第3話 始動

 気がつけば全身が冷たい石床に押し付けられていた。

うつ伏せに倒れている自分の状態を自覚して、私は強張った指を動かしてみる。

身体はすっかり冷え切っていて関節がギシギシり固まっている。

あせらなければ、どうにかこうにか思い通りに動くみたい。



 凍える手足にゆっくりと力を入れてゆき、何とか上体を起こすことができた。

手枷てかせなどの拘束具こうそくぐが外されていることに安堵して、キョロキョロと辺りの様子をうかがうが…………見渡す限りの闇だった。

「……ここ……何処どこ? ……誰も居ないの?」

恐る恐る小声でつぶやくも、いらえはない。

すぐ近くに誰も居ないらしいことが判明したわけで、そのことがわずかばかりの安心材料となった。



 もう、家族以外は誰のことも信じたくない。

とくに王城のあの人たちなんて、二度と顔を見たくない。

暗闇の怖さよりも人の方が怖いだなんて、少し前の私には思いもよらないことだった。







 手探りで石の壁を探り当て、それを伝って立ち上がる。

謁見の間での出来事があまりにも衝撃的で、我が事ながらも未だに現実味がない。

「ぅうっ……ヒック……ヒック……お父様っ、お母様っ。なんで……どうしてこんなことに………………」

立ち上がった側から、現状を思い出してうずくまる。

この場に誰も居ないことで、少しばかり緊張が緩んだのだろうか……今更になって涙が次々とあふれ出し止めることができなくなった。



 優しかった父母はもう居ない。

兄は無事だろうか……今ごろ何処でどうして居るのだろうか。

真っ暗闇で見えはしないが、自分は骨と薄黒い皮だけの、骸骨みたいな見た目になった。

こんな身体でこんなに涙が出てくるなんて不思議なものだと、ぼんやり考えつつも気の済むまで思いきり泣くことにした。

しまいには元婚約者のことまで脳裏に浮かんだが、あんな男のために流す涙が勿体もったいないと思い至った。

胸がムカムカ苦しくなって、悲しみよりも腹立たしさが心をおおくしてゆく。


 泣いている場合じゃない。


 無性に腹が立ってきた。










 とりあえず、ひと通り泣きつかれるまで泣けた。

そのせいで身体はだるいが、気持ちがほんの少しだけ軽くなった気がする。

単に水分が失われただけかも知れないけれど。




 再び壁を伝って立ち上がり、石壁に沿って移動を試みることにした。

何時までもこの場所に居ても進展がなさそうだもの。

骸骨になっても空腹になるのかな。

涙が出るんだもの、水分だって補給しなくちゃならないだろう。

だって、ちょっとのどかわいた気がするもの。

だから、たぶん……栄養も必要なのかも。

空腹は感じていないけれど、食事をとらなければ餓死しちゃうかも知れないわ。

こんなところで、あっさり死んでやるもんですか。





 謁見の間で国王が言っていたことを、嫌々ながらも思い出す。

『クラウディーラ=リディア=トワイラエル。なんじには、廃墟塔はいきょとうへの幽閉ゆうへいを申し渡す……この先の生涯しょうがいの全てを暗闇のあるじささげよ。これ以後、汝の身に何事が降りかかろうとも王家が関与することはない』

他にも何か言っていた気がするけれど、今はこれだけで十分だ。

廃墟塔、幽閉。

そういうことなのだろう。

私がここで野垂のたれ死んでも放置するってことよね。

そうはいかないんだから。

意地でも足掻あがいてやるんだからっ。







 貴族ならば人民の手本となり、国のため民のために命を捧げよ。

そういう風に教え育てられてきた。

父母の命は国のためにも民のためにもなってはいない。

真面目に生きて国民に人生を捧げてきたというのに、罪を償えと冤罪を押し付けられた。

そんなの、納得できるはずがない。

それにね……今の私は、ただのクラウディーラ。

貴族じゃないわ。


 トワイラエル侯爵家は取り潰されたのだもの。

もう貴族の誇りなんて放り投げてしまっても良いはずよ。

闇の中で狂死くるいじにするか、餓死うえじにするか。

私にはそういう罰が与えられたのでしょう。

近い将来には、きっとそうなるのでしょう。

誇り高く覚悟を決めて受け入れるのが貴族令嬢なのかもしれないけれど、納得できないものは仕方がないわ。

諦めがつくまで、気持ちがぐまで、足掻あがいて足掻いて足掻いてやる。


 何もできないかも知れないけれど、形振なりふりり構わず生きてやる。

死ぬまでとことん生きてやる。

外へ逃げたお兄様だって、きっと同じような気持ちでいると……今はそれだけが心の拠り所になっているみたい。

私まで居なくなったら、寂しがりなお兄様が一人ぼっちになってしまうもの。




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