第42話 恋と知る前に愛を語るには

 結局、俺は何も出来ずに立っていただけだった。

あんな小言の応酬おうしゅうなんかじゃアイツを撃退げきたいするには至いたらなかったからね。

クララが自分の意志で奴を追い払ったのだ。

情けないが、事実だな。



 彼女の手を取り、居住区へと戻る。

後ろからついてくる執事と護衛は終始無言。

とにかく気持ちを落ち着けようと俺の部屋へ。



 エドがれてくれたミルクティーに、シルバ特製のジンジャークッキーがえられた。

それをクララが美味しそうに食べている。

さっきまでの張り詰めた様子が心配だったから、今の彼女を見てちょっとだけ安心したんだよ。

彼女のかたわらにはいつの間にか真紅のスライムが寄り添っていて、くだいたクッキーを嬉しそうに取り込んでいた。

テーブルの上にちょこんと乗った、暗赤色あんせきしょく半透明はんとうめい雫型身体シズクがたボディー

その中に浮かんで見えるクッキーの欠片かけらたち。

一見シュールだが、コレはこれで可愛い奴だ。

このお調子者が、今では皆のやしになっている。



 茶の準備が整うと、執事と護衛は何故なぜかイソイソと退出していった。

俺はといえば……彼女の居るこの光景を、ぼんやりながめているんだよ。

もしかしたら、今この場にこのは居なかったのかも知れないんだ。

そう考えたら胸が苦しくなっていた。

彼女がこうして側に居ることは当たり前じゃないんだ。

現に俺は、彼女の意思も自分の心も無視をして……情けなくも兄貴アイツに頼ろうと考えたのだから。



クララは、いずれ死ぬと言われても迷うことなく俺のところにとどまってくれた。

そのことが未だに信じられなくて、都合の良い白昼夢はくちゅうむの中に迷い込んだ気分にひたっている。

この光景が自分の脳内で演じられているだけの妄想もうそうだったなら、夢から覚めた俺はどうにかなってしまうだろうか。

「ラス様? お疲れになってしまわれましたか?」

「いや、……問題ないよ……うん」

不安そうな眼窩がんかがこちらをうかがっている。

「それとも、勝手をした私に愛想あいそかしましたか?」

コテンっと首を傾ける彼女。

そんなワケないじゃないかっ……って言いたいんだけど、どうしよう。

そもそも、愛想って何なのさ。

……愛とか想いとか、俺がそんなワケがない。

ないんだよ、な。……大丈夫だ、よね。




安堵あんどと不安と、何だかわからないソワソワと……自分の中で渦巻うずま混沌こんとんに、対処の仕様がなくて困る。

目の前の光景が眩しくて、つい目を背けたくなるような……いやいや、見ないと勿体もったいないような……相反あいはんする思考をどうして良いのかあましている謎現象なぞげんしょう。……って、何だコレ。

そんなアレコレを素早くふるいにかけて選別して、精製して必要最低限の言葉に仕立て上げた。

「いやいや、全っ然っ。……そんなことないから」

「ぁ、はい……」

「うん。心配いらないから」

「ぇ、っと、……はい」

うん、頑張ったんだよ俺。

脳内の他の案件をポロッと言っちゃったら、歯止めが効かなくなりそうなんだもの。



 見た目なんかどうだってかまわない。

骸骨がいこつだろうが木乃伊ミイラだろうが何だって。

むしろ骨格からして別嬪べっぴんで、彼女はほねずいから素敵ななんだろう。 

ずっとこのままだって良いくらいなんだけど…………駄目だめなんだ。

だって、保ってあと二月ふたつきなのだから。

それが俺たちの制限時間。

それすらも危うい綱渡り。

それを彼女は選んでくれた。

それならば俺は。



 恋愛なんて他人事だと思ってた。

恋なんて知らない。

知っちゃいけない。

そんなんじゃない。

そんなんじゃ、この行き詰まったみちひらけはしない。



 俺は彼女に語るのだ。

何を?

君を好ましく思っているって?

それは今じゃない。

思いを伝えても別れが待っているなんてむなしいだけ。

それじゃぁ、他に何を語る?

