第38話 名前を呼び合うのにもシドロモドロ

 師匠をジロリとにらんでいると、ニヤリと笑顔を向けられた。

「なぁんだ君たち、もしかして互いに名前を呼び合うこともしておらんのかね?」

見ていりゃわかるだろうに、わざとらしいよ。

「アタシの経験上で言わせてもらえば……書類上とはいえ、夫婦なのだから変な遠慮はしないに限る。今日から名前で呼びあったら良かろうよ」

ニヤニヤ笑顔で、どうせ直ぐには無理かも知れないがね……って付け足すのが何か無性にしゃくさわる。

うちの執事と護衛は何故かウンウンと大きくうなずいているし、甲冑な奥さんは困惑中で首をかしげるばかりだ。



 ここは、主人たる立場の俺が何とか言わなきゃならないのだろうか。

「ぅむむ。それじゃぁ……俺は本名がグラースで研究者としての名前がラッセルだから、ラスで頼むよ。うちの執事もそう呼んでいるから、気安く呼んでれてかまわない。君の方は……師匠が言い出したクララが可愛いから、それで行こうか」

そういう感じで提案してみると、ガバっと甲冑のヘルムがこちらに向いた。

「えっと、私。……閣下をお名前で呼んでもよろしいんですの?」

「もちろんさ。俺も君をクララって呼ばせてもらう」

「はい。ふ、ふ不束者ふつつか、ですが……よ、よろしくお願いいたしますわっ」

こっちを向いてた顔面がモジモジと下向きになった。

わかりやすく照れているらしい。

自分の顔面はといえば、なんだか熱くなったきた。

皆に顔を見られるのも照れくさいので、そっぽを向いて紅茶を一口。

うん、ちょっとほうっておいてくれ。



 何だかんだと協議の結果、うちの奥さんはときどき俺の職場で学ぶことになった。

学生として通うのは見た目的にも立場的にも難しいので、客員研修者として待遇してくれるらしい。

学長室や事情を知っている研究者の元で学べるように師匠が手配してくれるとのことだった。

上手く誤魔化すつもりだろうが、まさに学長権限を乱用し放題である。

何の問題もないと言い張っているので、大丈夫だとは思うけど。

たぶん上手くやってはくれるだろう。



 師匠が、勝手に手配した色々と満足のいく結果に行き着いたところで解散を宣言した。

「クララちゃんは、何時でも好きなときに我が大学に遊びに来てくれたまえ。ラスよ、お前も時々は顔を出すようにな?」

俺は渋々しぶしぶうなずいたが、彼女は嬉しそうに返事を返す。

「はい。ありがとうございますお師匠様」

「ううむ、硬いな。……師匠である前に、クララちゃんとは友でありたい。以後、アタシのことはアメリちゃんと呼んでほしいな」

上目遣いであざとい師匠に、たじろぐ彼女。

「えぇと……アメリ、ちゃん……?」

「その調子で、クララちゃん。では、また会おう」

学びに来いじゃなくって遊びに来いって言っちゃってるし、俺の扱いなんて彼女のついでのようだ。……もう、何でも良いけどな。

こんな感じで、この日は師匠に新しい弟子ができるという結末で帰宅することになったのだった。







 塔に帰り着いたのは夕方だった。

夕食と食後のお茶を済ませ、各自が就寝の支度をはじめるために食堂を後にする。

他愛ない会話はポツリぽつりとするのだが、互いにどうもぎこちない。

多少の違和感を感じているらしい彼女が、気まずそうにおやすみの挨拶あいさつを言ってきた。

「えっと……それでは、おやすみなさいませ……」

ぅぅう。このまま寝るのは心のこりが……ここで思いきらないと後悔して眠れない、かも知れない。……くぅぅ、くそぅ、どうしよう……。



 束の間の葛藤かっとうの末に、声をしぼり出す。

「くっ……クく、ク、ク、クララさんっ」

そう。帰宅してから名前を呼ぼうとしながら……ずぅぅっと呼べずにうだうだしていたのだよ、俺は。

ハッとこちらを見つめる彼女。

甲冑は着けていないけれど、骨だからか表情がわかりにくい。

骨好きではあるのだが、自分がこんなときに不便を感じるなんて……何故か今まで気がつかなかったなぁ。



 こちらを向いたまま一瞬だけ固まった彼女。

すぐに持ち直して返事をくれた。

「は、ハイ。何でございましょう? 閣下?」

思わずジトリと目を細めたね。

「……不合格。閣下呼びは禁止……」

俺、けっこう頑張って名前呼びしたんだからねっ。

「ひゃぃ……」

「だからね、……俺の名前は?」

「ふぇっ。……えっと……」

短気な俺だが、今はそうも言ってられない。

モジモジとうつむき加減の彼女を見つめて根気強く待つのだ。

瞳の見えない眼窩がんかだけれど、視線がらいでいるのがわかる。

「……らっ、ラスさまっ」

「よく出来ました。……おやすみ、クララさん」

「はいっ。おやすみなさいませ、ラスさま……」

ああ、やっと呼んでくれた。

なるほど……そうか。……嬉しいってこういう気持ちだったんだっけ。











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