父になるということ

 さいたま市内の高校にある野球のグラウンドは、閑散としていた。

 澪が名倉と手続きをしている間に休憩時間で外出した折田と少し、この辺りをうろうろすることにした。

 一時間にも満たない。自分も五時には帰って明日に備えなければならないが、それだけの手間をかけてなお、ここに足を運びたかった。友と再会し、そして自分の因縁がどのような結果を迎えたかを知ることは、高峰にとって代えがたいことだからだ。


「名倉君、泣いてましたね」

「俺もうれしかった。……彼のおかげだからな」

 折田の表情が思わずなのか優しく緩み、高峰は慌てて付け加える。

「もちろん君も」

「解ってますよ。ありがとうございます。……高峰さんは、服巻さんが倒れた後、どうなったか覚えてらっしゃいますか?」

「修でいい。いや、あの時ばったり倒れて後、すぐに意識は高峰のベッドの上だったんだ。だから解ってない」

「そうなんですか?」

「ああ。あの後服巻はどうなったんだ」

「それが……」

「今も働いてるだろう?」

「そのまま病院に運び込まれたんですが、その頃にはもう亡くなってました」

「本当か?」

「ええ。ご遺体は遺族が引き取られて、ご遺骨は九州の実家のお墓に置かれたそうです」

 高峰は立ち止まり、つばを飲み込んだ。

「ショックでしょうけど……結構仕事の関係者も参列されて、皆さん惜しまれていましたよ。僕は正直、修さんがどうなったのか気になって参列したようなもんでしたけどね」

「そうか」

「松浦さんがとても泣いてました」

「女の子?」

「ええ。事務の松浦さんです。服巻さんが倒れるちょっと前は仲が良かったイメージがあります」

 その子は申し訳ないが思い出せない。いずれにせよ、すまないことをしたなとか、残念だともいえない。何とも言えない気持ちになる。ふと何かがよぎって言葉になる。

「たしか高校生の女の子を見なかったか?」

「服巻さんの娘さんですか?」

 そうとも思い出せない。だが心は折田の言葉に同意していることがわかる。

「ああ、多分そうだ」

「参加されてましたよ。詳しいところは僕にはわかりませんが」

「……一回、会ったことがある気がするんだ。その時はこのグラウンドの辺りを歩いてるときにな」

 気がするっていうけど、雰囲気でしかわからない。何せ脳みそはもはやあっちのものだからだ。

「そうだったんですね。あ、確かにうちの野球部が活動してるのはこの野球場がメインだって聞いたことあります」

 やはりそうか。この感覚には自信があって、折田の言葉で確信に変わった。


「あいつの心はどうなったんだろうな」

「さあ……」

 すると折田が語りだした。

「でも僕、修さんの件があったから、この前から最近話題になってる配信者の動画を見たんですよ、そういう哲学っぽいの」

「そうか。何かわかったのか?」

「いえ、何も。すみません」

「いいんだ。それより、君もそんなことに興味が向くようになったなんてな」

「うわ、もしかして僕が澪さんのファンなだけだと思ってるでしょ」

「うん。いい意味で言うけど、むしろそれ以外にあるか?車好きとか?」

「ないです」

「なんだそれ」

 折田はしかし、間髪入れずに付け加えた。

「だから修さんに出会えたでしょ」

 高校の野球部がバッティングの練習をしているのを見ながら高峰は答えた。

「確かにな」


 そのフェンスは緑の木々と金網に覆われていた。横断幕には誇らしげに、運動、文化両面で優秀な成績を収めた生徒の名前が大きく書かれている。

 するとバイブレーションの音がして、折田が震えるスマホの画面を見て言った。

「あ、まずいです。昼食終わっちゃう」

「すぐ戻れそうか?」

「問題ないです」

「そうか」

「ハンバーガー食べましたし、午後も調子よさそうですよ」

「よかった」

「ええ。じゃあ、僕はここで。澪さんが商談終えられる前に戻ってあげてくださいね」

「ああ。そうするよ」

 と言って折田は角を曲がり、店に帰っていった。


 折田を見送って、しばらく高校球児たちのプレーを見ていた。

 自分もかつて、こんな風にボールを追いかけていた。あの時はこれしかなかった。視野が狭くて、本当にボールしか見えなかったなと思う。劣等感にさいなまれても、許せない気持ちや屈辱感を見直したり立ち止まることはしなかった、していられなかった、そこまで考えて、自分はボールしか見えなかったというより、見ていなかったと今、思えるようになった。


