7話 相方は投げるもの
「おいおいおいおい待て待て待て待て!!」
「黙っとけ、舌噛むぞ」
「投げる」案が却下された直後。
フゲンはライルの同意を得ないままに彼を持ち上げていた。
「オレの鞄、頼んだからな。落とすなよ」
「俺が落ちる心配をしてくれねえかな!?」
己の鞄を強引に押し付け託すフゲンに、ライルは理解が追い付かない。
話を聞いていなかったのか、普通もうちょっと耳を傾けるだろ、というか人に荷物を預けるなら頼み方というものが……と、言いたいことが飽和する。
見た目と口調のわりに冷静なところがあると評価していたが、間違いだったか。
下ろせ下ろせと暴れるライルだが、体全体をがっちりと抱えられているため、抵抗は虚しく意味を失うばかりである。
誰が見ているわけでもないが「日が暮れて暗くなった湖畔で嫌がる人間を捕まえる人間」の絵面はほとんど人攫いのそれだ。
「おーし行くぞー」
「やめ、やめろ馬鹿! アホ! スカポンタン!」
ライルは記憶されている罵倒文句を総動員して、なんとか彼を止めようとする。
が、フゲンは聞く耳を持たず、振りかぶる姿勢に移行した。
「せー……」
「お、おい」
顔を引きつらせるライル。
「のっ」
無慈悲。
その一言に尽きる。
フゲンは迷い無く、相方を遺跡の方へとぶん投げた。
後で一発殴ってやるからなお前! と声にならない声で叫びながらライルは宙を舞う。
「ぐえっ」
正味2秒、体感20秒後。
彼は潰れた蛙のような音を出して着地した。
「あ、あれ……?」
そう、着地したのである。
ライルは目を丸くしながら地面をぺたぺたと触り、自身が着水しなかったことを理解した。
「マジか」
一方的に託された鞄も無事であることを確認して、彼は嘆息する。
まさか本当に、青年1人をこの大きな湖の中心まで投げ飛ばせるとは。
しばし唖然としていたライルだが、フゲンを疑ったことを謝らねばと思い立ち岸の方を振り返る。
すると岸、ではなく目の前にフゲンその人が立っていた。
ライルは思わず肩を跳ねさせる。
「びっ……くりした……。え、何お前どうやって来たの?」
「泳いで、に決まってんだろ」
「速くね?」
言われてみれば、フゲンは頭のてっぺんから爪先までびしょ濡れだ。
なるほど泳いだというのは本当らしい。
だがものの数秒で岸からこの陸地まで来たとなると、彼の泳ぎは凄まじい速さであったことが予想される。
にわかには信じ難いことだが、実際に起こったことなので信じざるを得ない。
ひとまずライルは頭を下げた。
「その……疑ってゴメン」
「あ? いいよ別に。オレも話聞かなかったし」
フゲンは上着を絞りつつ、平然と言う。
ライルの抗議をガン無視したのはわざとだったようだ。
「まァ説明するよりやった方が早いだろ?」
絞り終えた上着をパンパンと張り、彼は続ける。
「今までいろんなことを『自力』で解決してきたけど、初見で信じる奴とかまずいなかったし……あ、投げたのはお前が初めてだからな! 喜べ」
「お、おう」
どこに喜ぶポイントがあるのかイマイチわからず、ライルは曖昧に頷いた。
それにしても滅茶苦茶である。
有角族なら青年1人を投げ飛ばせるのも納得できなくはないし、海竜族なら恐ろしく泳ぎが速いのも納得できなくはない。
だがしかし。
「フゲン」
「なんだ」
「お前、種族は?」
「人間族」
彼はそのどちらでもなく、人間族であった。
ライルの頭はとうとう「理解不能」を吐き出し、思考を停止する。
もうこいつはこういう奴なんだ、突然変異的なアレだ、と哀れな青年は無理矢理に溜飲を下げた。
「んなことよりさっさと中に入ろうぜ」
「ああ……ウン、そうだな」
2人は遺跡の正面へと歩き出す。
本当ならばこのまま裏から侵入するのが一番なのだが、如何せん入れそうな箇所が見られない。
彼らは上手く警備員をかいくぐって進むほか無いのである。
