第23話 正義の在り方

 リンスレットが到着した頃には、全てが終わっている状態であった。

 古びた小屋の中から感じ取ったのは、強烈な血の匂い。

 リンスレットが建物の中に入ると、飛び散った『肉片のようなモノ』と、鮮血に塗れた壁や床――思わず、口元を覆って吐き気を抑えるほどに、凄惨な光景が広がっていた。


「そんなに早く目覚めるとは思わなかったわ」


 やってきたリンスレットに対し、ユーリはひどく冷たい視線を向ける。彼女の両手は真っ赤に染まっていて、まだ鮮血がポタリ、と床に垂れている。

 その正面――先ほどリンスレットの元を逃げ出した少女が、呆然と座り込んでいた。


「何が……あったんですか」

「何もないわ。さあ、戻るわよ」


 リンスレットの問いに対し、ユーリは答えることなく踵を返して、小屋を出て行こうとする。

 それを止めたのは、リンスレットだ。


「待ってください。この状況で、何の説明もないんですか……?」

「説明が必要? わたしはさっき、あなたに説明したはずだけれど。吸血鬼は殺すって」

「それは聞きました! でも、こんなの……おかしいですよ!? あの子の前で、あなたは吸血鬼を殺したんですか!? それも、人の形すら保てないような――」

「元々、人の形なんてしていなかったわ」

「……え?」


 ユーリの言葉に、リンスレットは目を丸くする。

 ユーリは小さくため息を吐くと、近くに転がったモノを拾い上げた。


「これ、どこの部分か分かる?」

「……っ、口……ですか?」

「違う、腕よ」

「っ!?」


 ユーリが持っていたモノには、いくつか『人の歯』のようなモノが見えた。

 だから、『口』と答えたのに、ユーリはそれを『腕』だと言う。

 リンスレットは改めて、周囲を確認するように視線を送る。

 これが人であったのなら、確かにいくつか人らしきモノが転がっていてもおかしくはない――実際、そういうモノがいくつか見えるが、逆に言えば少なすぎる。

 歯のようなものは、およそ人が持っている数を軽く超えていた。


「分かったでしょう。わたしが殺したのは人でも、もはや吸血鬼と呼べるモノでもなかった。吸血鬼にすらなれなかった化物――あの子はね、それを必死に守ろうとしていたのよ」

「……」


 リンスレットは、ユーリの言葉に答えることができなかった。

 少女が守っていたのは、吸血鬼になれなかった化物だったのだ。

 仮にリンスレットがこの場にいたとして、どうにかできたわけではない――むしろ、そんな状態で生かしておくことの方が、本来であれば許してはならないことだろう。

 それでも、リンスレットには許せないことがあった。


「……だからって、あの子の前で、こんな……! あなたは、『正義の味方』じゃなかったんですか……!?」


 リンスレットは声を荒げた。――以前、ユーリに救われた時、確かに彼女はそう名乗った。

 吸血鬼でありながら、リンスレットを助けてくれたのだ。

 だから、ユーリは決して悪い人ではないと思っていた。それなのに――


「……ない」


 不意に、リンスレットは少女の声を聞いた。

 少女は虚ろな瞳のまま、ゆっくりと立ち上がる。


「許さない……許さない、許さない、許さないッ! あの子は、あたしの唯一の家族だったんだ! どんな姿でも、たとえ話ができなくても……ッ! あの子だけが、あたしの生きる希望だった! それなのに、あんたはッ! あたしの家族を奪ったんだッ!」


 少女は唇を噛み締め、拳を強く握り、ユーリを睨みつける。

 口元から鮮血を垂らし、握る拳も爪がめり込んで、出血している――化物に成り果てていても、この子にとっては家族だったのだ。

 そんな悲痛な叫びを聞いて、リンスレットは表情を歪ませる。

 自分が彼女に気付かなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない、と。そう考えた時、ユーリが踵を返して少女の元へと向かう。


「ユ、ユーリさん――」

「あなたは黙ってなさい。ねえ、あなた――わたしが憎い?」

「当たり前だ! 今すぐにでも、殺してやりたい……! 吸血鬼め……! 絶対に、許さないからな……ッ!」

「そう。それなら、わたしの名前を教えてあげる。わたしはユーリ・オットー――『吸血殺し』と呼ばれている吸血鬼よ。その名前を『調停騎士団』に伝えなさい。わたしを殺したいのなら、強くなることね」

「ユーリ・オットー……ッ!」

「ええ、忘れないようにね。――リンスレット、行くわよ」

「え、あっ、ちょっと……!」


 ユーリの後に続いて、リンスレットは小屋を出た。少女がリンスレットとユーリを追ってくるようなことはなかった。

 今の状態で飛び掛かったとしても、ユーリに勝つことができないと分かっているのだろう。

 小屋を離れたところで井戸を見つけ、ユーリがそこで手を洗い始める。


「……あの子に名前を教えたのは、どうしてなんですか?」


 リンスレットは気になっていることを尋ねた。あれほどの恨みを抱いている少女に、わざわざ名を教える必要などなかったはずだ。


「あの子は『生きる希望』を失った、と言ったわ」

「確かに、言っていました」

「けれどね、生きるのに必要なのは希望だけじゃない――生きるために、必要な意思さえあればいい。わたしは、あの子に『目標』を与えただけよ」

「目標、ですか……?」

「『ユーリ・オットーを必ず殺す』――それが今後、あの子の生きる糧になるでしょうね」

「っ、そんなのって……!」

「リンスレット、あなたはわたしに言ったわね。『正義の味方じゃないのか』って」

「! はい、聞きました」

「わたしにとっての『正義』に、同情はないのよ。あの子が可哀そうだから、何とか妹を救ってあげたい――そう考えるのだって、人間らしいとは言えないわ。あなたが仮に騎士としてあの場にいたら、どうしたの?」

「それは……」


 リンスレットは言葉を詰まらせる。答えは出ない――だが、するべきことは決まっている。

 ユーリと同じく、少女の大切なモノを殺すだろう。


「あの子にとって、必要なのは優しさじゃない。現実なのよ。妹は化物になって、吸血鬼に殺された。だから、今度は自分が騎士になって吸血鬼を根絶やしにする――そうやって、生きていく以外にないの。わたしにできるのはね、これ以上ああいう子を出さないために、中途半端な化物を作り出した吸血鬼を殺すこと」


 ユーリはそう言うと、今までに見せたことのないような殺気を、王都の方へと向けた。

 リンスレットはそれを見て、思わず身震いする。――目の前にいるのが、『吸血殺し』のユーリであることを、分からされたような感じだった。


「ぶち殺してやるのよ……この国を、自分のモノだと思っているクソ野郎をね」


 リンスレットはそれ以上、ユーリを問い質すことはしなかった。

 彼女は決して間違ってはいない――けれど、正しいわけでもない。

 だが、それを咎める権利も、正す権利もリンスレットにはなかった。

 リンスレットが怒りを向けるべきは、少女の大切な人を殺したユーリではない――少女にとって、大切だった人を化物へと変えた、吸血鬼なのだ。

 初めて、リンスレットはこれからすべきことを理解した。

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