父はこのためだけにアメリカから来ました
「キャーーーーーー!」
悲鳴をあげて陽子はしゃがみこんだ。
ドアを閉めて、誠は言う。
「おまえ、人が入ってる事ぐらいわかるだろ!」
「なになに?」
「なにかありましたか?」
ミクと彩が洗面室に入ってきた。そこには、陽子が素っ裸でしゃがみこんでいる。
「どうしました?」
「だいじょうぶ?」
「お兄ちゃんが先に入ってた」
「それは大変」
ドア越しに声を掛ける。
「お兄さんは出るところですか?」
「そうだが」
「一旦、退散するので、着替え終わったら声を掛けください」
「わかった」
ドタドタと、洗面室から人が立ち去る音がする。
静かになったので、そっとドアを開けた。誰もいない。誠は着替えて、自室に戻る手前、彩の部屋の前に立ち、ノックをする。
「はい」
「あがったから」
返事はなかった。
陽子とミク、彩の三人でお風呂に入る。
初めて見る浴槽に、ミクは興奮していた。
「これがお風呂ですね。楽しみにしていたんですよ~」
「アメリカでは、シャワーですからね」
ナイスバディのミクは元気に、浴室をはしゃぎ回っている。一方、おとなしい彩の身体には、無数の傷痕があった。これは、ふれちゃいけないんだろうな。
「みなさん」
彩が静かに言い始める。
「私の身体の傷なんですが、先に言います。子供の頃から身体が弱くて、いろんな手術をしました」
ミクは言う。
「どんな身体でも、それが彩」
陽子も言う。
「病気だったんだからしょうがない。その体も、彩の個性だよ」
「この身体を見せるのには、不安がありました。そう言っていただいて、不安も晴れました」
「早くお風呂入ろうよ~」
「入りましょう」
「待った!」
「?」
「お風呂へ入るには、マナーがあります」
「マナー?」
「まず…」
バスルームで、淑女三人が女子会を始めた。それはまるで、女神たちの語らい。恋に無常のまじりあい。浮世風呂という光景である。
薄暮の頃。
横田家にも夕餉が調い、ここを居にした六人がリビングにそろった。この家のホストである、横田家嫡男、誠と、妹陽子は、不機嫌で、テーブルを挟んで正反対の席についている。
キャンディがふたりの不機嫌に気が付く。
「ふたりとも、どうしたの?」
「お兄ちゃんに裸、見られた」
「あれはお前が悪いんだろ」
「ドアに鍵かけてなかったお兄ちゃんが悪い」
「いきなりドアを開けたお前が悪い。だいたい、俺の脱いだ服が置いてあったんだから、気が付くだろう」
「まあまあ、ふたりとも。みんなそろって初めての食事だ。ほら、Smile」
ミクと彩はご機嫌で、初めて食べる日本食に興味がつきない。
「美味しそう」
「ご馳走ですね」
アンが言う。
「夕餉は、豚の生姜焼き。唐揚げ。お刺身の盛り合わせ。サラダはオニオンスライスに
「アメリカから来たお二人には、日本での食事の作法を教えるね。まず、食事に手を合わせて『いただきます』と言います」
「知ってます。命をいただくという意味でしょう? 食べ終わったら、『ごちそうさま』ですよね」
「わかってるじゃん。それじゃ、いただこうか」
「待った」
「誠君、どうした?」
「空いている一席に食事が出てるけど。アンの分?」
「あーそれはね」
「それは俺の分だ」
そこに突然、誠と陽子の父、横田優人が入って来た。
「親父」
「お父さん」
「博士」
「先生」
「みんな、久しぶり。といっても、誠と陽子以外は、アメリカで一緒だったけどな」
「やっぱり。一度に人が集まるからおかしいと思ったら、親父の企みだったのか」
「企みとはひどいな。誠以外、全員女性だ。ハーレムだぞ、喜べ」
「いったいどんな企みがあって…」
「まあまあ、それは追って話すよ。それより食事をいただこう」
