目指していた理想と目指すべき現実の狭間 (クラウディーラ視点)

第58話 目が覚めて




 覚えているのは、にわかに襲ってきた胸の苦痛。

……私は寝台に横たわったまま、ぼんやりと石造りの天井を見つめた。

たしか、塔の外周階段でアメリ様と闇苺ダークベリー狩りをしていて……それで、急に具合が悪くなったのでしたっけ。



 今は何処も痛まない。

ほんの少しだけチラッと余命宣告が胸中をよぎったが、まだ大丈夫。

もう少しだけ塔の皆様と過ごしたい。だから大丈夫であってほしいのだ。

こうして寝台に居るということは、おそらくアメリ様の知らせで誰かが運んでくれたのだろう。

「……骨の身体なのに、胸が痛むだなんてね。いったい、どうなっているのかしらこの身体は。……もしかして肋骨とかが傷んだのかしら。骨折とか? えっと、生命力の欠乏で、……骨粗鬆症こつそしょうしょう?」

はっきりしない思考回路のまま、どうでもいいようなひとり言をつぶやく。



 不意に衣擦きぬずれのさらりとした音にハッとした。

「いやいや。君の骨はすこぶる健康。骨密度は問題なしだって、主治医の先生が太鼓判を押していたから心配ない」

大きな手が私の額にあてられる。

「熱は大丈夫みたいだね、……どこか苦しいところはないかい?」

至近距離からのぞき込んでくる心配そうな真紅の瞳。

彼の存在を察知した途端に、肋骨の奥の真ん中あたりがぎゅっとなる。

「ふぁっ!? ……えっと、だいじょうぶですわ。なにも問題ないですっ」

いえ、距離感に問題がありますわね。

近いっ。ラス様、近すぎますってば。



 そう訴えたら、ちょっと寂しそうな、悲しげな、そんな表情で彼が言う。

「とにかく目が覚めて安心したよ。もう少しで昼食の時間なんだけれど、何か軽くでも食べられそうかい?」

「えっと、はい。しっかりいただけると思いますわ」

「それは良かった。俺はアメリと交代するから、後ほどに食堂で。支度ができたらエドが呼びに来るよ」 

「あ、ありがとうございます。ではまた、食堂で」

「うん」

起き上がろうとしたのだけれど、彼にもう少し横になっているようにと制された。

「クララさん……」

「はい」

「えっと、……」

「はい……?」

「あとで話がしたい。時間をもらえるだろうか……」

「ええ。もちろんですわ」

「それじゃぁ、……午後のお茶の時間に、二人きりで。どうかな?」

「ぅえ? ……っと、はいっ。喜んで」

「うんっ。それじゃあ、また後で……」

ホッとしたというように頷いて、彼は扉の向こうへ。

何かを言いたげな、それでいて心ここにあらずな様子で、ラス様は静かに通路へと向かったのだった。



 ふと、先ほどの会話を思い返した。

……二人きりで。

ふたり、きり。

ですって!?

ふたっっっ、って、……えええぇっ!!?

いえね、ときには二人でお茶の時間を過ごすことだってありましたよ。

でもね、わざわざ前もってのそんなお約束は初めてで。

ってことは、たぶんエドさんもシルバさんも席を外してもらうっていうことよね。

これって、気にしすぎかしら。

意識しすぎかしら。

どうなのかしら。









 わたわたと思考回路が迷走しているうちに、ノックの音が。

「クララちゃん、アタシだ。ラスと交代でお邪魔をするよ」

心配そうなアメリ様のおさえた声。

「あ、はいっ。どうぞ……」

様子をうかがうように静かに入室してきた魔女様は、体調はどうだとかラス様が不埒ふらちなことをしなかったかとか色々と聞いてきた。

んん? ……不埒なことって、何かしら?

