2-⑥能ある獣は牙を隠さず
深く沈んでいた俺の意識が、ゆっくりと浮かび上がる。
最初に感覚が戻ってきたのは左手だ。暖かくも、冷たくもない。けれど、そこに確かな安心感があって、俺はそれを手放したくなかった。
ふと気づけば周囲が明るい。いつのまにかに目を開けていたようだ。
俺は体を動かそうとして、何かにぐっと引っ張られる。
「リアナ……?」
俺が寝かされたベッドに銀髪の少女が顔を埋めていた。その手は俺の毛布の中に潜り込んでいる。ゆっくりと毛布をめくると、リアナは俺の左手を握ってくれていた。
「ん……」
銀色の頭が揺れる。寝起きが悪いのか、リアナはしばらくシーツに顔をこすりつけていた。その様をじっと見つめていると、突然顔が上がる。
「ユーリ!?」
「おはよう?」
何の気なしに朝の挨拶を返すと、俊敏な動きで手が伸びてきた。何か怒らせるようなことをしたのかも、と身構える。しかし――。
さらりとした心地のいい感触が顔に当たる。
「大丈夫!? 気分はどう!?」
焦る声が近くに聞こえた。吐息も感じる。甘い香りもだ。俺の顔を両手で包むようにして、リアナは鼻先で俺の額をなぞってきた。
「だ、大丈夫だ」
俺の上に飛び乗ってきた小さな体を思わず支えてしまい、抱き合うような姿勢になっている。寝起きだというのに俺の心臓が限界近く跳ね上がっており、みるみると顔に血が昇っていくのがわかった。
「よかった……。本当によかった……!」
「あ、ああ……。リアナ、ちょっと近すぎないか……?」
俺がくすぐったさを我慢してなんとか言う。すると、はっと声に出して体が離れ、リアナはそそくさとベッド横の椅子に腰を戻した。
気まずい雰囲気が部屋に漂う。
乱された前髪を戻しつつ俺は様子を伺うと、そこには真顔のリアナがいた。
……なんだその虚無みたいな表情は。猫みたいに甘えてきたのはお前の方だぞ。
リアナはそのまましばらくフリーズしていた。
俺が窓の外を見て「今日は天気がいいな……」と思う程度には退屈した辺りで、顔がこちらを向く。
「おはよう。大丈夫? 気分はどうかしら」
「ん!? 今さっきのはなかったことになったのか!?」
リアナは会話をやり直し始めたのだった。
◇ ◇ ◇
・ ・
◇ ◇ ◇
ゴリ押しで過去をなかったことにしようと試みた聖女の顔が真っ赤に染まっていた。
俺はその紅潮が多少収まったところで、静かに指摘する。
「それはいくらなんでも無理があるだろ……」
「うっさいわね。とにかくどうなのよ体調は!」
リアナが顔をそむけて手を払う仕草をした。
こっちを見るな、という意味なのだろう。俺としては珍しい光景なので目を逸らすようなことはしない。なるべくならこのままずっと見ていてやりたいくらいだ。
だが左肩に鈍痛を覚えて、俺は正直に答える。
「少し痛むな」
「そりゃ撃たれたんだから痛いでしょ。他は?」
「問題ない」
そう言って俺はわざと痛い方の肩をぐるぐると回した。おそらく治癒後の残痛だろうからだ。それを見てリアナは少しだけほっとしたような表情になる。
「弾、引っこ抜くの大変だったのよ」
リアナはどんよりとした表情で話してくれた。
傷に異物が刺さったまま治癒を行えば体内に残ってしまうのは当然だ。俺の場合、弾丸は左肩前方から入り、体内で下方向に曲がって肩甲骨の裏で止まっていたらしい。
すぐこの病院に運ばれたものの弾が小さく見つかりづらかったため、時間がかかったそうだ。最終的にはかなり大胆に切り開いていたらしい。
それを聞いて今更ながら腕を回すのを自重する。
「この世界にも銃があるのか」
「知ってるってことはアンタの前世にもあったのね。一応、古代兵器の一種なのよ」
「で? なんでクロエがそんなもん持ってんだ?」
彼女の名前を口にすると、リアナは気まずそうな顔になる。それから上を向いて眉間に皺を寄せて考えを巡らせた後、観念したように言った。
「……あの子、うちの諜報士だったのよ」
「諜報士? 敵の国に紛れ込んだり工作したりするアレか?」
諜報という言葉に対するイメージを伝えると、リアナは頷いた。うちの、ということは帝国に仕えているという意味だろう。
え? じゃあなんだ? クロエは研究員の皮を被ったスパイってことか?
