Ⅷ 加速期肩関節外転:百度

産声

 始球式での安部礼司くんによるブチ切れパフォーマンスは、ボールを投げたお笑い芸人のアドリブも相まって、スタジアム中に笑いを起こしていた。


 既にネット配信の開始時間となり、選手たちを捉えるカメラが各人の表情を捉えている。もうしばらくすれば地上波の放映も始まる。今まさにベンチに座る高峰もその表情を抜かれ、時差なくドーム中央の大スクリーンに映し出されていた。

 今試合出場予定はないにも拘らず、高峰は注目されている。


『……ペナント開幕戦を終了し、いきなり背水の陣のアベンジス。ブルペン、ベンチには緊迫感が漂っています。度重なるメディア露出と恋愛スキャンダルで、内外より選手としての本義が問われていた高峰修は、先日行われました阪急メタルデカスとの試合においていきなりの三失点を喫し、今回はベンチスタートとなっています。再びチャンスを勝ち取り、そしてものにできるかが問われます。解説福井さんいかがですか』

『うーんそうですねえ、アベンジスの中で話をすれば、私は気鋭の澄田選手が非常に光って見えます。先日のファインプレーには、若さが輝いてましたし、チャンプスの田部井も素晴らしい滑り込みで取りに行くプレーをしてましたよね。二人とも開幕戦から重要バッターとして活躍していますし、若い対決を見てみたいですね』

『そうですね……。エースたちの活躍に大期待です。ここでアベンジス状況をひっくり返すか、それともチャンプスがアベンジスを下し今シーズンでの先鞭をつけるか、注目の一戦が始まります!』


 プレイボール!と主審が叫ぶと同時に、戦いが始まる。

 それから一回、二回と指折り数えながら出番を待った。

 静けさに包まれたベンチの奥では、定位置で腕を組んで眉一つ動かさない監督の張り詰めた気配が支配する。

 期待の新人、先発投手澄田は快調だ。参謀である麻元との連携によって、インコースすれすれの変幻自在な投球で相手打者を翻弄し、一球ごとに緩急をつけた直球で撃破するスタイルを続けている様を高峰はベンチに座って黙って見ていた。

「完投するかもな」

 誰かが高峰に分るように声に出した。その意味は分かる。監督は何より、若手を育成しながらファンを楽しませる野球を目指している。そして明日の新聞に載る見出しを作る戦略も立てている以上、開幕で失態を犯した高峰を起用する確率は低い。

 ただ、個人としては聞いていないし、効いてもないつもりだ。

 すべては監督の裁量に委ねるのみと考えて、声がかかれば飛び出して結果を出す準備だけを抜かりなく行ったつもりだ。昨日の今日、急に戻った身体でどれだけやれるかも考えず、無意味なスポーツドリンクのボトルを握りしめて、チームの勝利を願う。

 

 結局六回まで声がかからなかった。その間高峰は守備にも出してもらえない。昨シーズンの主役にしては、とんでもない冷や飯食らいと言えた。その割に試合中、カメラはよくベンチに座る高峰を映した。

 動揺が高峰の体を侵し始めていた。監督は指示以外沈黙のままだ。

 アベンジスは一貫して二塁でストップされる一方、チャンプスには三塁まで進出する場面もあった。必ずその場面には、背番号二十四番の剛力が鎮座し、澄田は彼に押されながらも防衛を続けている。

 結論、全体とすればこう着状態のまま、盛り上がらない試合運びとなった。

 マスコットの安部礼司君は、小畑監督と合わせてよくネットミームにされている。今回もベンチの空気が怪しくなる。

 澄田は毎回よく抑えた。代わりの打者が投手の代わりにバッターボックスに立つ、指名打者制度によって澄田の体力は守られ、彼の打席は実力者である溝井が担っているためだ。

 ただ今日は、打線が振るわない。そして今季のチャンプスは強い。

 昨シーズンの記録を元に、アベンジスを丁寧に分析しているのは明らかだ。田部井は高峰にとって、戦う事なき敵だが、チームには鉄壁として立ちはだかっている。

 ツーアウト、一塁二塁の状況で、順番は勝負打者に回ってきた。

「ここで決めにゃァなァ!」

 監督が言った。

 緩い歓声に包まれ、指名打者、溝井がバッターボックスに立つ。緩やかにバットを構え、余裕な素振りを崩さないのは彼が人一倍勝負強さを持っているしるしだ。だが今日は、表情がこわばっていた。

 一投目。空振りのストライクを取られ、スタジアムの空気が緩慢になる。絶えず吹き鳴らされるトランペットには、結果を要求するいら立ちすら感じる。 

 二投目。田部井が振りかぶり、身体をしならせ投げる。ぎりぎりのアウトコースに入り、ボールとなる。


 ベンチに座る高峰は押し黙ったままだ。

 チャンスをただ待つだけの自称プロだった。

 三投目、これは詰まってファールボールになる。

 これほどの失敗を積み上げて、監督の心象も損ないながら、どうせ明日にはまた使ってもらえるなどと思えるような立場にはない。

 それがたとえ、自分ではない自分だったとしても。

 四投目を見た。

 溝井は思い切り振ったが、かすりもせずにストライクとなり、どこからともなくファンの怒声が聞こえてくる。この球場からは観客の声はよほど近く大きくなければ聞こえない。

 だが、周囲の人が作り出す微細な気分は伝わってくる。

 心があるからだ。

 退屈も、緊張も、怒りも、ファンと選手は、目と耳と口を経由して、共感装置である心でつながっている。

 そして思っていた。

 どうせこんなプレーがずっと続く、つまらない試合になるとしても、この試合で負けたからと言って何が決まるのだろう。また、こうも思ってる。アベンジスに勝ってほしい。ファンでよかったとまた言いたい。自分の好きな選手が活躍し、仕事が終わって、学校が終わって、休みを取って得た人生この時を彩ってくれるのを待っている。

 高峰はベンチだった。

 彼はほとんど観客だった。


 こっぴどく否定されたことのすべてを覚えている。


 でもその自分の背中をずっと見守ってくれた人たちのことを、忘れることなどあり得ない。苦しくて苦しくてしょうがなくなって不甲斐なくてやるせなくて嫌になるそんな日に、その日に管を巻く自分のすぐそばで馬鹿にされてもつまはじきにされても走っていた誰かが背中を押した気がして、その感覚を覚えた瞬間。


 高峰は周りにしては突如というべき状況で声を張った。

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