第103話 寄り添う心を信じる勇気
静かに脚立から立ち上がり、クララさんのもとへ。
彼女も立ち上がろうとして、クラリとよろけ……咄嗟にその手を取り、なんとか支えることができた。
酔いの回った小さな身体。
可愛さが極まって、そっと抱き寄せた。
ピシリと腕の中で固まるクララさん。
ごめんね、……逃がす気は
どうか忘れないで。
見下ろした
「……どんなクララさんも好きだよ。すでに中身が良い人なのを知っているし、姿勢が良くて骨格も上等。でも見栄えがどんなだろうと些細なことだよ。きっと俺の気持ちは揺るがない」
それなのに、彼女はツレナイ。
「れ、れもっ、らって。年頃の婦女子ならは意中の殿方には魅力的に見てもらいたいものなのれすわ。元の姿をお見せして幻滅されてしまうかも知れないなら、いっそラスさまのお好み間違いなしな骨っぽい姿のままで居た方が……お互いのためなのれはないかと思うのれす…………」
もう命の危険はないのだからと……そう考えたら勇気が出なくなってしまったのだと、胸元からくぐもった声が届けられた。
うん。たしかに俺はどんなクララさんも好きだ。
ずっと骸骨なままでも問題ないと思っているから、今の今まで彼女の在りたい姿を尊重してきた。
そのつもりだった。
でも、クララさんは内心で悩んでいたのかも知れない。
いつまでも現状のままでいるのは甘えなのだと言っていたもの。
もしも今の骸骨な姿は仮りそめで元の姿が本来の自分だと思っているのならば、俺はそれを取り戻してほしいのだ。
それが彼女の在りたい姿だと思うから。
もしちがっていたのなら、またその時考えれば良いことだ。
その時どきの心のままに、好きな服を着て好きな表情で。
在りたいように自分を装えば良いのだし。
ちょっと特殊な魔導具で他の人々よりも色々と変われるなんて、なんてお得で楽しそうなんだろうと思うのだ。
上手く伝わるか自信はないが、そんなようなことをボソボソと彼女の耳元で
ああ、もどかしい。
俺を信じてほしいのだ。
だから今、言葉を尽くす。
「ま、俺はクララさんの元の姿に興味津々だし、ぜひとも見せてほしいけど。だって、好きなひとの新たな面を発見するのは素敵だろ? ふつうに気になっちゃうだろ? 俺は大いに気になるんだよ。ずっと、クララさんの変化を見続けたいんだ。笑ったときの君、怒った君、泣きべそだったり眠そうだったり威張っていたり、色々なクララさんを見ていたい。どんな君とも一緒にいて、好きでいたいんだ。たとえ、……たくさん歳をとって
届け、この気持ち。
「俺を信じて。在りたい、そのままの君をみせて……」
がばりと腕の中の
クララさんは利き手で首元の魔導具を掴みながら、小さな声で俺に言う。
「ほんとに情けないれすが、自分ではこれを外す勇気がないのれす。らから、……ひと思いにラスさまが外してくらさい……私、じっと目を瞑って貴方にお任せしても良いれすか? こんなでも、私が貴方を信じてるって思ってくれますか?」
クララさんの両の眼窩は未だに涙に濡れて潤んでいる。
勇気がないと言いながら泣くほど思い詰めてる彼女に寄り添いたい。
その役目を俺にくれるというのなら。
俺を信じる勇気をだしてくれたなら。
「勿論だとも。……それって、俺の提案を受け入れてくれるってことかい?」
彼女はゆっくりと頷いた。
寄り添った体勢そのままで、慎重に彼女の首元へ手を伸ばす。
魔導具に指が触れ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
クララさんがいうのだから……外した途端に絶命なんていうことにはならないだろう、……けれど。
何が起こるかわからないのも魔法や魔導。
少しばかり、俺まで怖くなってきた。
彼女本来の姿にたいする高揚とリスクにたいする恐れとを捻じ伏せる。
俺よ、……無心になれ。
何があっても冷静に対処するためにも。
震える指先に全神経を集中させる。
何回か指を滑らせ失敗しながらもチョーカーの留め具を外すことに成功。
瞬間、ーーーーフワリと視界に銀糸が舞った。
少し遅れて、それが彼女の髪だと気がついた。
骸骨の彼女にも髪の毛が生えてはいたが、それとは比べ物にならないくらい豊かで輝いている。
ぎゅっと閉じていたらしい両目を開けたクララさん。
その
両の瞳は濡れていて、翠玉のように深く透明な輝きを放っている。
カツーーーーン……と、何かが床に落ちた音がした。
思考のどこかで魔導具を落としたのだと判断したが、それだけだ。
どうしよう。
……眼の前の光景から目が離せない。
なんだこれ。銀の妖精か??
