第16話 兄弟

 転機は兄の王位継承だった。

幽閉から一年後、国王になった長兄が俺を訪ねてきたのだ。

護衛ごえい侍従じじゅうも連れずに一人でいきなりやって来た。

彼が言うのには、ここに一人で来ることが俺を無条件で信用している印なのだとか。



 すさんで身繕みづくろいさえ適当で、その頃の俺は連日最下層の石畳に座り込んでいた。

石造りの塔の底に流れる地下水路は、王都の下をくぐけて国境を超え、見知らぬ土地の地上に続いていると知ったから。

この場所の一室に遺物として残されていた本で読んだのだ。



 当時のこの場所は、何の手入れもほどこされずに荒れ果てていた。

罪を犯した王族や高位貴族の行き着く最果ての地……要するに墓地のような場所。

更生して社会復帰の見込みがある者は地上の塔へ、生涯幽閉される者は地下の牢獄ろうごくへ。

地下は文字通り暗闇の牢獄だった。

最下層の水路のその先でさえ、鉄格子てつごうしで外界と遮断しゃだんされていたのだから。



 そんなところに王様あにうえが、のこのこ一人きりで回廊を地下深くまで降りて来たのだから驚いた。

驚いて固まる小汚い俺を、兄上は躊躇ちゅうちょなくぎゅうっと抱きしめたのだ。

ものすごく驚いた。

「どうして……?」

思わず聞いた。王様相手に一言だ。

話をしない世話人から搬入口はんにゅうぐちへだてて食料や生活物資をやり取りするだけの日々。

一年も会話らしい会話をしていなかったものだから、目上の人への言葉遣いなんてすっかり何処どこかに置き忘れていたのだったっけ。



 俺の無礼な問いにも、兄上は頓着とんちゃくしないで答えてくれた。

「もちろん、可愛い弟に会いに来たのだ。長い間、辛い思いをさせてしまってごめんよ……」

抱きしめられたままで聞く言葉は意外なものだった。

誰も自分のことなど気にかけるはずがないと思っていたから。

「……なぜ?」

だから、素直に喜ぶどころか信じられなくて。

疑問が先に出てしまう。

「皆、……俺のことなんて……嫌っているんじゃないの?」

そう言ったら、とっても悲しい顔をされてしまった。

「私は君が大好きなのにな……」

信じてもらえなくても仕方がないかと、兄は言った。



 その日から、兄王は度々ここを訪れた。

「疫病と君が無関係だって知りながらも、先代国王ちちうえは自分の息子を守らなかった。貴族や大衆の顔色をうかがってばかりで自分の意志さえ見失っていたんだ。そんな国王は良からぬ者たちに利用されるだけで、民のためにはならないからね…………」

だから必死に基盤を整えて、ちょっとばかり早めに隠居いんきょしていただいたのさと現役の王。

「もう、悪い噂に君を傷つけ痛めつけたりはさせない。今の私には、その力がある」

ジッと俺と視線を合わせてから、力強くそうも言った。

でも、それでも不安だったんだ。



 再三に渡る兄の説得にも関わらず、俺はかたくなに王城に戻ることをこばんだ。

貴族が、大衆が、人間が怖いのだと……もう誰にも会いたくないと訴えた。

すっかり人間不信におちいっている俺を無理やり塔から連れ出しても良くないだろうと、兄は判断したようだった。



 ただ家庭教師と侍従を兼ねて、俺専用の執事だという奴が無理やり送り込まれきた。

当然、断固拒否の方針を貫くはずが、さすがは兄の選んだ教師役である。

物知りでお調子者な彼は、諦めることをしなかった。

どんなに拒絶を繰り返しても、粘り強く俺に向き合ってくれたわけで。

馴染むまでに相当の時間がかかったが、今では良き同居人であり保護者みたいな関係になっている。



 俺が塔から出ないことには何の進展もしないのだが、本人的には衣食住に不自由もなく直ぐに命を取られるという心配もない環境は、この上ない安住の地に思えていたのだから仕方がない。

兄上にもそう訴えていたので、俺の扱いは自主的幽閉生活みたいなものだった。

あのときの俺は、それで満足だったのだ。



 それで兄上は、ず疫病騒ぎによってにじられた俺の名誉も回復しようと動いてくれた。

国王直々じきじきの言葉として国内全土に公布された王命により、前国王の十二番目の子息であるグラース=エンダー=ルドル=ローゼルロード王子の疫病との関連性は皆無であると公表された。

よって、さきの生涯幽閉の沙汰さたは無効とし今後は同王子を王弟として扱うむねも関係機関に通達されたのだった。



 後に、ちょっと功績を立てた俺は公爵位に叙勲されてグラース=エンダー=ルドル=スクリタスっていう名前になるんだけれど……まあ、それが暗闇公爵なんて呼ばれる所以ゆえんだったりする。

暗闇公っていうのは、いつの間にか誰かが言いだした渾名あだななんだよ。

正式にはスクリタス公爵と呼ばれている。

新しく興した公爵家なものだから、全然知名度がないんだよね。

むしろ暗闇の方が独り歩きしちゃって有名だったりしている。

だから家名では滅多に呼んではもらえないのだけれど……まあ良いか。



 引きこもりだった当時の俺は、国王陛下あにうえに心配をかけ通しだったと思う。

思うけれども……そんなにしないうちに、自分がお忍びで塔の外へと出かけるようになるなんて思いもしなかったさ。













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