58 「ソーダってあのソーダ? ……なんでそんなものくれるの?」


 祭り、と言ってもユールアフトン――他国ではクリスマス・イブとも呼ばれている――ほど盛大に行われている訳ではない。

 広場の中央で3階建ての屋敷より背の高い焚き火を燃やし、白夜の下夜通しそれを眺めるだけの祭り。

 スウェーデンではもっと盛り上がって、恋に落ちた男女が踊り明かす祭りだと聞くのに、ノルウェーでは読書や刺繍をする人ばかりで、せいぜいコーヒーやソーセージが振る舞われるくらい。我が国ながらなんとまあ退屈な国だろうか。

 でも自分はそんな日が大好きだった。

 長く暗かった季節に完全に背中を向ける日。夜通し起きてても大人に怒られない日。先日学校で弾いて面白かったピアノをまた弾ける日。


「今友達と喧嘩してるから本土の夏至祭に行こう」


 そう言う友達と一緒にトロムソ本島を出たアストリッドは、白の花冠を被った赤い髪をそよ風に揺らし、屋外ステージに設置されたピアノを弾くべく走って列に並んだ。

 ――が。


「ちょっと! 割り込まないでよ! 私が先に並んだのが分からないの!?」


 当たり前のように、目の前にでっぷりとした少年が割り込んで来たのだ。


「何だよこんな日にうるせーなー。俺はすぐそこから、お前はあっちから来たんだから、すぐ近くに居た俺の方が先に並ぶのは当然だろ」

「はあああ? どういう理屈よそれ! 貴方こそこんな日に馬鹿な事言わないで!」

「だからうるせーな。女は黙って待ってろよ」

「むー、誰が黙ってやるもんか!」

「はははっ、言ってろ言ってろ!」


 どうやら自分のすぐ前で並んでいた少年はこの少年と友達だったようで、先程からニヤニヤとこちらを見てくるのも気に入らない。ピアノを弾く事よりもやり返したい気持ちの方が強くなる。

 ムッと頬を膨らませながら、この少年達にどう鉄槌を下すかを考える。運営者の大人に注意して貰うのが1番だろうが、自分の他にも証言者が必要だ。

 周囲を見渡す。会場に居る人達はパチパチと燃える焚き火を眺められる位置に陣取り、手元に視線を落としていて、誰もこの少年が割り込んで来た事を見ていなさそうだ。


 ――いや。

 1人居た。木の下に居た少年だ。

 白夜の光を受け煌く金糸の髪と、海のように深い青色の瞳をしている。絵画から抜け出したように綺麗で、自分より数歳上だろう。細くて歪な杖を大切そうに抱いている。

 見目が綺麗なのに、自分達の諍いにびっくりしたのか、珍しい物でも見るように目を見開いていたのが少しおかしかった。こんな事、別にどこにでもあるだろうに。

 サーミ人の顔付きでもないし一体何者なのだろう。好奇心も擽られた。

 列から離れて木の下に行き、背の高いその少年に話しかける。


「ねえ貴方、今私があいつらに割り込まれたところ見てたよね?」

「えっ」


 話しかけられるとは思っていなかったのだろう。見るからに少年が慌てふためいた。


「見たよね?」

「え…っと、うん。すぐそこから来た俺のが先だ、って……」


 少年の口から紡がれるたどたどしい言葉。どこか情けなかったが別に良い。


「それだけで十分よ! ちょっと一緒に来てくれる? スタッフに言いつけてやりたいの。協力してくれる?」

「……それくらいなら」


 承諾はしてくれたものの、少年の態度はどこまでも煮え切らなかった。頷いたんだか首を横に振ったんだか分からないし、行き先が分からないようでキョロキョロしている。まるで初めてパリに出てきたアイスランド人だ。


「ああもうっ、こっちよ!」

「うわっ!?」


 痺れを切らし少年の腕をぐいっと引っ張って、ピアノの音のみならず遠方から軽快な弦楽器の音楽も微かに聴こえてくる会場を進む。繋いだ手は暖かった。


「ちょ、ちょっとどこ行くの? 僕友達と来てるんだけど……」

「スタッフが居るところよ。今は1人だったんだし良いでしょ、夏至祭で友達と別行動を取る事は少しも珍しくないわ。あっ、あのすみません!」


 焚き火の近くに居た男性スタッフを見付け、少年の腕を引っ張りながら駆け寄る。杖を持っているから足でも悪いのかと思っていたが、そんな事は無いようだった。


「……君も無茶苦茶だなあ」


 後方からどこか弾んだ呆れ声が聞こえる中、スタッフに先程の事を説明した。スタッフは最初億劫そうに応えていたものの、少年もおずおずと擁護に入ってくれると、自分の熱意に押されるように次第に話を聞いてくれた。


「おしっ!」


 注意しに行ってくれる事になったスタッフの後を追い、ニヤニヤ笑いを浮かべている少年達の元へ戻った。


「お前達、こんな日に割り込みをするなんて駄目じゃないか! それに女の子を何だと思ってるんだい!」

「えええっ、そ、そんな事し、してませんよぅ……!」


 男性スタッフに注意された少年達の声が裏返っている。大人と見るやこれとは情けない。そんな事を思いながら1歩前に出てスタッフの隣に並ぶ。


「してたじゃない! 見てた人だって居るんだからね! ねえ?」


 同意を求めるように少年に話しかける。


「う、うん……ああいうのは駄目だと思う」

「うあ、エルフ。お前見てたのかよっ!」


 小声ながらはっきりと発言した金髪の少年の事は、どうやら彼らも覚えているらしい。エルフと言うのは綺麗な見た目だからか。この容姿は目立っていたようだ。


「彼を覚えてるって事は、彼がした証言も本当だと言う事かな」

「大人しくそこを譲ってちょうだい、男でしょう!」

「うぐ……っ、ったく、すみません、でした! ふんっ! 卑怯だぞっ!」


 少年達は何も言い返す事が出来ないらしく、鼻息荒くピアノの前から逃げていく。


「こら、そんな言い方駄目じゃないかっ! 全く……さ、これでこの順番は君の物だよ。十分に夏至祭を楽しんでいってね」

「はいっ!! 有り難うございますっ!」


 踵を返すスタッフの背を見送りながら嬉しさの余り頬を持ち上げていた。振り返って、着いてきてくれた少年に礼を告げる。


「来てくれて有り難うね! スッキリしたわ。貴方も来てちょうだい、ピアノを弾いた人にはソーダをくれるのよ。お礼にあげるっ!」

「ソーダってあのソーダ? ……なんでそんなものくれるの?」


 少年は何故かソーダに食い付き後を着いてくる。

 陶器瓶に入っている事の多い炭酸水は良く売り切れてはいるが、滅多に見ない飲み物ではない。それを珍品のように言うとは。数歳上に見えるこの少年はどんな田舎から出て来たのだろう。

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