いったい何を……。



 幼いころ母に、お前が大事だって言われ続けて嬉しかったさ。

おそらく彼女は、自分の最後が近いのを覚悟していたのだろうと思う。

病に倒れたあとでも俺を気づかい、別れのときまで大事にしてくれた。

一人になっても強く生きよと様々なことを教えてもくれた。

王城内の片隅で、しいたげられながらも細々と親子で生きてきた。

あまり覚えてはいないのだけど、彼女なりに大切に育ててもらったのだと思う。

だからその分だけ、置いていかれた時のさみしさも大きくなった。

いっそのこと俺も連れて行ってほしかったと、むしろ自分が身代わりになれたなら良かったのにと…………そんな馬鹿なことを考えたときもあったっけ。

俺の母は、自分の最後を前提に考えて行動していたのだ。

幼いながらに薄々その事を感じる度に、とても悲しくなった。

何も出来ずに時が経つのが悔しくて、負け犬のように人々の視線から逃げ続ける日々だった。



 俺はもう大切なものを無為むいに失いたくない。

母のときのように何もできずに、命が……かけがえのない日々が、手からすり抜けてこぼれ落ちてしまうなんて嫌なのだ。

あのときのように別れを前提にした言葉を吐いたら負けを認めることになる。

大人になった今ならば、もう少し抗えるはずだ。

悔やむのも悲しむのも、後からいくらだってできる。

そんな無様は、今やれることをやり尽くしてからだ。



 そう思ったら、俺は彼女と別れたくないんだなってに落ちた。

なんだ、そうか。

母と別れたくないと思った、あのときの幼い自分を思い起こす。

うん、そうだね。

今言えることを伝えよう。

「うん、何とかするさ。だから……死ぬ気で生きようか」



 向かい側のクララが固まった。

クッキーを消化中だったスライムも、なぜか真似して一緒に凝固。

そして、いつの間にか背後に控えていた執事のやつが……俺の脳天にパスンっと手刀を落としやがった。

「コホン。全く、貴方という人は……筋金入すじがねいりの唐変木とうへんぼくですね」

「なっ……」

「お嬢様に向かって、こんなときにまでデリカシーのない言い方をなさるなんて。私は、貴方をそんな子に育てた覚えはありませんよ?」

「む……」

執事の言葉に反発心がムクムク起き上がる。

俺だってそんな風に育った覚えはないんだけどね、っていうか……その、唐変木って何なのさ。俺の何が駄目なのさ。

「閣下はお嬢様にどうあってほしいのでしょうかね? 貴方のお気持ちを率直におっしゃればよろしいのでは……」

俺の? 気持ち? 

だからさ、……色々とってて上手く説明できないんだよ。

困ったなぁ。クララにどうあってほしいかって言われてもね……うぅーん。

「息災であってほしいとか、楽しく過ごしてほしいとか、そんな感じかなぁ」

そう言ったら、エドは眼鏡を外して眉間みけんをグリグリみ始めちゃった。

これって、あきれて物が言えないときの彼のクセだったりするんだよね。

うん、これは愛想を尽かされてしまったかもな。

正解は何だろう?

俺の気持ちが、今の俺にはわからないんだよ。



 向かい側のクララが、ピクリと動いた。

ティーカップを静かにソーサーに戻して、彼女がこちらに向き直る。

「私はラス様と一緒に居たいのですわ。それだけが望みなのです……期間が短かろうと長かろうと関係ございませんの。他所よそになど行きたくないのです」

ポッカリ空いた眼窩がんかはしに涙が溜まる。

思考回路はワタワタ慌てているのだが、何をどうすれば良いのかがわからないんだよ。

こんな状態を混乱してるって言うのだろうか。



こんな風に泣かせたいわけじゃないんだけどな。

こういうときって、なんて言えば良いのやら。

やっとの思いで無理くり心の奥から引っ張り出した言葉を、とにかく吐き出してみることに。

「……うん。俺を選んでくれてありがとう」

そうしたら、彼女の口元がほんのりゆるんで……微笑ほほえんだように見えたんだ。






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