明日も出勤する
四月十五日。
昼下がり。
たまに服巻は折田とともに、休日が合う時はドライブに出かける。地方の温泉につかり、うまいものを食うだけの一日だ。たまにゴルフもやる。アロガンザはいい子だ。
快調にエンジンをドライブさせ、心地いい日中の日差しを受けて赤いボディが輝く。
「けどなあ、この車も乗り換えようかと思ってるんだ」
「そうなんですか」
「カタログ見たら、丁度ネバビータが社員価格で丁度いい感じの値段になってたんだ。今度お客に進めようかと思って見てたら自分も欲しくなってな」
「軽に乗り換えるんですか?」
「ああ。コスパがいいし小回りが利いた方がいいからな」
何とも言えない表情から立ち上がるほほえみをたたえて、折田が言った。
「奇遇ですね。僕も引っ越して、生活を心機一転しようかなあなんて思ってたんですよ」
「へえ、何でまたそんなことを?」
「澪さんがまた女優続けるらしいので、僕も新しい自分になろうかなって」
「澪に振り回されっぱなしじゃないか」
「振り回されてないですよ。ただ、普通に生きてたらそんな事しようとも思わないだろうし、きっかけを澪さんにしてるだけです」
「まあ、それなら仕方ないな」
「彼女は多分、高峰選手を待ってるんでしょうね。知ってます?今年のプロ野球が始まってから、高峰の出した成績……」
と、何故か面白がって折田が言うのを制した。
「やめろよ。もうすっぱり切り離したんだ。これからは服巻武の人生を生きて行こうと思うよ。それも悪くないと解ってきたからな」
「……そうなんですね」
そこで折田も、高峰の噂が彼自身の気を楽にしないことを悟ったように黙った。その少し沈鬱な空気に、高峰の皮を被った服巻は言った。
「こんな形になってしまってすまん」
「いえ。僕としては寂しいですが、高峰さんがすごい人だってことは分かってますから。嫌な上司じゃなくなって、尊敬できる人になっただけでもいいんですよ」
現実はそんなにドラマティックでもない。
「ありがとう。……まあ、この先また入れ替わることもあるかもしれないだろ?思えば始まりだって突然だったんだ。その時は」
「店に来てくださいね」
ああ、もちろんだ。そう言って服巻は『目的地です』と知らせるカーナビの音声に従って、緩やかに車のブレーキをかけた。
「ホラ、着いたぞ」
ここは折田の自宅マンションの前だ。あの時自室まで来てくれたことのお礼で、必ず送るようにしている。折田は冴えないバックパックを掴むと、ありがとうございますと言って座席から降り、車の外に出て運転席と向かい合った。
「教えてくれてありがとうな。おれのこと」
高峰は折田に言った。
「何言ってるんですか、修さん」
「その名前で呼んでくれるか?」
「もちろんですよ。それ以外に名前あるんですか?」
微笑み、息を吸い込んで言った。
「ない」
「じゃあ、修さんです」
高峰が口を引っ込め、この話題はそれで終わった。
「明日も出勤か?」
「あなたと出勤です」
うんざりする、いい友だ。
「そうか。ありがとうな」
服巻の声に折田は軽く会釈し、車のドアを閉じた。
折田の後姿を完全に見送って、ペダルをゆっくりと踏む。車が何の変哲もない一般車道を走ると、空は夕方に差し掛かり、青空は白んだあとのセピア色に戻っていく。
値段の高めな全国チェーンのコーヒー専門店が視界に入る。迷っているうちに車はその場所を通り過ぎた。Uターンはできなかった。
ドライブで少し疲れたのだ。その体を癒すため、アロガンザをもう少し走らせて駐車場に止めて、車から降りてハンバーガー店に歩く。
ノマドバーガーは日本有数のファストフード店だ。
慌ただしい店内に並びメニューを見ても、高い血糖値を思えば舌も胃も引っ込むような、おっさんの自分には食べられそうにもないものばかりが並んでいた。若い女性の店員の声に、メニューの端に書かれたコーヒーを指さし、百円を払ってホットを注文して受け取り、外に出る。
店先に置かれていたベンチには、マスコットのロナルドが腰掛け、片側に手を伸ばして招いていた。ところどころ色あせて塗料は薄くなって素材があらわになっているし、つま先は割れている。服巻はそのベンチに腰掛け、朽ちたままのロナルドの腕に首をもたれた。
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