2話 打倒暴漢

 少女を連れた暴漢は、押し入った建物の中で項垂れていた。


 この男が何者なのか。

 端的に言うならば、各地を転々とする盗人だ。


 まともな職に就くことをせず、人から、あるいは店から金品を強奪してそれを日々の糧とする……まあ、どこにでもいるいち悪人である。


 唯一、特徴らしいものがあるとすれば、それは男が『箱庭』への到達を狙っていることだった。


 『箱庭』。

 3年前、預言者によってその存在が知らされた神の国。

 辿り着いた者は神によってどんな願いでも叶えてもらえるという、夢のような場所。


 普通ならば下らぬ与太だと切り捨てられるような話である、が。

 この預言者というのが高名な人物であったことや、聖典にもそれらしき記述が確認できたことから、民衆のみならず国々までもが『箱庭』の存在を認めるに至った。


 そんな具合であるからして、実際に自分で『箱庭』を見つけてやろうと考える者が出現するのも道理だ。


 この男も例に漏れず、国に介入されるより先に『箱庭』を見つけようとしていた。


 尤も、彼の「願い」は言うにも及ばない不純で矮小なものであり、志もさして高くはない……要するに軽い気持ちで、盗人稼業のついでにあわよくば、というなふうであったのだが。


 さて云々と語っておいて何だが、今の男にとって重要なのはそこではない。

 彼の目下の問題は、この状況であった。


 野次馬ができるほどに目立ち、建物に逃げ込んだはいいが却って逃げ場を無くしただけ。

 憲兵が来るのも時間の問題だし、謎の青年たちが自分を捕らえんと追って来てもいる。


 青年たちがどれほどの実力者かはわからないが、遅くとも憲兵が来る前にどうにか彼らを撒いて逃げなければ、本当に為す術が無くなってしまう。


 そもそも、と男は猛省する。

 人質をとるという行動を選んだのが間違いだったのだ。


 「力の弱そうな者を選んで荷物を奪う」。

 これが男の常套手段のひとつであり、今回だってその方法をとるつもりだった。


 だが男は目を付けた相手、すなわち今人質として捕えている少女に、予想外に抵抗される。

 彼女は必死に踏ん張って鞄を離そうとしないばかりか、大声を出して周囲に助けを求め始めた。


 ここで諦めて鞄から手を離し逃走すればよかったものを、焦った男はあろうことか懐に隠していたナイフを少女に突きつけたのである。


 我に返った時にはもう遅い。

 少女を大人しくさせることには成功したものの、後に退けなくなった男はそのまま彼女を人質にして……あとは先に述べた通りで、現在に至る。


「よ、余計なことするんじゃねえぞ。ちょっとでも動いたらこいつを殺すからな」


 暴漢に押し入られた建物は小さな喫茶店であった。

 中に居たのは店員が3人と、客が2人。

 いずれも表の騒動には気付いていたが、野次馬同様に動けずにいた者たちだ。


 男は明らかに元気の無い声で、しかしできるだけ虚勢を張って彼らを脅す。


 とはいえ手に持つナイフは本物だ。

 店員と客は少女を哀れに思いながらも、男の言うことに従い店の隅で身を寄せ合うほかない。


「おい、お前」


 しばらくの沈黙の後、男が再び口を開く。

 どうやら腹を括って行動を起こすつもりのようだ。


 顎をしゃくって指名したのは店員の1人、年老いた男性だった。


「わ、私、ですか」


 どうやら自分が話しかけられたらしいと気付いた彼は、恐る恐る返事をする。


「そうだ」


「な、な、なんでしょう」


「裏口の扉を開けろ。俺は手が塞がっている」


「は……い」


 少女の方をちらと見やり、悔しそうに頷く店員。

 ぎこちない動きで歩き出し、カウンターの横にある扉へと向かう。


 心の中で助けを求めながら、震える手でドアノブを掴んで回そうとした、その時。


「ハイこんにちは失礼お邪魔しまァす!」


「部外者運輸ですドーモ!」


 まるで知性を感じられない掛け声と共に、正面入り口の扉が開かれた。


 爆竹のような乱入者たちに一同はぎょっとして視線を向ける。

 そこには青年――ライルとフゲンが堂々たる佇まいで立っていた。


「キマったな」


 と満足げにライルが言えば。


「カンペキだな」


 とフゲンが応じる。


 何が何やらわからず呆然とする店員と客に先んじて、暴漢は人質の少女をぐっと引き寄せ青年たちに見せつけた。


「動くな!」


 二度も邪魔をされてなるものか、今度こそ自分は逃げおおせるのだ、と決死の思いで彼らを牽制する。


 しかし悲しいかな、そんな男の威嚇など少しも意に介していない様子で、ライルとフゲンは不敵に笑った。


