第1章 萌芽:春来たるが如く

1話 2人の青年

 夕暮れの町の中を、北から南へと走る影があった。


 影の正体は青年。

 名をライル。


 くすんだ緑色の髪をほどほどに切り揃えた、ごく一般的な体躯の人物だ。

 金色の瞳は夕陽を反射してキラキラと輝き、しかと前を見据えている。


 固く結ばれた口元は正義感の表れか、はたまた義憤の表れか。


 彼はその手に槍を握りしめ、町の中心めがけて一目散に走って行く。


 一方で、夕暮れの町の中を、南から北へと走る影もあった。


 影の正体は、こちらも青年。

 名をフゲン。


 銀色の髪を右目が隠れるように切り揃えた、やや長身で体つきの良い人物だ。

 赤色の瞳は夕陽を反射してギラギラと輝き、射貫くように前を見据えている。


 弧を描く口元は闘争心の表れか、はたまた好奇の表れか。


 彼はその拳を握りしめ、町の中心めがけて一目散に走って行く。


 2つの影は稲妻のごとく速く、道行く人々に脇目も振らずに走る。

 じりじりと沈んでいく太陽の眩ささえ、有って無いも同然だ。


 彼らが足を進めるにつれ、段々と周囲に散在する人間が増えて行く。

 それはこの先に、人々の注目を集めるものがある証であった。


 人の数が増えれば密度も増していく。

 やがて2人の往く道を塞ぐほどの、人の群れが現れた。


 決して広くはない道に詰まる有象無象。

 これでは通ることはおろか、前方に何があるのか確認することすらできない。


 しかし彼らは止まらなかった。

 人混みを超えた先に自らの「目標」があると確信していた。


 「目標」の北側にて、ライルは槍を構える。

 持ち手を下に、少し先の地面へと突き立てる。


 そして手に力を込めるや否や、彼は勢いよく重心を前へと放り出した。

 槍を支柱にして身体が宙に舞う。


 目の前の光景に釘付けの群衆は、頭の上を飛び越えていく青年に気付かない。


 時を同じくして、南側で。


 フゲンは軽く跳躍するように右足を踏み出す。

 と共に身を少しかがめ、腕を大きく振る。


 そして力強く右足に体重を任せるや否や、彼は勢いよく地面を蹴った。

 尋常ならざる脚力で身体が宙に舞う。


 やはり目の前の光景に釘付けの群衆は、頭の上を飛び越えていく青年に気付かない。


 同時に障害物を乗り越えた2人は、同時に「目標」を視界に捉える。


 町の中心部で、野次馬を牽制するように刃物を振りかざす男。

 若い娘の首に腕を回し、己が身を守る盾とする暴漢。


 それこそがライルとフゲンの「目標」……すなわち標的であった。


 ライルは槍を素早く手元に引き寄せ、臨戦態勢をとる。

 フゲンも握りしめた拳を振りかぶり、攻撃準備をする。


 見事なほどにシンクロした動きをとる2人だったが、ここで留意しておかなければならないことがある。


 彼らは、全くの他人だ。


 直接会ったことも無く、ましてや暴漢を挟み撃ちにしようなどと示し合わせているわけでも、向かい側から自分と同じような行動をする人物がいるのを知っているでもない。

 つまり何が起こるのかというと。


「え?」


「あ?」


 放物線を描いて落下しながら暴漢に一撃を加えんとする2人は、ここで初めて顔を突き合わせ、お互いの存在に気付いた。


 視線は男から目の前の青年へと移り、金と赤の瞳が交わる。


 おそらく彼らは注意力散漫な馬鹿であった。

 ちょっと丁寧に言ってやるならば蝉を窺う螳螂であった。


 尤も、彼らの背後に黄雀はおらず、もう1匹の螳螂が前方にいたわけなのだが。


 ともかく彼らは予期せぬ第三者の登場に困惑した。

 困惑は彼らの思考を大いに乱した。


 乱された思考は、次の一手を打ち間違える。


 1秒にも満たない間を置き、ライルとフゲンは同時に叫んだ。


「――誰だお前!」


 言い終えると同時に、彼らは頭をぶつけた。



* * *



 この日、田舎町ウィクリアは非常に平和であった。

 否、この日「も」と表した方が正しいか。


 朝は静かに訪れ、昼は賑やかに過ぎ、夜は少しの余韻を残して閉じる。

 そんな毎日をもう何十年と繰り返していた。


 都会から遠く、治安が良いウィクリアの町。

 住人たちは、世を騒がせる事件もそこはかとなく不穏な空気も、新聞超しにしか知らないし感じない。


 故に、誰もこの町で事件が起こるなどとは思っておらず、いざ本当に起こってしまっても――先に描写した通り――彼らはただ野次馬に徹するしかできなかったのである。


「で、だ」


 群衆の中心で、地べたに座り込んだ青年ライルは神妙な面持ちで口を開いた。

 その額は一部が赤く腫れており、まさに今しがた頭をぶつけましたという風貌になっている。


 向かいには同じく座り込む青年フゲン。

 こちらもやはり額を腫らしている。


「言いたいことは山ほどあるが、差し当たって俺たちがすべきは」


「逃げたあいつを追いかけてとっ捕まえる」


「だな」


 2人は互いの意志を確認し、頷き合う。


 既にこの状況からおわかりかもしれないが、先ほど仲良く正面衝突をした2人は、それなりの激痛に悶えているうちに暴漢を取り逃がしてしまった。


 この件に関して、両者の落ち度は五分五分。


 前方不注意の馬鹿とはいえ、それがわからぬほどではなかったようで、2人は相手を責めることなく早々に態勢の立て直しを図っていた。


 不安げに見守る群衆を余所に、ライルとフゲンは土を払って立ち上がる。


「あいつが逃げてったのはこの中だな?」


 ライルは視線を目の前の建物に向けたまま、一番近くにいた男性に問いかける。


「あ、ああ」


 不意を突かれた男性はやや狼狽しながらも答えた。


 それを聞き、「ありがとう」と彼に笑いかけるライル。


 男性含め、野次馬たちはこれに内心首を傾げた。


 さっきまでは周囲の人間などまるで眼中に無い様子だったのに、いったいどういう風の吹きまわしだろう。

 フゲンの方は明らかに民衆を気にしていないが、ライルはどうも気にしているのか、いないのかがハッキリしない。


 名も無き面々は訝しんだ。

 上手く言葉にできないが、この青年には何か違和感、と言うには不快さに欠けるものがあると。


「おし、行くか」


 そんな人々の心を知ってか知らずか、ライルは槍を持ち直してフゲンに声をかける。


「ああ」


 フゲンは待ってましたとばかりに笑い、一切の迷い無く歩き出した。


 暴漢の立て籠る建物へと、いざ踏み込まんとする2人の青年。

 その様子はさながら英雄のようでもあった。


「そうだ緑髪。お前、名前は?」


「うーん、お前が教えてくれたら教える」


「なんだそれ……。ま、いいや。オレはフゲン」


「フゲンな、覚えた。俺はライル」


「ああ、そんな顔してるわ」


「マジ? してる?」


「おう」


 呆れるほどに呑気な言葉を交わしながら、やがて彼らは建物の中へと姿を消した。

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