高峰修のモノマネ
「なぜそこまで頑張れるんだ?」
名倉はどこに目を向けていいか迷っているのか、またはバツが悪いのか、そんな感じで目線を漂わせていた。
服巻も、気恥ずかしくなって空を見て、団子のような雲に言った。
「バカにはしない。今の俺は、君をすごいと思ってる」
そして視線を落とし、名倉の目を見た。
「根性あるよ。……どこからその粘りが出てくるんだ?」
「僕の実家は青森の田舎で。戻りたくないんです」
「いやな場所か?」
「そうかもしれません。市内でもないですから何もなくて。埼玉が好きなんです。都内ほど人混みがあるわけでもない、丁度よくて」
「俺も田舎の出だから分かるよ。ここから撤退できないんだよな」
「そうです」
名倉はこぼれるように言った。
「帰ったら、もう立ち上がれない気がして」
「俺にも、戻っちゃいけないような思い出がある」
服巻は言った。
「野球好きなんだな。あんだけやられても食らいつくなんて大したもんだ」
名倉は初めてドリンクの蓋を開けて一口飲んで、答えた。
「目標があって」
「目標?」
「僕、高峰修選手の大ファンなんです。アベンジスの勝利投手」
服巻は名倉にとっては不自然なほど、おののいた顔を見せていた。
名倉がこちらの顔をのぞき込む様子を見て思わず腕を腰にやると、誰も人がいなくなったグラウンドを見た。
「ああ、よく知ってるよ」
名倉は言った。言葉は少し熱を持っていた。
「大学時代の最初の当番の時から、ピッチングフォームがかっこよくて好きで、それで追いかけたら彼の生き方や言葉が、どん底の僕に響いたんです」
「そうか」
「週刊野球もずっと、高峰の取材回は買い続けて追ってます」
「そうか」
「実績も低迷して、広背筋症だってニュースが出た時は、本当に心配したし……でも、二軍に落ちても這い上がってエースに返り咲いたとき自分のことのように嬉しくて、それで」
「そうか」
服巻は思わず手すりに掴まって、握り締め、共通の記憶を持つ彼の言葉を聞いていた。
「あの胴上げ忘れられませんでした。最近ですけど、自分の契約の数字も伸びなくて本当にもう、他の仕事するか、それとも田舎に帰ろうかなと思っていたところだったから……」
言葉も出さず、服巻は頷いた。
名倉にとっては、その服巻の仕草はかつて見たこともないものだったろう。
「でも、そこから丁寧に仕事をしようって思い立って、ようやく家族に車を買ってもらって、そこでコツが掴めて、今のように。あ、いや、その……」
数字を上げました。そう言いたかったんだな。
高峰は服巻の首を横に振って、一緒にグラウンドのすぐ隣にある河原に行き、名倉にミットを持たせると彼と距離を取った。
「必要なのは自信だ。そうやって頑張った自分をもっと褒めてやるべきだ。……なんて今まで責めてきた俺の言う事じゃないよな」
名倉は無言で地面を見、服巻とは視線を合わせなかったが、逃げることもなかった。
できるかどうかは分からない。
いや、できないだろう。それでもボールを持って、思いのままに振りかぶる。
そして投げた。一直線に飛んで、今日ボールを持ったものの中で最も鋭い音を名倉のミットに与えて、弾けて、そしてこちらの足元に、戻ってくる。
明らかに名倉の反応が変わったと感じた。
「どうした?」
「今の……高峰の投げ方です」
「できたか。実はモノマネしようと頑張ってたんだよ」
嘘を言って、名倉は笑った。
「だが高峰の投げ方には一つ欠陥がある」
振りかぶり一本足になった姿勢で止めてみようとする。
ぐらりとする、しかし踏ん張り、立って見せる。
「ここからの動作で降り下ろす側の背中と肩に負荷をかけるコースがある。二十球に一球の割合だ。球速は上がる。だがそれが原因で怪我も作る。気づけば問題は起きないが、極限状態では話は別だ」
振り下ろす動作をしつつ、思うところを言った。
心が作り出す高峰の記憶をたどりながら話す。
「つまり、広背筋は焦りから出たものなんだ」
高峰はボールをミットの中に入れたまま、そう言った。
「君と同じなんだ」
名倉は目を丸くして、服巻の姿を見た。何かを感じたろう。しかしそれでいい。
「持ってみろ」
ボールを渡して、名倉のピッチングを見た。ボールを受けるも、ミットに当たるときに芯からもたらされる力がない。服巻から近寄り、こう言った。
「君の投げ方は振りも動きも大きいサイドスロー気味のスリークォーターだ。振りは思い切りがよく、脇を締めようと意識しているのもわかる。だが肩に力が入りすぎてないか。自分の力をコントロールできていないから、置くべき重心がぶれ、回転力の落ちたベーゴマのように体幹が斜めになる。それで、上腕が緩んだ輪ゴムのようなしなり方をしているのが問題だ」
心のままに、そう言えた。これは高峰の言葉だ。
「焦りは高峰も持ってる。だから自然体でいくんだ」
それから十投ほどしながらチェックすべきことを教えた。彼の投法は見る見るうちに洗練され……ることはなかったが、体幹は少しずつ直ってきていると、感覚的には分かった。
この方向であれば悪くないだろう。
「上手くなりたければ、今のやり方を意識して、鏡の前でやってみろ。手遅れはない」
名倉は言葉もなく、お辞儀で答えた。
「……何事にもな。以上、終了だ。帰ろう」
そうして服巻は、グラウンドの使用終了のペラ紙を持った。歩き出す服巻に、バッグをたすき掛けにした名倉が追いかけてくる。服巻は、あの日の高峰の話を週刊誌やネットニュースで見た体にして、思い出しながら話した。
……すごいな。コイツ、本当にどこまでも調べてるんだ。
名倉の知識には驚くばかりだ。その驚きは向こうも感じているようだったが。
「でもすごいですね。そんな話、どこで集めたんですか?」
「あれだよ、テレビのドキュメンタリーとか、君が見落としているやつなんだと思う」
「それ、何の番組です?」
「うっ。うーん、実は捷米にいた時に顔見知りだったんだ」
「そうなんですか?」
「俺の憶測もあるかもしれん。記憶違いも」
「でもすごく、リアルです。それに今までのインタビューの内容とも舞台裏みたいに噛み合ってますよ」
「まあ、似た者同士なのかもしれん。認めたくはないけど」
「でも……最近、高峰の様子がおかしくて。ニュースでもそんな話題ばっかりでした。シーズンが始まる頃には、本来の彼が戻ってくれたらいいと思うんですけど」
「さあな。もう高峰はオワコンかもしれない」
「え?」
ファンに向かって安易にオワコンなどと言ってはいけない。折田を思い出して訂正する。
「ああ、いや、君は自分で自分の人生を作り上げることができるって言いたかっただけだ。他意はない」
「?分かりました」
なんだか釈然としない顔をしたが、話し相手は服巻だと名倉は思っていることもあるのだろう、了承してその話を終える。
「この前訪問したお客さん、君をほめてたぞ。一生懸命やってくれるって」
服巻は名倉に背を向けて、言葉だけ彼に聞こえるように言った。
「大事にしろよ」
名倉は野球帽を取ってお辞儀をすると、自分の車のある駐車場へと歩いて行って、そこで視界から消えた。
服巻は川に沿って、歩いて帰ることにする。
道の横に展開する川の汚い水の流れから、日の光が反射して透明な光が差してくる。
それを全身で浴びた。
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