10話 魔法
男――ファストは右手を持ち上げると、人差し指をついと動かした。
途端に彼の足元に伸びる影がぐにゃりと歪む。
「影魔法戦闘術……《断罪の剣》」
言い終えるが早いか、影は急速に剣の形を成し、実体を持って地面から出て来た。
ファストはそれを掴み、具合を確かめるように軽く振る。
「げっ、魔人族だったのかよ」
彼の挙動の一部始終を見、フゲンは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
魔人族は世に存在する5つの種族の中で唯一「魔法」を使用できる種族だ。
彼らが豊富に有しているエネルギー、「魔力」を消費して行使される魔法は、超常的な現象をいともたやすく引き起こす。
何も無いところから火や水を出す、物を浮かせる、人の能力を向上させる……その可能性はほとんど無限大だと言って差し支えない。
今こうしてファストが自分の影を剣に変化させたのも、魔法によって行われたことであるなら何も不思議ではないのである。
「くく、魔法は苦手か?」
わかりやすく忌避の反応を見せたフゲンに、ファストは嬉しそうに笑う、が。
「違えよ。オレが苦手なのは魔法じゃなくて魔人族だ。弱い奴を殴るのは趣味じゃねえからな」
返って来た言葉を聞くや否や顔を引きつらせた。
張り付けた笑顔にヒビが入ったと、もしこの場に他の人間がいれば10人中10人がそう思っただろう。
補足しておくと、フゲンが口にした「魔人族は弱い」という主張はあながち間違いではない。
魔人族は魔法という強力な武器を扱える代わりに、生身の身体能力は全ての種族の中で一番低い。
人間族を1とすると魔人族は0.5と表されるくらいで、体そのものもあまり丈夫ではない。
それを補って余りあるほどに魔法の力は偉大なのだが、如何せんフゲンの戦闘スタイルは己の肉体のみを以て直接相手を攻撃する、いわゆるステゴロ戦法である。
したがって、フゲンが魔法を使ってくる魔人族に攻撃を当てることは、彼にとっての「弱い者を殴る構図」になってしまう。
フゲンはそれが嫌なのだ。
「へえ……? 随分とお優しいんだな」
だがファストにそんな意図が伝わるはずもなく、その手に握られた影の剣が怪しく蠢く。
どす黒いオーラを放ち、振るわれるのを心待ちにしているかのようなそれは、彼の心内を表しているかのようだった。
それでもファスト本人はなんとか笑顔を保ち、冷静であろうと努める。
「でも俺はお前さんほど気の利いた人間じゃないからなあ……」
「わかる、お前なんか性格悪そうだもんな」
彼らの様子を窺っていたライルは、フゲンの口を塞いでおかなかったことを後悔した。
ファストは目を閉じて、深く深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして目にも止まらぬ速さで剣を振った。
「死ね!!」
真っ黒な剣が蔓のように伸び、フゲンの顔めがけて一直線に向かってくる。
もはや彼は怒りを隠そうとはしない。
とにかく目の前の失礼極まりないチンピラを、全力で叩き潰さねば気が済まなかった。
「おっと」
しかし黙ってやられるようなフゲンではない。
頭をひょいと左にずらし、ファストの攻撃を難なく躱す。
的に当たり損ねた刃はするすると縮み、元の形に戻った。
「へえ、多少は動けるんだな」
「まあな」
「ならその目障りな挙動を封じてやる」
またファストが剣を振るう。
ただし今度は刃が伸びることは無く、代わりに剣から黒い針のようなものが分離してフゲンの足元に刺さった。
「んだこれ、釘か?」
フゲンは訝しげに眉をひそめ、身をかがめてよく見ようとする。
が、どうしたことか彼の意思に反し、その体は微動だにしなかった。
「ア!?」
予想外の事態にフゲンは素っ頓狂な声を上げる。