「高峰修だよね」

 振り返ると、女子高校生が立っていた。

 この子を知っている気がした。だが、名前が思い出せない。でも確かに、どんな子か知っている。

「ああ、君は」

 と言いかけて、先に女の子が口を開く。

「父さんの中にいたんでしょ」

 つばを飲み込んで何も言えない高峰に、彼女は言う。

「あの時の変な父さんにそっくりだから、絶対に謝らないのに、謝ってきた父さんに。口調も、仕草も」

 確かに、俺は君にそう言った気がする。心が保持している記憶をい感じようとして、高峰はそう思った。そう思いたかっただけかもしれないが、今ではこう信じていることは間違いがないと願う。

「確かに俺は君のお父さんと入れ替わった。……だけど、あの言葉は俺だけの言葉じゃないんだ」

 だからごめん。そう言いたかった。戻ってからずっと、そのことは心が覚えていたから、それが気になり、会いたくて実はこの近くのことを折田に聞いて、ここじゃないかと思って周辺を歩いていたのだから……しかし話していて、心に沸き上がったことはそれだけじゃなかった。その思いを正確に伝えるために、この場に立って、今浮かんだ言葉をそのまま話したいと思った。


「君のお父さんの頭の中を見た。君のことを愛していたと思う。謝りたくて仕方がなかったんだと思う」

 高峰はそのあと黙った。言うべきことはそこで絶えて、真竹が空いて、風が吹くと女の子は、表情も変えずに言った。

「最低の父親だった。お葬式も、泣かなかった。お母さんは出なかった」

 そしてすっきりとした表情になった。

「でも、いいの。ウソでも、あんなお父さんの姿を見せてくれてありがとう」

 高峰は何も言わず、何秒か経って、こちらに言葉という形での反応がないことを理解したかのように、女の子は言った。

「なんだかそんな気がして。じゃあね」

 振りむき、歩き出そうとするセーラー服を、もう一度高峰は呼び止めた。

「もしよかったら……」

 と言った高峰の目を見て、女の子の目は鋭くなった。

「そういうの、いいから。憐れむんなら、話しかけなければよかった」

「ごめん」

 彼女が求めたものはそうじゃなかった。お金とか、支援とか、そんなものを軽はずみに言おうとした自分が恥ずかしかった。

「君を傷つけた」

 しかし女子は、森の揺れる木々や風を感じながら視線をそらすと、まっすぐに高峰を見て、言った。

「いえ、ヒーローは困った人を助けようとするでしょ。

 それと同じ」


 高峰は凛として去っていく珠莉の背中を、その彼女の後姿が見えなくなるまでずっと立って見守っていた。

 それが、高峰が服巻の墓を知る最後のタイミングであったことは分かっていた。

 だが、高峰は服巻の墓のことは聞かなかった。

 

 それ以降、服巻に関連した事件は終局を迎えた。

 この年、アベンジスはエース高峰を中心としたハイレベルのチームプレーを見せ、二連覇を達成した。

 かねてより話題になっていた高峰のメジャー進出については、本人の意志により白紙となる。安価で普及率の高いヤリミズの軽自動車、ネバビータはマスコミの取材攻勢にも見つかることはなく、一年の再交際ののち、世間に高峰修と広橋澪のビッグカップルが結婚したことが報道された。

 その後高峰は、翌年の三連覇の中心人物としてチームに貢献するも、そのシーズン終了と同時に広背筋症の悪化によって現役として戻ることはなかった。

 広橋澪はミニシアター向け映画の主役を最後に活動休止していたが、高峰の強い後押しと支援もあって女優業に戻り、日本のスクリーンに大輪として咲き続けることになった。



 高峰選手が引退してから、夫妻は男の子を生んだ。

 その子を高峰は、活躍する妻を支えながら主夫として大切に育てた。

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