俺はうっかり夢の中に迷い込んだのか?
それとも幻術にでも惑わされている?
「……さまっ、ラスさま……」
名前を呼ばれた気がしてハッとなる。
こちらを見上げる涙をたたえた翡翠の瞳。
「やはり、私は見苦しい姿れしょう? フィランツさまは、私を見るたびに顔をしかめておられましたし……、王城では皆が遠くから取り巻くだけで誰も仲良くしてくれませんでしたから。遠慮がちにお世辞を言ってはくれましたが、今となっては嫌味半分だったような気がします」
ションボリと俯くクララさん。
銀糸の髪がサラリと揺れた。
「えぇぇ!? 待って、どうしてそんなに卑屈なのさ。そんなことない、皆が君に見とれただけだろ。……フィランツは知らんけど」
思わず言い返した俺だった。
甥っ子の奴は彼女のどこが気に入らなかったのか知らないが、……クララさんは気軽に声をかけづらいくらいの美人さんだった。
「俺だって、……見とれて放心しちゃったんだ」
だから、自信を持てと言ってみた。
「本当れすか? 美人でありたいとは思いませんが、私の見た目で皆さまに嫌な思いをさせていなければ…………」
それで構わないのだと、クララさんは言う。
「見た目なんか気にしないって言っていたけど、やっぱり前言撤回だね。こんなに可愛らしいひとが奥さんだなんて、俺はなんて
思わずぎゅうっと抱きしめた。
んんん、待てよ。
むしろ見目を気にしなくちゃならないのは俺の方かも知れないぞ。
「えっと、今更だけどさ……クララさんは、黒髪赤目のこんな不吉な男が旦那で嫌じゃないのかい? 嫌だと言われても離れてやるわけにはいかないが……」
うん。そう言われたらショックで何にもやる気が起きなくなりそうだ。
でも、確認しておかなければ安心もできない。
じっと翠玉の瞳を見つめれば、彼女はコテンと首を
「いきなり何を仰るのれす?
そして黒髪は
へぇ、烏の羽の色を羨ましがる国もあるのか。
漆って、遠い国の工芸品に使われる黒い塗料だったっけ。
「ふうん。国が違えば嗜好も変わるものなのか、じつに面白いものだ。なるほど、……ほんの少し黒髪も悪くないと思えたよ」
「ふふふ。私もラスさまに寄り添っていただいて、勇気を出せて良かったれす……。色々と、あんしん……しま、した……。これれ、あの子を……怖がらせなくて…………済みそう、れすし…………」
何だかんだで結局は、あの小娘のことを気にかけているクララさんだ。
慈愛あふれる奥さんにほっこりしていると、俺の胸に頭をくっつけていた彼女の身体からくたりと力が抜けた。
「ちょ! どうした、クララさん!!」
崩れ落ちそうになったクララさんを慌てて抱きとめた。
よくよく観察してみれば、スヤスヤと寝息が聞こえる。
「えっ。……寝て、る? マジか……」
ほんの一瞬だけ焦ったけれど、ホッと安心してため息をもらす。
「おーぃクララさん、部屋に戻ろう?」
やさしく揺すっても起きる気配はない。
なんとこの短時間で熟睡したらしい。
「ええと、どうする? こりゃ運ぶしかない、よなぁ……」
ひょいと抱えた彼女の身体は、羽根のように軽かった。
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