「せっかくここまで見つからずに来られたんだから、このまま中まで行きたいところだが……」
外壁に身を寄せ、2人はそっと正面入り口の方を窺う。
暗がりのなか目を凝らすが、遺跡の外に出ている警備員は見えない。
ライルたちは壁伝いに入り口付近へと移動した。
「後ろ見張り頼む」
「おう」
フゲンに背後を任せ、ライルは遺跡の中を慎重に覗き込む。
石造りの壁には灯りが掲げられており、奥へと続く階段や通路を照らしていた。
「誰もいない、か?」
これ幸いとライルは内部に足を踏み入れ、ぐるりと辺りの様子を確認する。
見た限りでは人っ子ひとりいないようだった。
「どうだ?」
問いかけるフゲンにライルは「行けそうだ」と答えるが、その表情は浮かない。
それもそのはず、裏手ならまだしも入り口に警備員がいないなど、どう考えても異常である。
警備に割く労力が減らされたというのならば筋は通るが、ここは他でもないカラバン公国だ。
国として、神殿の遺跡をぞんざいに扱うはずがない。
これは何かあったと見るべきか……と警戒しつつ、ライルはフゲンと共に遺跡内部へと足を進める。
「下に行ける階段と奥に続く通路があるが、どっちから行く?」
「先に奥。オレの勘がそう言ってる」
「じゃ、そうしよう」
ライルたちは進路を決め、壁の灯火を頼りに歩く。
こうして火があるということは、人がいるか、既に去っていてもそう時間は経っていないということだ。
ではやはり警備員はいるのだろうか、とライルは思考を巡らせる。
同時に、いつでも戦闘態勢に入れるよう槍を握り直した。
コツコツと2人分の足音が遺跡内に反響する。
灯火が揺れるのに合わせて影が伸び縮みしている。
少し冷ややかな風が吹き込んだ。
「! 止まれ」
いち早く気付いたのはライルだった。
彼は曲がり角の直前で立ち止まるとフゲンを手で制し、耳をすませる。
「……を…………せ」
「こ…………」
「…………ない……」
ライルは固唾を呑み込んだ。
風の音に紛れて、確かに複数人の話し声が聞こえてくる。
「警備員の奴らか」
フゲンも気付いたようで、面倒だなと眉間にしわを寄せた。
「どうする、ライル」
「殴って気絶させれば早いが、それは最終手段だ。隙をついて見つからないように進もう」
「…………わかった」
若干不服そうな顔をしつつも、フゲンは首肯する。
2人はあそこにいる警備員は多くとも3、4人だろうと検討を付け、来た道を少し戻った。
曲がり角はT字になっている。
そのまま真っ直ぐ行ってくれれば彼らのいた方に進み、こちらに曲がって来たら一度外まで退却、という作戦だ。
ライルとフゲンは姿勢を低くし、先ほどまでいた突き当りをじっと注視する。
警備員たちは来るのか、通り過ぎるのか。
息を殺して彼らの登場を待った。
「…………だろうに……」
「遺跡……我々が……」
「過ぎた……を言っても……」
声と足音がどんどん近付いて来る。
ライルたちは視線を交わらせ、頷き合った。
「とにかく報告だ。あまり待たせては申し訳ない」
遂に声の主たちが姿を現わす。
ところが、灯火に照らされたその者たちは警備員などではなかった。
「うわ、執行団かよ……!」
「え、あいつらが噂の?!」
フゲンは苦々しく吐き捨て、ライルも彼の口から出たその名に反応する。
曲がり角に現れた彼らは、まるで敬虔な信徒のような服装に身を包んでいた。
だが各々が手に持つ物騒な刃物や衣服に表された奇妙なマークが、彼らが普通の信徒ではないことを告げている。
それまで身を隠すのに徹していた2人だが、相手が何者かを知るやすぐに戦闘準備に入った。
作戦変更だと、言うまでも無く通じ合う。
ライルたちがそうするのも無理はない。
執行団とは、「武力を以て神の裁きを執行する者」――すなわち、狂信者たちの武装集団なのだから。
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