17話 天竜族

 やや上ずった声で言い切った竜だったが、その間も絶えず羽ばたき、高度を維持する。

 人が何人も乗れそうなくらい大きな両翼は、可愛らしいままの声と不釣り合いに逞しい。


 巨体を覆う鱗が日の光を柔らかに反射する。

 雪のように白い体は神秘的で、安易に触れることすら躊躇われるほどだ。


 ライルが後ろを見ると、ゆっくりと空気をかき混ぜる長い尻尾が目に入った。

 また視線を前に戻せば、傷ひとつ無い頭部と、そこから小ぶりの角としなやかな耳が生えているのがわかる。


 一方でフゲンはふと、かつて妹に読んでやった童話の1文を思い出した。


 「竜は一番きれいな生き物、大きな翼で空を飛びます」。


 なかなかどうして、あれは誇張表現ではなかったらしい。

 自分たちを乗せたこの生物は、何者にも汚されぬ美しさを内包していた。


「えっと……ひとまず、ここを離れますね。少し速度を出すので掴まっていてください」


 気付けば下りていた沈黙に気まずさを感じたのか、モンシュは遠慮がちに申し出る。


「わかった!」


「頼む!」


 ライルとフゲンが言われた通りに竜の体にしがみつくと、静かに上下するにとどまっていた翼がその動きを大きくした。


 そして、ぐぐ、と背から尻尾がうねったかと思うと、翼がひときわ大きく動き、白い巨体が勢いよく前進を始める。


 鳥より馬より速く天を翔け抜ける竜。

 周囲の景色は目まぐるしい速度で流れ、さっきまで居た場所はどんどん遠ざかって行く。


 ごうごうと吹きすさぶ風もなんのその、あっという間に街の外れまで辿り着いた。


「ここまで来れば大丈夫、ですかね」


 竜は呟き、辺りを見回しつつ減速する。

 そのまま翼と尻尾でバランスをとりながら高度を落とし、ゆっくりと地上に降り立った。


 ライルたちを尻尾でやさしく持ち上げ、竜は割れ物を扱うがごとく丁寧に地面へと下ろす。

 と、再び辺りに光が溢れ、大きな竜は小さな人の子へと戻った。


「スゲー……!」


 一連の鮮やかな動作を見届けた2人は、同時に感嘆の声を上げる。

 特にフゲンは興奮冷めやらぬ様子で、子どもに詰め寄った。


「えーと、モンシュだったか。お前、天竜族なんだな!」


「はい。『変身』を見るのは初めてでしたか?」


「おう、人生初だ! ホント、凄いなァお前!」


 相当感極まっているのだろう、彼はモンシュを「高い高い」の要領で持ち上げ、くるくると回り出す。


 ――天竜族、それは世に存在する5つの種族のうちのひとつ。

 人間の姿と竜の姿を自在に操り、自由に空を舞うことができる者たちだ。


 だが彼らの多くは天上国に住んでおり、他の地では滅多にお目にかかれない。


 モンシュがそうであるように、天竜族の竜態は非常に大きい。

 日常的に姿を切り替え生活する彼らにとって、気候の安定しない地上や、空の無い地底海底はあまりに不便で窮屈なのだ。


 全く暮らせないわけではないが、わざわざ不適な環境に身を置く理由がない、というのが一般的な認識である。


「おいフゲン、下ろしてやれ。お嬢ちゃんが困ってるぞ」


「あ、悪い」


 ライルに諭され、フゲンは回るのをやめてモンシュを下ろす。


「にしても綺麗だったなあ」


「いえいえ、そんな、綺麗だなんて」


 ぽっと頬を赤らめて照れた。

 もじもじしながらも嬉しそうに笑うその姿は、なんとも無垢で愛らしい。


「それで……その、さっきの『お願い』なんですけど」


 だが賛辞に照れるのもほどほどに、モンシュは咳払いをして切り出した。


「見ての通り僕はまだ子どもで、大人みたいに強くはありません」


 自分よりずっと身長の高いライルたちを見上げ、臆することなく続ける。

 その紫色の瞳には、煌々と燃える炎が宿っているようだった。


「でも竜態になって移動をお手伝いしたり、あとはちょっとくらいなら障害物も壊したりできます。ですから、どうか……僕を『箱庭』探しに同行させてください!」


 言い終えると共に、小さな頭が下げられる。

 髪に結ばれた白いリボンが、ひらりと揺れた。


「理由を聞いても?」


 ライルの問いにモンシュはこくりと頷く。