全員で言う。
「いただきます」
しかし、アンだけは立ったまま。
「アンは食べないの?」
「私はメイドですので、給仕に専念させていただきます」
「この料理、全部。アンがひとりで作ったの?」
「いえ。キャンディさんとふたりで作りました」
「さすがにこれだけの料理を、アンひとりじゃ作れないからね」
「で、親父はなんで帰ってきたの?」
「なんで? は、ないだろう。可愛い子供たちの顔を見に来たんじゃないか」
「冗談はいいから」
「冗談じゃないぞ。半分は本気だ」
「半分かい」
「四人そろって、新しい学校に入るんだ。陽子は中等部への転校だがな」
「その、四人そろって。親父の企みだろ」
「正解」
「この家も、今回の企みのために建てたんだろ?」
「正解。よくわかったな」
「東京にこんな豪邸があるって、親戚の誰からも聞いたことなかったし、大人数が住めるようになってるし、どうしてここまで?」
「今まで研究所近くの学校に通わせていたんだが、ミクも彩も、日本に引っ越してもらって、ついでに誠と陽子にも一緒に暮らして欲しくなってな」
「そのために、わざわざ?」
「今は食事を楽しもうじゃないか。アン。ビールくれ」
「はい。ただいまお持ちします」
「酒、用意してあったんじゃねーか!」
「あたりまえだ」
金髪碧眼のハリウッド女優にしか見えないミクが言う。
「迷惑でしたか?」
「まさか! 大歓迎だよ」
「良かった。あたしもみなさんとの生活が楽しみです」
黒髪に左目が赤いオッドアイの彩が言う。
「私も楽しみです」
俺は、ふたりが日本に来ることは歓迎している。しかし、
「誠さんと陽子さんは、どうしてお父さんと離れ日本で暮らしているんですか?」
「親父が情操教育に良いって」
「子供頃は、日本の田舎で育ってもらいたかった」
「今度は東京の学校へ行けと言われて、今ここです」
「日本での生活、初めてなので、楽しみです」
「私も、楽しみです」
「アニメと漫画がリアルタイムで観られます!」
「アメリカでも配信で観られるじゃないですか」
「日本のアニメは規制が厳しくて、アメリカではなかなか配信されません」
「そうなんだ」
「お風呂で妹さんとのラッキースケベ。初めて観ました」
「引っ越し初日にラッキースケベか!?」
「「ラッキーじゃないし!」」
「小さな頃は、一緒に入っていたのに」
「そんな歳じゃないし」
六人はひとつのテーブルで、初めての会食と歓談を楽しんだ。
ただひとり、おとなしくお酒を飲みながら、五人の会話を楽しんでいるキャンディがいた。
新学期が始まる。
桜は当の昔に散ったが、青い若葉を揚々と広げている。昨日はダウンジャケットが欲しいほど寒かったが、今日はTシャツで過ごせるほど暖かい。
誠はブレザーにネクタイ。ミクと彩は、チェックのスカートにリボン。陽子はブレザーとリボンの色が違う。
朝食のテーブルに、新入生三人と、転校生ひとりが集う。
今朝はずいぶんと人が少ない。
「アンさん。キャンディさんと親父は?」
「仕事があるということで、優人さんと一緒に出かけられました」
「ふーん」
「朝食は、カリカリベーコンの目玉焼き、トースト、オニオンスープ、ポテトサラダをご用意しました。お好みに応じて、バター、ジャムをお使いください」
「「「「いただきます」」」」
目玉焼きに醤油をかけ、半熟の黄身を割って、混ぜるミク。ソースをかけ、ざっくり切って口に運ぶ彩。マヨネーズをかけ、端からつまむ陽子。誠はなにもかけない。
誠はふと疑問に思い、ミクに訊いた。
「ミクさんは玉子の半熟、大丈夫なんですか?」
「なんで? 美味しいよ」
「外国の方は、生食しないって聞いたから」
「アメリカでも今では生食、普通ですよ。お寿司、お刺身大好き」
