第21話 逃げ出した者

『調停騎士団』の正騎士になるということは、簡単なことではない。

 従騎士になることならば、それなりの実力があれば可能であるが、そこから先に進むためには、多くの試練を乗り越えなければならなかった。

 故に、リンスレットもまた、正騎士に認められるだけの確かな実力を持っている。

 路地裏を駆けるローブの人影は、身軽な動きで障害物をものともしない。

 だが、それより早く動くのは――リンスレットであった。


(すごい……以前よりも、身体が軽い……?)


 ただでさえ、能力の高い者が吸血鬼となればどうなるか――もちろん、吸血鬼として才覚があるかどうかも重要ではあるが、完全に成っていないリンスレットでも、人間の頃に比べれば、さらに身体能力を手に入れていた。

 そんなリンスレットから、ただの人間が逃げ切れるはずもなく。


「はっ、はっ――」

「追いつきましたよ」

「っ!?」


 リンスレットがローブを掴み、その動きを制止する。思った以上に小柄で、リンスレットの胸の高さくらいに首根っこがあった。


「は、離せ……っ!」

「! その声は……」


 リンスレットがフードを無理やり剥がすと、盗人の正体が明らかになる。まだ、十歳前後の少女であった。

 手に持っているのは、先ほど露店で売られていた物と思われる野菜。少女を見る限り、手足はやせ細っていて、満足に食事を摂っていないのが分かる。


「離せよ! このっ!」

「落ち着いてください。別に、あなたをすぐに王国の騎士に引き渡すつもりはありません」

「! そ、それならなんで追って――ひっ」


 少女と目が合った。瞬間、少女の表情が怯えに変わる。

 リンスレットもすぐに気付いた――少女が、リンスレットの赤い瞳を見たのだろう。


「お、お前、その目――」

「あ、こ、これはですね……えーっと、ファッション! 最近、都で流行っているファッションです!」

「ファッション……?」

「そう。魔法で目の色を変えているだけなんです!」


 リンスレットが食い気味に言った。

 少女は怪訝そうな表情でリンスレットのことを見る。

 さすがに苦しい言い訳だったか――そう思ったが、少女は観念したようにため息を吐いた。


「分かったよ、なんだか、お姉さんも事情があるみたいだしね。離してくれたら、その目のことは誰にも言わない」

「それは構わないのですが、逃げないでくださいよ?」

「逃げないよ。逃げ切れるとも思ってないし」


 リンスレットは少女の言葉を信じて、解放した。

 少女はその場に座り込む。


「それで、あたしを騎士に引き渡すつもりはないって言ってたけど、それならどうして追いかけてきたの?」

「もちろん、あなたがただの犯罪者であるのなら、すぐにでも突き出すところでしょうけど。どうやら、違うようですから。食べる物に困っているのですか?」

「……だったら、何だっていうのさ。あたしらみたいなのは、普通に生きていけないんだよ」

「……盗んだ食料で生計を立てている、と? あなたくらいの年齢であれば、どこかの孤児院に――」

「孤児院? はっ、あたしはそこで売られそうになったんだよ? 大人なんて、誰も信用できないから、自分で生きていくしかないんだ」


 少女の表情は、怒りに満ちていた。孤児院において、人身売買が行われるという話は――聞いたことがある。

 もちろん、全ての孤児院が行っていることではないし、むしろそんな犯罪行為をしている方が少ないだろう。

 だが、少女にとってはそれが全てであり、大人は信用できないというのは――彼女にとって出会ってきた大人が全て、悪人だったということだ。


(『調停騎士団』なら、こういう子を引き取って面倒を見てくれるはずだけれど……)


 リンスレットがすでに戻ることのできない場所――だが、あそこは様々な国と協力関係にある組織だ。

 それだけ頼りにされている組織であり、資金面には余裕がある。

 リンスレットは、保護された子達の面倒を見たことだってあった。


「あなた、お名前は?」

「……それを聞いてどうするのさ」

「私はリンスレット・フロイライン――『調停騎士団』に所属する騎士です。今は訳があって離れていますが」

「――調停騎士団?」

「はい。王国の騎士団ではなく、調停騎士団であれば、あなたのような子達を保護することができます。ですから、私と一緒に――」


 瞬間、少女はすぐにその場から逃げ出した。


「え、ちょ――逃げないって約束だったじゃないですか!?」

「うるさい! 調停騎士団だって? そんな奴らの話なんか聞けるかっ!」

「ああもうっ、さすがに怒りますよ! こうなったら、私が騎士団で培ってきた『捕縛術』で……!」

「勝手に行動するなって言ったわよね」

「へ――ぶへっ!?」


 走り出そうとしたリンスレットは、上から降ってきた少女――ユーリに踏み倒される。

 そのまま頭を踏みつけられて、リンスレットは身動きを完全に封じられてしまった。


「ユ、ユーリさん……!? ちょ、い、痛いです……!」

「躾けのなっていないバカな吸血鬼を調教してるだけよ。町中で、勝手に行動するなんてどういうつもり?」

「そ、それは……身体が勝手に動いてしまったと言いますか、えへへ……」

「笑ってるんじゃないわ、殺すわよ?」

「そ、それより、今逃げた子! あの子が盗人だったんです! すごくやせ細っていて、その、ユーリさんなら分かると思うんですが、調停騎士団なら……」

「保護できる――そう言いたいの?」

「はいっ!」

「あなた、わたしの目的を話したわよね? こんなところで道草を食っている暇はないの。ましてや、自分から調停騎士団に近づくつもり? そこらの従騎士や正騎士ならともかく、わたしがこの近辺にいるってことがバレたら、色々と面倒なのよ」


 ぐりぐりと頭を踏まれ、リンスレットは苦悶の表情を浮かべる。

 その間にも、逃げた少女は姿を消してしまった。

 残されたのは野菜とリンスレットが掴んでいたローブの切れ端だけだ。


「ユ、ユーリさんには人の心がないんですか……!?」

「ないわよ、吸血鬼だもの」

「即答……!?」

「大体、あなたは他人を心配できる状況――」


 そこで、ユーリの動きがピタリと止まる。

 不意にリンスレットの掴んでいたローブの切れ端を奪うと、その匂いを嗅ぎ始めた。


「ユーリさん……?」

「なるほどね。あなた――中々いい嗅覚してるわよ」

「……へ?」


 ユーリに褒められているような気がしたが、何故そうなったのかリンスレットには分からなかった。

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