもそれって、表に出ない事だよね」

「そう。国レベルで隠蔽されている」

「だったら、そんな訴え、無視しちゃえばいいんじゃね?」

「そうもいかない。捜査はしっかり入る。それを公表するか、しないか、の違いだけだ」

「お国柄だな」

「相手が本当の親だと証明されると、こっちの分が悪い。親権譲渡の訴訟を起こすだろう」

「対抗策はないの?」

「幸い、病院に、小松さんと連絡が取れなくなった履歴が残ってる。アメリカは児童の保護に厚い。その記録を提示すれば、裁判は間違いなく勝てる。逆に、相手を育児放棄で訴えることも可能だ」

「それで、どうしますか?」

「王さんは、俺や誠、Rashomonについても知っていた。しかし、これは国家機密だから、彼女個人の手で得られる情報じゃない」

「裏で糸を引いている人がいると?」

「間違いない。俺としては、その存在まで突き止めたい。しかし、彩ちゃんに危険が及ぶ。それは本意じゃない。こっちに任せてくれれば、全て丸く収める。そこで彩ちゃん」

「はい」

「どうしたい?」

「16年も放置しておいて、いまさら母親面するな。って気持ちです」

「了解した。後はこっちでなんとかする。彩ちゃんは、大船に乗った気持ちでいてくれ」




 しばらくして、向こうから、DNA検査の辞退が一方的に送られてきた。ほどなく、連絡先そのものが削除された。

「親父がうまくやってくれたみたいだな」

 彩の表情は暗い。

「そうだ。誕生日プレゼント、渡し損ねてた」

 誠は、淡く青白い石のペンダントを渡す。

「6月の誕生石。ムーンストーン。安物だけど」

「ううん。とても嬉しです」

 彩は、ペンダントを着けてみた。

「可愛らしいですね。気に入りました。どうもありがとうございます」

「こちらこそ、どういたしまして」

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