第102話 主成分はミルクだったはず、なんだけど・・・・







 大きめなマグカップに湯気が立つ。

それを傾けて、ちびちび飲み込むホットミルクが美味しくて。

そして、なんとなくクララさんと目があった。



 「……おいしい。甘くて、えぇと、ちょっとだけほろ苦い?」

「うん。隠し味の蒸留酒がね、いつもより多めになったから……かな?」

あまり目に見えて減らしちゃうと、勝手に使ったのがシルバにバレてしまうので気をつけなければ。

これはこれで、大人向けで乙な味だと彼女は言った。





 「今日のクララさんは、ずっと部屋で読書を?」

当たり障りのない話題をと思ったが、いざとなると何を話してよいのやら。

わかりきったことを確認するという、なんとも間抜けな問いかけになってしまった。



 もっと気の利いた話をしたいのに、ぅぁぁぁぁ……っていう、俺の内心に気がつくはずもないクララさんは、素直にコクリと頷いた。

「ええ。この前取り寄せた吟遊詩人の架空旅行記を読んでおりましたの。たまには、どっぷり長編の物語に浸るのも良いものですね」



 孤高の戦士であり英雄だった若者が戦で怪我を負って剣を置き、リュートを片手に世界を巡る旅に出るという出だしで、……変装で正体を隠した旅の道中に、大切な仲間たちと出会い吟遊旅団を立ち上げる長い物語なのだそう。

「物語をうたい伝えながら旅をする主人公がね、ときどき喧嘩や事件に巻き込まれるんですけれど……もとが戦士だった彼は怪我のハンディがあっても強くて格好良いのです。今は、これから最終決戦の大乱闘になりそうなところをハラハラしながら読み進めてまして。えっと、主人公に怪我を負わせた元上司がやらかしたクーデターを制圧するために、故郷で戦いに挑むところなのですよ…………」

クララさんがはにかみながら語ってくれる。



 彼女は本の中の主人公にご執心らしくて、かなり熱心に読み進めているようだ。

ちょっとだけ俺の胸中がモヤモヤっとうずいたが、なんだろうコレ。

まぁ、俺のことより何よりも、クララさんが朝の件を引きずって嫌な思いをしていないのなら、それで良いか。







  ・

  ・

 「それれですねラスさま、聞いてます? それれ、……ずっと正体をかくし続けていたしゅじんこうが、……決戦前に想い人に愛を告げるのれすけれろも……そこに至るまでの葛藤がれすね〜、……えぇと、かれはじぶんが国を捨てて逃げらした卑怯者だとかれ、おもいびとに軽蔑されちゃうんじゃらいかって思っれれ…………。私はちょっとらけ、そろ気持ちがわかるようら気がするんれすよ…………」





 大きめなカップを両手で持ちながら、クララさんが語り続ける。

明らかに呂律ろれつが怪しくなっているし、こころなしか目つきがぼんやりしているような。

 ついさっき彼女が美味しかったれすと言いテーブルに置いたカップをそれとなく確認したら、中身はすっかり飲み干されている。




 クララさん、もしかして滅茶苦茶酒に弱かった!?

でも、だってさ、ただのホットミルクだよ??

主成分はミルクだったはず。

うん、九割ミルク。

作った俺が言うんだから間違いない。



 おかしいな。

俺はなんともないんだけどなぁ。

酒を入れたとはいっても隠し味程度だし。

マジか、これ…………。





 困惑しながら彼女の話を聞いていると、どうにも雲行きが怪しくなってきた。

「彼は、勇気をらして、ぶじに……かのじょさんに正体をあかしてハッピーエンドになったのれす。…………れも、私は駄目でした。うっかりしてました…………っく……っ」



 ブワッと両方の眼窩がんかに涙をあふれさせたかと思ったら、いきなりシクシク泣き始めた。

「ひっく……っく。……らって、あの子を……っく、……ひっく。わたしに、正体を明かす勇気がなくて……気絶するほろにまれ、おどろかせてしまったのれすもの…………」

「えっ!? なぜソコにつながっちゃうのさ。あれは事故っていうか、他人の自宅を彷徨うろついていた彼奴あいつの過失だろ」



 よりによって本の内容から今朝のことを連想してしまったようだ。

物語のハッピーエンドからの地雷暴発が予想外で、思わず指摘してしまう。

「クララさんは別に正体を隠しているわけじゃなし、その必要もない。何も後ろめたいことなんてないだろうよ」

「れもっ、らって、……私、自分の見た目をすっかり忘れていたのれすもの。ラスさまも、えどさんも……しるばさんも、皆さん良い方ばっかりれ、……ガイコツみたいな私をふつうに取り扱ってくれるのれすもの……っく、ひっく、えっぐ、っく……」



 たどたどしい呂律で、すっかり自分の見た目が険悪対象だという気づかいを失念していたのは大失態だと言い張った。

「いや。むしろ俺としてはクララさんが塔のなかで気を許してくれているのは嬉しいことだよ。俺たちを家族だと認識してて、ここを自宅だって思ってくれている証拠だものさ。それに自宅でまで気を張っていなきゃならないなんて、そんなのおかしいだろう」

「いえ。……っく、ひっく……いつまでも甘えていたのがいけなかったんれす。私もっ、勇気を出さなきゃだめらったんれす……ひっく…………」

「君はちゃんと勇気を出してパーティーに行った。衆人環視にも怯まずに立派に立ち回ったじゃないか」

「あの人たちは何にでもケチをつけたい連中なんらって、今の私はわかってますもの。雑魚貴族どもになんて何を言われようが、どう思われようが知ったこっちゃないんれすよぅ……ひっく。私はっ、っく、……ラスさまに嫌われるのが怖いんれす…………。ここに来る前の、わたしを……見せちゃったら、どう思われるかと考えたら、怖くて何もれきなくて…………どうしたら良いのかわからないんれす……」



 とうとうテーブルに突っ伏してしまったクララさん。

「……ひっく。わからないままに今日まで過ごして、あの子に怖い思いをさせてしまったのれす。とっくに骸骨チョーカーの性能を改善れきているのに、……あとは、ただこの手で外すらけ……なのに。……怖くて外せない……」



 え。なんですと!?

ってことは、すぐにでもクララさんの本来の姿が見られる……のか??

その、細い首に巻き付いている忌々しい魔導具を外すだけで。

今ならば、それが叶うのか?



 いや。でも、彼女は怖がっているわけだし……無理なのか?

でもしかし、なんとかしたい。



 とにかく、これだけはわかってほしい。

「……俺は、どんなクララさんも好きだよ。それは揺るがない」

彼女はまたコクリと素直に頷いた。

「君の勇気が足りないのなら、少し俺にも手伝わせてほしいな……」

「えっ?」

「俺も君と一緒に、君の怖さと立ち向かいたい」

「なっ?」



 いけるかな、……もうひと押し。

涙まみれの眼窩を見つめる。

「クララさんは、なんとか頑張って俺を信じて? 俺にそのチョーカーを外す役目をやらせてほしい」







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