「じゃ、打ち合わせ通りに」


 ライルが言い、槍を構える。

 男が再び牽制の言葉を放つ前に、彼は素早く槍を逆さに持ち替え投擲した。


 柄の部分を前方にして一直線に槍が飛び、男のナイフを持つ手に直撃する。


 ぎゃっ、と小さく悲鳴を上げる男。

 ナイフが手から滑り落ちる。


 ライルはその隙を見逃さない。

 機敏な動きで距離を詰めたかと思うと、囚われの少女の手をとり男から引き離した。


「あっ」


 と声を上げたのはまんまとやられた男か、瞬く間に助けられた少女か。


「よし、もう大丈夫だ」


 少女を背後に隠してさっさと男から離れ、明るい声色でライルは言う。


 少女は、自分を救い優しく声をかけてくれた彼に礼で応じようと顔を上げ、しかしそこで先の「もう大丈夫」が自分に向けられたものではないと悟った。


 なぜならば。


「おう、オレの出番だな!」


 ライルの言葉にフゲンが応えたからである。


 彼は活き活きと飛び出すや否や、男を力いっぱいぶん殴る。


 傍で見ていた店員は、ああなるほどと納得した。

 ライルが少女を救出してから、フゲンが心置きなく男をぶちのめす――これが「打ち合わせ」の内容だったのだ、と。


「あ? んだよもう伸びやがった」


 当たり所が悪かったのか、男はフゲンにもう2発ほど殴られたあたりで気絶した。

 フゲンは物足りなさそうに不満をこぼし、掴んでいた男の襟をパッと離す。


 そんな彼の様子に苦笑いをしつつ、ライルは少女の方に顔を向けた。


「大丈夫か?」


 少女は頷く。

 この「大丈夫」は今度こそ、自分に対する言葉だとある種の安堵を覚えた。


「じゃ、一件落着だな!」


 ライルは男の傍らに転がる槍を拾い、とん、とそれを床に突く。


「あとは憲兵に任せて……そう言えば憲兵来るの遅くないか?」


「ああ、あいつらタブンしばらくは来ないぜ」


「なんで?」


「オレが伸したから」


「は? 何してんのお前」


「別に……あー、まあアレだ……無実だっつってんのにしつこく追いかけて来る方が悪くね?」


「ちょっとそれ詳しく教えろ」


 やいのやいのと言い合いを始める2人を、少女はじめ被害者たちは何とも言えない表情で眺める。


 暴漢に案内役を押し付けられていた店員も、裏口の扉から離れつつ困惑した目を向けていた。


 少女を助け暴漢を退治してくれたという点では間違いなく英雄・救世主なのだが、乱入時の台詞や、特にフゲンの言動を見ているとどうにも素直な反応がしにくい。


「だから今日はオレ何もしてねえのにあいつらがさァ……な?」


「な? じゃないよ。町の憲兵全滅はやりすぎだろ!」


「セートーボーエーだ」


「過剰防衛!」


 加えて彼らは少女、客、店員、伸びた男、すべてをそっちのけにして口論をしている。

 感謝の言葉を述べようにもその隙が無いのだ。


 やがて客の2人は気まずそうに飲食の代金を机に置き、「ありがとうございましたー……」と店を出て行った。

 が、ライルとフゲンはそれにすら気付かない。


「うるせーな真面目ちゃんがよォ!」


「俺は『ライル』ちゃんだ!」


「馬鹿かお前? いや馬鹿だなお前」


「なんだと!?」


 徐々にヒートアップしていく言葉の応酬は、既に着地点を失いかけている。

 そんな彼らに、痺れを切らしたのは少女だった。


「あの!」


 うら若い乙女の声が耳に入ったようで、はたと言い合いにブレーキがかかる。

 ライルたちは口を閉じ、彼女の方に視線をやった。


「助けてくれてありがとう」


 少女は真っ直ぐにそう言う。

 2人は自分たちの居る状況を思い出したのか、すっかり落ち着いた様子で互いに顔を見合わせた。


「……うん。まあ、その、なんだ」


「喧嘩はやることやってからにすっか」


「な」


 くすぐったそうに笑う2人。

 気を取り直すように咳払いをしてから、彼らは「やることをやる」、すなわち伸びた暴漢を縛り上げるために振り向く。


 が。


「……あれ?」


 そこに倒れていたはずの男はおらず、代わりに裏口の扉が少し開いていた。


 沈黙する一同。

 1秒か、2秒かの間を置いて。


「逃げられてんじゃねえか!」


 ライルとフゲンが同時に叫ぶ。


 どうやら彼らが喧嘩をし、他の面々がそれに注目している間に男は目を覚ましてこっそり逃げたらしい。

 本日2度目の間抜けであった。

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