「僕の故郷の町には立派な塔がありました。昔から住民みんなの心の拠り所になっていた、大事な塔です。けど去年の大風災で壊れてしまって……」


 風災とは、しばしば天上国で発生する特有の災害だ。

 局地的かつ突発的に風が吹き荒れ、規模によっては家屋が倒壊することもある。


 昨年モンシュの故郷を襲ったものは歴史的に見ても大きいもので、人的、物的ともに甚大な被害が出た。

 そんな中で町のシンボルまでもが破壊されてしまったのだから、住民たちの心境は察するに余りあるだろう。


「直そうにも材料が特殊で、現存しない物なんだそうです。だから僕は故郷を出たんです。『箱庭』を見つけて、神様に塔の修繕をお願いするために」


「国の捜索隊に任せちゃいけないのか? 復興の一環なんだから、偉いさんたちも神サマに願うのを許してくれると思うぞ」


 話を聞いていたフゲンが、率直な疑問を口にする。

 しかしモンシュはふるふると首を横に振った。


「天上国は王族暗殺事件からずっと内政が混乱していて、『箱庭』捜索に十分な人と費用を回せる状態にはありません。他の国に先を越されてしまうのは目に見えています」


 情報を咀嚼するように、フゲンはゆっくりと頷く。


「なるほど、ならいっそ自分でってことか」


「はい。けどやっぱり、1人だけではできることに限界があります。そういうわけで、あなたたちとご一緒させてほしいんです」


 フゲンは言葉を最後まで聞き届けると、しばし考え込んだ。


 モンシュは見たところまだ幼い。

 10歳か、高く見積もってもおそらく13歳くらいだ。


 果たしてそんな子どもが、これから荒事も多くなるであろう冒険について来られるか。


 だが本人の口ぶりからして、天上国からカラバン公国までは自力でやって来たのだと思われる。

 その点は評価しなければなるまい。


 加えて先ほどのこと。

 確かにモンシュは、竜態を上手く活用しフゲンたちの離脱を手助けした。


 そうすると、幼いから連れて行けない、という判断は不適切だろう。

 ……同行させても、良いのではなかろうか。


「なあライル、こいつ」


 自分の考えを相方に伝えるべくフゲンは斜め後ろを見る、と。

 そこにはいつぞやのように、尋常でない涙の流し方をしているライルがいた。


「うわっ」


「きゃっ!?」


 フゲンとモンシュは思わず悲鳴を上げる。


 既に見たことのあるフゲンが少し遅れて「ああ、あれか」と納得する傍らで、初見のモンシュは当然ながら全く状況を呑み込めない。

 おろおろと手を出したり引っ込めたりしながら、ライルに声をかける。


「あ、あの、大丈夫ですか? 人間が出しちゃいけない量の涙が出てますけど」


「平気だ、気にしないでくれ。ちょっと涙もろいだけだ」


「『ちょっと』……ですか? これ」


 ライルは前回同様袖で涙を拭うが、やはり間に合っていない。

 もはやホラーである。


「モンシュ。お前の心意気、しかと伝わったぜ」


 滝のような涙を流しっぱなしにしたまま、彼はニコリと笑顔を見せた。


「お前をこの雷霆冒険団に迎え入れよう!」


 どんと胸を叩き、高らかに宣言する。

 異様な状況に困惑一色だったモンシュの顔が、パッとほころんだ。


「いいよな、フゲン?」


「ああ。オレもそう言おうと思ってたところだ」


「ふふ、思ってると思ってた!」


 ライルとフゲンは意思を確認し笑い合う。


「あ、それと……」


 と、そこでモンシュが何かを言おうとして、しかし中断する。


 まだ何か伝えたいことがあるのだろうか。

 ライルはモンシュの肩をぽんと叩き、穏やかだが力強い声色で言った。


「どうした? 気になることがあるなら言ってくれ。もう仲間なんだから、遠慮はいらないぜ」


 仲間、という単語に紫の瞳が輝く。

 モンシュは「わかりました」と首肯し、止めていた言葉を再び紡ぎ出した。


「えと、お2人とも勘違いしてるみたいなんですけど……」


 ちょっぴり恥ずかしそうに、続けて言う。


「僕は男ですので、その点お知り置きくださいね」

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