その言葉に首を傾げると、コホンと軽く咳払せきばらいが聞こえた。

「いや、ねぇ? 近ごろの彼奴アイツったら浮かれたり落ち込んだり色々と余裕がないからさ。こう、何ていうか、強引で不届きな事態にね、……いやいや、クララちゃんに心当たりがないのなら何ら問題はない。聞き流してほしい」

そう言いながらも、……いや待てよ? 君たちは夫婦なのだから、アタシが心配することはないのかも……? だがしかしっ、寝込んでいる伴侶に無体をはたらいたのならば説教の一つも言ってやらなくては師匠として示しがつかん。でもでも、しかし…………うぅーーん。……こんな感じにひとり言が駄々漏だだもれで。

そうして、頭を抱えたかと思えば斜め上を見上げ、への字口で考え込んでしまった。



 彼女のらした単語から、何が言いたいのかを連想してしまった私。

夫婦なのだからとか、無体をとかね……王家への嫁入り教育にはご丁寧に閨の知識まで網羅さてれいたわけで。

結果、ボボボッと顔面に熱が集まって俯向うつむいた。

アメリ様はそんな私の顔を見て、アワアワと言葉を紡ぐ。

「うん。クララちゃんが純情で、彼奴ラスが案の定ヘタレだったことを理解した。……っていうか、何事もなかったようで安心したよ。いや、ね? 仲良しの印に、ひょっとしたら目覚めの口づけの一つや二つくらいはとか思っていたんだ」

そう言ってから、ニヤリと笑顔になった。

ええっと、……いやいや、まさか。

ラス様がいくら骨好きでも、私を相手にそんなロマンスな雰囲気にはならないですって。

「いえ、まさか。あの方は紳士ですから……」

「んん〜、そうかなぁ? ま、今はそれで良いかもねぇ。実際、それどころじゃないだろうしさ」

「それどころじゃ……って、何かありまして?」

「君が倒れてから、けっこう大変だったんだよ。主治医の先生や巨匠殿まで巻き込んで、徹夜の会議と検証とかね。ま、夜更しはお肌に悪いから、アタシは早めに寝落ちしていたのだけれど。詳しくは昼食の席で聞かせてもらえるはずだから、クララちゃんも多少は覚悟しておいたほうが良さそうだねぇ……」

「まぁ、それは……どんなお話なのかちょっと怖いですわ。えっと、体調のこととかでしょうか? 私、皆さんにご迷惑をかけてばかりですわね。ラス様もお茶の時間に話がしたいと仰っていましたし、きっと深刻な内容なのでしょうね……」

「ううん、昼食の席での話はアタシたちの考察などを聞いてもらってからクララちゃんの話を聞かせてもらいたいんだけれどね。そっちは気楽に構えてくれて大丈夫。そしてラス坊の話っていうのはおそらく、それの延長線上だけれど別件っていうか……たぶんだけれど、そちらが肝心要かんじんかなめなんじゃなかろうかってアタシは思う」

「いったい、何のお話なのかしら。ちょっと緊張してきました……」

「うん、……だいたい想像はつくんだが、今ここでアタシが言っちゃうのも野暮ってものだからねぇ」

「そのように仰られると、余計に気になってきましたわ。こっそり教えてはいただけませんの?」

「いや、やめておこう……ラス坊に叱られるのは遠慮したいからね。内緒、ナ・イ・ショ」

「ええぇ、そんなぁ……」

可愛らしく上目遣いで見上げてお願いしてみても、師匠の面目がかかってくるからダメ〜と言って、可愛いウインクでかわされてしまった。

むむむぅ。なかなか手強てごわい。

最後にはハハハハハって、二人で仲良く乾いた笑い声でなんとなく微妙な空気を誤魔化したのだった。



 ちょっと気まずい雰囲気の中に、またしてもノックの音が。

「お嬢様、エドです。昼食の支度が整いましたのでお知らせにまいりました」

「はいっ。エドさん、ありがとうございます。すぐにアメリ様とまいりますわ」

「かしこまりました。それでは皆様と食堂でお待ちしておりますね」



 アメリ様に手伝っていただいて素早く身支度を整えた私は、食堂へと移動した。

美味しいごはんのあとに、山のような書類と数字と怒涛の学識経験者たちの説明などなどを聞かされて、それについての検証というか私の現状について根掘り葉掘り事情聴取されるのは予想外だった。

話というのは倒れた私の診断結果の説明かなって思っていたのだけれど、まさか自分のことでこんなに目を白黒させることになろうとは思いもしなかったのよ。









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