59 「夢? 君、夢があるの?」

「シロップ屋が、炭酸をうちのエルダーフラワーやビルベリーのシロップで割って飲むと美味しいよ、って宣伝してるからよ。大人って寂しい人達だわ、心からお祭りを楽しめないんだもの」

「それには同意」


 少年はムスッとしながら首を縦に振る。親と喧嘩でもしたかのような態度にクスリと笑う。


「あ、ピアノの順番回って来たわ。貴方も一緒に弾く? 一緒にピアノを弾く事って連弾って言うのよ」

「僕は良いよ。ピアノとか弾ける気がしない……あんなに指を早く動かすとか、人間じゃない」

「ふふっ、人間だからピアノを弾けるのよ。じゃ」


 少年が辞退しステージ横のジューンベリーの木の下に移るのを見てから、用意された椅子に座り楽譜を捲っていく。学校でよく歌ってる妖精の曲を見付け、これにしようと決める。


 ――ああ、良いな。


 やっぱり、自分はこの瞬間が好きだ。

 ピアノは自分の気持ちを音にしてくれる。イライラも悔しさも全部、抱き締めてくれる。

 将来はピアニストになりたい。帰ったら母にそう伝えよう。きっと自分の話をいつものように笑顔で聞いてくれるに違いない。


「はい、終わり〜。凄いねえ、上手だねえ」


 そんな事を考えながら演奏していたら、あっという間に夢の時間が終わってしまった。


「えっもう終わり?」

「うん。何回弾いてくれても良いから、また並んでね。さ、きちんと炭酸を貰ってってね」

「……はーい」


 もっと、という気持ちをぐっと飲み込み、木の下の少年に声をかける。


「ねえ、何味のシロップが良い? 選びに来て!」


 すぐに近付いてきた少年はテーブルの上に並べられた多彩なシロップ

を見て悩んだ後、「これ」と言ってチョコレートのシロップを指差した。


「あ、それ行くー? 結構スパイシーなのよそれ」

「えっ、駄目、かなあ? チョコレート」


 途端に少年が慌てだす。

 変な味を選んでしまったと思ったのだろう。格好良い外見をしてるのに、中身はあんまり格好良くなさそうだ。楽しくて笑いが零れた。


「ううん、駄目じゃない。好きな子は好きよ、それ! 私もそれ、たまに飲みたくなるし。でも、私はビルベリーの下さい」

「そう言って君は違う味の飲むんだね」

「私ベリーが好きなの。ね、一緒に飲みましょう?」


 自分の分はお小遣いから支払い、「有り難う」と何度も礼を言い目を輝かせて素焼きのカップを持つ少年と、すぐ近くにある崖の上に行った。少し高いところに行くと焚き火が良く見える。


「ベリー好きならこれあげるよ。さっき君がピアノを弾いている間に摘んだジューンベリー。炭酸と一緒に食べようかなって」


 そう言うと少年は、切り株の上に一握りの赤いジューンベリーを置く。ころころと転がる果実に目が釘付けになった。


「わっ! ベリーだ、嬉しい! 有り難うね! 背が高いと気軽にベリーが摘めて良いなあ、羨ましい」

「う、羨ましい……?」


 どこか不思議そうな少年の表情に笑みが零れる。学校でいつもふざけている男の子とは全然違う。


「私アストリッド・グローヴェンと言うの。トロムソ本島に住んでるわ。ねえ、貴方何て言うの? 何処から来たの? ここら辺では見ない顔だけど」


 早速ジューンベリーの酸っぱさを楽しみながら、嬉しくなって笑顔で尋ねる。


「ウィルって言うよ。北東にある……山奥から来た。う、ちょっとこれ飲めない味かも……ごめん」

「しょうがないなあ、じゃあ交換してあげる」


 どうやら本当に地方から来たらしい少年が、チョコレートソーダを飲んで変な顔をしたので、クスクス笑いながらカップを交換した。話しやすいのはウィルの瞳が優しいからなのだろう。


「有り難う、ごめん。ねえアストリッド、さっきのピアノ上手だったね。家でも良く弾いてるの? あ、ビルベリーは美味しい……」


 どうやらウィルはビルベリーの炭酸水は気に入ったらしい。先程と飲みっぷりが違う。


「ううん、家では弾いてない。うち、ピアノ置いてないから」

「それであんなに弾けるんだ? 凄いね。ピアニストかと思った」


 ビルベリーの炭酸を夢中で飲んでいる少年からの一生懸命な言葉。悪い気はしなかったし、とても素敵だと思った。


「ふっふっふー。私ピアニストになるのが夢だからね! 貴方に言って貰えて今決めた!」


 褒められたのが嬉しくて笑顔で話すと、美味しそうに炭酸水を飲んでいた少年の瞳が丸くなった。


「夢? 君、夢があるの?」

「そうよ。ピアニストになってみんなを笑顔にするの!」


 ニィっと答えると、ウィルはどこかポカンとしながら固まっていた。


「へえ……夢……夢……凄いなあ」


 何度も繰り返すその姿に、気恥ずかしくなると同時に疑問を抱く。


「なによー意外そうに。ウィルは夢無いの?」

「うん。山奥に住んでるとね、難しいよ。だから夢を語れる君は格好良い。なんか……感動した」


 そう言いまじまじとこちらを見るウィルに頬が赤くなった。

 そんなに熱心に見られたのは初めてだ。何か言うのも気まずくて黙って味の良く分からないチョコレートソーダを飲み、摘んでもらったこれまた味の良く分からないジューンベリーを食べる。

 崖下で燃えている赤い焚き火をチラッと見ても、隣にある青い瞳の方が気になって落ち着かない。

 ――そう思った時。

 森で2つの黒い人影が動いた。


「生意気な女にはこうだ!」


 ついさっき聞いた少年達の声にハッとする。同時に小石がこちらに向かって飛んできた。


「危ないっ!」


 目の前まで小石が飛んできたのと、ウィルが声を荒らげたのは同時だった。

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