「アメリカの朝食は、フレークしか食べた記憶無いな」
「日本人の朝食は、お米に焼き鮭。お新香とお味噌汁なんじゃないんですか」
「何十年前ですか」
「それと一緒です」
彩は言う。
「お魚は、鯵もマグロも秋刀魚も。美味しいです」
陽子が言う。
「日本から輸出していますから」
「私、神戸牛好きです」
「日本産は安くて高品質。そして安全!」
「その代わりに、日本人は安い豚や鶏肉、養殖マグロを食べるという」
「誠さんは、おじさん臭いね」
「祖父母に育てられたので」
「ずっと日本ですか?」
「俺が四歳。陽子が三歳の時に、親父の教育方針とやらで、親父の生家に預けられました」
「それまではアメリカだったんですか?」
「そう。もっとも、当時のことはほとんど覚えてないけど」
「あたしは、まったく覚えてない」
「四人ともアメリカ生まれだね」
「そっか」
「アンは?」
「私も、アメリカ出身です」
「じゃあ、五人全員、アメリカ生まれだね」
四人で家を出る。改めて、四人で出かけるのはこれが初めてだ。
「ミクさんと、小松さんは…」
「ミクって呼んで。あたしも、ふたりのこと、誠。陽子って呼ぶから」
「私のことも彩って呼んでください」
「それじゃあ、ミク。制服を着るのは初めて?」
「初めてです。アニメで見てたので、コスプレしてるみたいで楽しです」
「彩も?」
「そうですね」
「陽子は可愛いね」
「あ、ありがとうございます」
陽子は、頬を赤く染める。
学校の校門に、『入学式』の看板が立てられていて、その隣に、父・優人が立っていた。
「親父…」
「お父さん」
「お~い! お~い!」
誠が駆け寄る。
「やめろよ、恥ずかしい」
ワクワクした顔で言う。
「四人で写真撮ろう!」
「このために、わざわざアメリカから来たのか?」
「おうよ!」
入学式の看板の横に、四人が並んで写真を撮る。
「あたし、転校なんだけど。関係なくね?」
「良いじゃないか、記念だ」
校舎の入り口に、クラス分け表が張り出されている。それを見て、誠は愕然とし、ミクと彩は喜んだ。三人が同じクラスなのだ。
教室に入り、真新しいクラスメイトと対面する。ホームルームまでには、若干、時間がある。前の席の男子が、誠に話しかける。
「金髪碧眼の娘。すっごい美人だよな」
「ああ、そうだな」
「なんか、反応薄いな」
ここで、一緒に住んでます。なんて言うと、話がややこしくなる。適当に話を合わせておくか。
「あまりにも別次元の美しさだからさ、むしろ視界に入らなかったよ」
「それじゃあ、君は、あっちの色白の娘が好みかな?」
「どの娘?」
「オッドアイの娘」
これまた、ドストレートに同居者を当ててくるな。
「君の方が興味有りなんだろ」
「わかる?」
そこに、隣の席の女子が割って入る。
「龍之介は好きよね。ああいう華奢な娘」
「守ってあげたくなるんだよね」
「今時、男子が女子を守ってあげるなんて、時代錯誤よ」
「そういうプリヤンカは、こちらの男子が好みじゃないか」
「ちょっと、変なこと言わないでよ」
「あの、ふたりは知り合い?」
「俺は、星 龍之介。プリヤンカとは中学からの同級生」
「腐れ縁ね」
「ウッセ」
「あたしは、
「横田 誠。東北の田舎から来た。よろしく」
「よろしく」
「よろしくね」
ドアが開いて先生が教室に入ってくる。その先生を見て、誠は驚愕した。
「はい! みんな席について」
おもむろに、電子黒板に大きく名前を書く。
「今日からこのクラスの担任になる、キャンディ・ハインラインです。よろしくね」
キャンディさんが担任? つーか先生?
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