8話 気づかずの再会

 今日もまた、気の沈んだお客様がこの店に来る。今日は目の下に大きな隈を作った、30代くらいのサラリーマンだ。


「すみません、ブレンドのフレンチプレスで。」

「少々お待ちください。待っている間、横になってていいですよ。お疲れのようですし。」

「ありがとうございます。」


そう言って彼は横になると、数秒で寝てしまった。


「どんなブラック企業なんだか。」


私は丁寧にミルを回し、静かにコーヒーを抽出していく。まあ少しくらいの音なら彼は起きそうにないが。


「すぅすぅ。」


私がテーブルに運んだときでも、彼はピクリともしなかった。ただ寝息を立てているだけ。コーヒーをテーブルに置き、静かにそこを離れ、厨房に入る。最近読んでいる短編集を開き、1話読み切る度に、彼のことを確認した。


 5話ほど進んだ時、彼は「うぅ」と声を上げて目覚めた。


「おはようございます。」

「僕、何分ぐらい寝てました?」

「30分ぐらいですかね。」

「そうですか。」


彼は重そうな瞼をこじ開けながらコーヒーを飲む。


「だいたい予想ついてると思うんですけど、僕、所謂ブラック企業ってやつに勤めてるんですよ。」

「ですよね。」

「上司もふんずりかえってばっかで、ただ指図するだけ。美人の女性社員には優しく接して、僕らにはゴミのような扱いをする。最近諦めてきましたけどね。」

「嫌ですね、その人。」

「あぁ〜。二上さん帰ってこないかな〜?あの人、下っ端の僕にまで気を遣ってくれて。」


今、二上って言ったよね。聞き間違えじゃないよね。てことは彼は飛鳥工業に勤めているということ。


「私ももともとそんなところで働いてたんですよ。嫌になって逃げ出しましたけど。」

「それで正解ですよ。ブラック企業って底なし沼だと思うんですよね。落ちたら沈むしかないというか。」

「頑張ってください!私の同期にそれで這い上がっていった人を知ってます。まだ終わりじゃないはずです。だから、今は粘ってください。」

「珍しいですね、そう言う人。」


彼はふふっと笑って残りのコーヒーを飲む。


「『そんな企業辞めたらいいのに』は何回も言われました。そんな『頑張れ』だなんて。いや、1番しっくり来ますね。」


「また来ます。上司の愚痴たくさん聞いてくださいよ。」

「お待ちしています。」


彼は足早に戦場へ戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る