5話 少し前のお話

―ミーンミンミンミンミーン


 店内でも汗ばむ今日もまた、店内には私以外誰もいない。それもそうか。この店の外観には何の特徴もない。少しガーデニングが好きな人の庭のような入り口に子供が遊ぶために作ったような小さな小屋。オフィス街から少し外れたところにあるのに漂う異国感。店の前に人は通るが、たまに写真を撮る学生がいるだけで、店内に入ることはない。はぁとため息をひとつ。私はまた、最近読んでいる短編集を開いた。


―カランカラン


 最初はなんの音か分からなかった。聴き馴染みの全くない音。明らかに近いのに遠いような錯覚まで覚えた。


「あの〜、空いてますか?」

「はい?あっ、ええ。」


少し知的そうな女性だった。歳は35歳くらいだろうか。丸渕の眼鏡からつぶらな瞳をこちらに向けてくる。


「すごいですね、この店。私、娘の写真を見てもしかしてって思って来たんですけど、まさか本当にお店があったなんて。」

「初めて言われました。まあお客様が最初ですから。」

「本当ですか?何か嬉しいです。」


そう言って、彼女はメニューを見る。


「ふふっ、面白い。じゃあブラックコーヒー、甘さ控えめで。」

「はい?」

「だから、ブラックコーヒー、甘さ控えめで。」


何を言っているのか分からなかった。私はきょとんとしてしまった。


「あれ?狙ったんじゃないですか?」

「何を?」

「連想ゲームですよ。ブラックコーヒーは『苦い』。また、コーヒーから伸ばし棒を取って古文読みすると『こい』。そして『甘さ控えめで』。繋げると『苦い恋、甘さ控えめで』。つまり、オーナーの失恋話じゃないんですか?」

「ほう、本当ですね。少し無理矢理ですけど。ん〜、じゃあ、私の作り話でもいいですか?」

「どうぞ。」



〇〇〇〇〇



 今日もまた、気の沈んだお客様がこの店に来る。と思えば、いたって普段通りそうな女性が入ってきた。


「ここ、お店だったんですね。少し前に通りかかったときから何なんだろうって思ってて。」

「すみません。分かりにくくて。」


彼女はメニューを見る。


「ここ面白いですね。ブラックコーヒー、甘さ控えめって。」

「いやぁ私のミスなんですよ、それ。」

「そうなんですか。直さないんですか?」

「はい、いい思い出です。」


私は外を見やる。そこには白い看板が1つ立っていた。


『お話聞きます。』


そう書かれている看板が。

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