手足に力を入れるが、まるでびくともしない。
慌てふためくその様子を見て、ファストは心底愉快そうに笑う。
ざまあみろという嘲りがありありと顔に浮かんでいた。
「影魔法戦闘術、《磔刑の釘》。俺の影でお前さんの影を縫い留めた。魔法が解けるまで、お前さんは指一本動かせないぜ」
相手が完全に無力化されたのを良いことに、余裕綽々でご丁寧に解説を加えるファスト。
こういうことをするのだから、性格が悪そうだと言われるのも仕方がないだろう。
「さあ、どう殺してやろうか。俺を愚弄したんだ、楽には死なせないからな」
剣を片手に、ファストはフゲンに歩み寄る。
傍らに控えるカラスも、心なしか彼を笑っているようだった。
「生意気なペットに性格悪い飼い主……お似合いだぜ、お前ら」
抵抗を試みることはやめないままに、フゲンは言う。
実のところ内心かなり焦っているのだが、それをこの性悪に見せるのは癪だと考えてのことだ。
「何とでも言うがいいさ。もうお前さんに勝ち目は無い」
ファストはフゲンの前で立ち止まる。
彼の影に刺さる釘を片足で踏みつけると、すらりと剣を掲げた。
「そうだな、まずは右腕から落とそうか」
いよいよマズいとフゲンは思うが、動けないのだからどうすることもできない。
せめて悲鳴だけは上げぬようにと、腹をくくってファストを見据える。
そして剣が振り下ろされようとしたその瞬間、よく通る声が2人の間に割って入った。
「天命槍術」
ファストは己の目を疑った。
つい先ほどまで誰もいなかったはずの目の前に、突如として青年――ライルが現れたからだ。
「《晩鐘》!」
ライルは槍の柄をファストの腹に叩き込む。
完全に不意を突かれたファストに回避の術は無く、彼は手痛い一撃をもらってしまった。
「このっ、いつの間、に……?!」
ファストはすかさず反撃をしようとして、しかし膝から崩れ落ちる。
体中を途轍もない痺れが駆け巡り、そのせいで体に力が入らなかったのだ。
彼が床に倒れ込むと共に、魔法で実体化していた剣と釘がただの影に戻る。
「お、動く」
「いったん逃げるぞ!」
その隙にライルは素早くフゲンの手を取り、彼を半ば引きずるようにして遺跡の奥へと走った。
場に残されたファストは床に伏したまま、かろうじて顔だけを動かし、恨めしげに彼らの消えて行った方を睨む。
左に曲がって行ったのは見えたが、その後の進路は推測しようがない。
「……俺としたことが、敵の存在を忘れるとは。熱くなりすぎたな」
主人を心配するように、カラスがちょんちょんと寄って来る。
ファストは健気なペットに少し笑いかけ、また険しい顔をした。
「いや……本当にそれだけか……?」
* * *
「お前お前お前、馬鹿か!? なんで得体の知れない奴相手に煽ったんだよ!」
遺跡の深部、かつては小部屋であっただろう場所にて、ライルの声が響き渡る。
「あ? 煽ってねーよ、思ったことそのまま言っただけだ」
「余計タチ悪いわ! お前、俺が助けに入らなきゃ死んでたんだぞ!」
「それはそうだな。ありがとう」
「素直ッ……!」
屈託のない感謝の言葉に怒気を削がれるライル。
と、そこでフゲンが彼の足元に転がるものに気付いた。
「あれ、いつの間に持って来たんだ?」
そいつ、と指をさされたのは先ほど2人が拘束した執行団の男。
思えばファストと対峙していた時、途中からライルも男もいなくなっていたな、とフゲンは回想する。
「あの赤髪が動きを封じる魔法を使う直前に、こいつを連れてここまで退避したんだよ」
「でもオレも赤髪も全然気づかなかったぞ?」
「それは……あー、ちょっとややこしい話なんだが……俺が魔法を使ったんだ」
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