第55話 彼女が眠っているうちに
クララさんの容態を俺の主治医に診てもらうことになった。
往診にやって来たのはモフモフの白い髭をたくわえた老先生で、俺も幼少のころから何かと世話になっている。
長年の付き合いで診療の腕はたしかなのはわかっているんだが、診察の手順が
問診だけでも昼過ぎからはじまって日が暮れそうになるまでかかるんだから相当だ。
まぁ、それだけ慎重かつ詳細に診てくれようとしているのだろう……けれどもさ。
この先生にはクララさんがこの塔に来たばかりのときにもお世話になったが、ちょっとのんびりしすぎているんだよ。
今回も全身を
「ふむ、……骨には異常ありませんな」
聴診器を片手にそんな事を言う。
おいちょっと、その小道具は何のためにあるんだよ。
「いや、それは見ただけでわかる」
彼の顔を睨み返して、知りたいのはそこじゃないと訴えた。
「おや。閣下は奥方様のお身体を隅々までご覧になられたので?」
訴えたら訴えたで、とんでもないことを言いやがる。
言葉をなくし黙っていれば、仲がよろしくて大変結構とまで
「なななっ。すみっ……からっ……ごらっ……んんんっ。何を言うっ、破廉恥なっ。そんなワケないだろがっ。彼女とはまだっ、そんな仲じゃないし。こんなときに冗談はやめてくれっ」
そう返すと、ニヤリと口の端を持ち上げて笑って冗談が通じないのは寂しいですぞ、なんて言いやがる。
頼むから、空気を読んでほしい。
切実にクララさんが心配なんだから、そんな冗談に付き合ってなどいられない。
あと、隣の魔女が俺の脇腹を
渾身の冗談が通用しないことを悟った老先生は、心なしかしょんぼりしつつも診察結果を報告してくれた。
「深刻な話の前に場を和ませようと思ったのじゃがのう。仕方がない、真面目に話をするとしようかのぅ……」
頼むから茶目っ気は仕舞っておいて、はじめから真面目にやってくれ。
「残念ながら私には専門的な魔法や魔力の知識がないので、断言はできませんがね。奥方様は極度の魔力失調による、生命力の欠乏状態に至っておられるものと推測いたします」
やはり、……生命力の欠乏。
何が原因なのか心当たりがありすぎる。
「全身を巡っているはずの魔力が不足しすぎると、血液や体液などから生命力を削って魔力を補うわけなのですよ。それで、結果的に今回は心の臓に大きな負担がいってしまったようですな。体力もかなり落ちているはずですし、極めて危険な状態だといえますぞ。このままでは…………」
老先生は言葉を
ああ、このままではクララさんは、おそらく助からない。
「…………」
言葉をなくす俺。
「そんな……」
一言だけ零すアメリ。
黙ったままの他三名。
聴診器をコトリと置いて腕を組み、大きなため息。
ふぅっと息を吐き出した老先生が、言葉を続ける。
「このままでは、骨と皮だけの悲惨な姿に…………」
っと言いかけて、ふと考え込む。
「……いや、すでに骨っぽいですな。……うん」
話を聞いていた皆の視線が、氷槍のように彼にグサグサ刺さったのは言うまでもない。
まさしく場の空気が凍った。
視認できないので断言もできないが、とくにアメリの身体からは冷気が
ゴホゴホっとわざとらしい咳払いのあとに、老先生がゴニョゴニョ言った。
「ゲッフン。皆さん揃って怖い顔をして、もう。……年寄りの可愛い冗談なのですから、軽く聞き流してくれれば良いのに。焦り過ぎはよろしくないと思いますぞ。どうも近ごろのお若い方々は、余裕がなくていけませんな」
ここで彼の言い分に耳を貸す者は居ない。
室内は冷えきった空気と静寂に包まれたままである。
お構いなしの老先生は、ヤレヤレと首を傾げただけだった。
それで? ……と、冷たい視線のままで魔女が問うた。
「本気で仰っていたのなら消し炭にしてやろうと思ったが、冗談なのだね? ならば今回はアタシも広い心で受け止めようか。だがしかし……
目を細めて医者を睨めつける姿は、たしかに少しばかり焦りが見えるかも知れない。
真紅の瞳の極炎の
誰かが取り乱しているとかえって冷静になれるものなのかも知れないな。
アメリが言葉を吐き出す度に、俺の方は不思議と落ち着いてきた。
彼女の剣幕には、さすがに老先生も表情をあらためて背筋を伸ばす。
じつに気ままな御老体だが、そこそこ空気を読めたらしい。
「それは、配慮不足で申し訳ない。医者の身でありながら、皆さんの心情を思いやれなかったことにお
そんなこんなのやり取りを経て何とか落ち着いたところで、やっと口を挟むことができたのだった。
「それで先生、クララさんの容態はどんな状態なのかな? 俺たちは肝心の説明を聞きたいんだよ」
俺の言葉に、ポンと手を打つ老先生。
「おっと、そうですな。肝心の診察の結果がまだでした」
彼のその言葉に、室内の全員が身を乗り出す。
皆の注目の中、吐き出した老先生の診察結果。
「今のところ、
それを聞いた一同は、えっ!?? ……っといった表情で互いの顔を見合わせたのだった。
今すぐ命の危険があるわけではないのだろうか。
老先生以外の顔には、そんな気持ちがにじみ出ていたのだった。
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