俺は急に頭が痛くなってくる。
「……で、急に殺し合いになったって?」
「ぜ、全部アタシが悪いのよ! 諜報士だなんて知らなかったから、ちょっと脅すつもりで殺気を当てちゃったの! そしたら、敵だと思われて……」
「そりゃ思うだろ」
「銃なんて持ってるからアタシも反魔法主義者かと思っちゃったのよ! ごめんなさい! 完全にアタシのせいよ!」
なんでこいつはちょっと逆ギレ気味なのだろう。
頭を抱えてベッドに突っ伏したリアナのつむじを眺めながらため息をつく。
「最初に脅かしたお前が悪い」
「仰る通りよ! あ~、なんであんなことしちゃったんだろ!?」
リアナは顔を伏せたまま大声で叫んだ。病院なのだからもう少し静かにしてほしい。
すると、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ……」
リアナが扉に向かって声をかける。ゆっくりと扉が開かれ、恐る恐るといった感じで赤髪の少女が顔を出した。
「ユーリ様……! 気がついて、よかった……!」
「あ、ああ……」
クロエは屈託のない笑顔を向けてくる。だが、諜報士という言葉が脳裏によぎって俺は上手く返事を返すことができない。
それをクロエも察したのか、俺たちの間に気まずい雰囲気が流れた。
「ちょっと席外すわね」
居たたまれないくなったのか、もしくは気を使ったのか、リアナが席を立つ。だが部屋を出る直前、クロエに声をかけた。
「……アンタは気に病むことないわ。全部言っていいわよ」
その言葉にクロエは姿勢を正し、軽く会釈を返す。
それを見て、リアナは静かに部屋を後にした。
残された俺たちはしばしの間、沈黙していた。だが、このままでは話が進まない。
彼女に聞きたいことは山ほどあるのだ。
「諜報員ってのは本当か?」
俺の問いにクロエの体がびくっと跳ねる。
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた彼女は小さく頷いた。
「そう、です……」
俺は長いため息をつく。
「じゃあ研究者ってのは……嘘か?」
「い、いいえ……! それは……本当、です! 星遺物、が……好きなのも……!」
思っていた疑念をぶつけると、クロエは慌てた様子で釈明した。
だが、単純にそう言われても俺は信じること気持ちになれない。
「俺と会ったのは――」
「半分、偶然……です。ユーリ様は……監視対象、の一人で……特徴が似ていたから……。私の、前の席に……」
ということはクロエの前の席に案内したあのウェイターもグルだったのかよ。
警戒心が無さすぎる、というリアナの言葉が頭の中を反芻する。自分が思っている以上に俺は外に無関心で、知らずのうちに目をつけられていたのだろう。
俺は最後に一番の疑問をぶつけた。
「どうして俺を研究室に呼んだんだ?」
クロエは胸の前でぎゅっと手を合わせる。その仕草までも嘘なのではないかと疑ってしまう自分が嫌で、同時にこれが素のクロエだと願う自分も浅はかだと思った。
「私の歯……」
「歯?」
クロエはマスクを外す。整った口元と顎のラインが露わになり、わずかに開いた口から鋭い歯牙が覗いた。
「見ても、嫌な顔しなくて……。私の、こと……褒めてくれて。だから、もっと……私を、知ってほしくて……!」
マスクを取ったのは、彼女なりにやましいことはないという表現なのだろう。
俺は今、そのすべてを信じ切ることはできない。しばらくはしこりのようなものが残る気がする。
「諜報士の仕事とは関係ないのか?」
「……はい!」
クロエは真っすぐに俺の目を見て言い切った。
まぁ……いいか。
俺はいったん心の警戒を解くことにする。古代文字を調べようとした俺に、彼女が付き合ってくれたのは事実だ。全部自分のせいだ、と言っているリアナのことも信じる気持ちで、俺はクロエに頷いてみせた。
「……わかった」
安堵の息が漏れる。
マスクを付け直して笑ったクロエの目には、わずかに涙が溜まっていた。
◇ ◇ ◇
・ ・
◇ ◇ ◇
「それでは、また……ユーリ様」
クロエは扉を開けて病室を出る。病室にしては重厚な扉をしっかりと閉めると、廊下に立つ人物へ向き直った。
「やけに人の少ない病院ね」
「人払い、を……しています。聖女様……」
鋭い目つきでしばし周囲を見回した彼女は、こちらを見据える。そして、呆れたように短くため息をついて口を開いた。
「わかりました。お話を聞かせてくださいますか?」
雰囲気が変わった。冒険者らしい少女のそれから、慈しみの響きを持つ厳かな雰囲気へ。同一人物とは思えないほどの変わり様に、クロエは弾かれたように膝をつく。
「クロエ・ゼン・アズナブールと、申します」
「クロエ……貴方はどなたの下についているのですか?」
「外務卿補佐……ミレイ様です……」
このお方はすべてを知っているのかもしれない。だが、ここで自らのすべてを話すことが、今クロエにできうる恭順の示しだ。
「貴方の役目は?」
「この街、での……魔災連の調査、です」
「魔災連……。わたくしの耳にも少しだけ届いています。彼らはここで何を?」
「星遺物が、集まりやすいここなら……隠して作れ、ます」
聖女の声が少しだけ固くなった。
「何を作れるのですか?」
「……古代兵器。
沈黙があった。クロエは頭を垂れて言葉を待つ。
しばらくして、徐々に氷のような雰囲気が解けていくのがわかった。
「わかった。話してくれてありがと。あと、本当にごめん。この件は完全にアタシが悪い」
「い、いいえ……! 聖女様に銃を向けたこと、誠に……申し訳ございませんでした。寛大なお心に……感謝を」
「いいから立って。聖女はもう終わりなの」
クロエは言われた通り立ち上がる。そこには腕組みしてバツの悪そうなただの少女がいた。
「次からは名前で呼んで」
「はい……。リアナ様」
リアナはうん、と頷くと、手をひらひらと振って見せる。
「とにかく今日は解散よ。あいつとはまた遊んでやって」
「よろしい、のですか……?」
「良いも悪いもないでしょ。アンタら友達なんでしょ」
クロエは意外に思った。その同行者と今後も接触を許可するとは思っていなかったのだ。
お忍びで冒険者をやっているとは話だけで聞いていたが、その最中は考えすらも聖女という存在から離れているのかもしれない。
リアナに向かって深くお辞儀をする。
小さく聞こえたため息を返答と判断し、クロエは足早にその場を去ったのだった。
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