服巻武という男
「折田くん、デスクワーク中すまん」
「あ、店長。おはようございます。何か御用ですか?」
「ああ。服巻くんのことだ。めっきり元気ない。清宮君にも事情を明かさないし、私も困っていてな。一時期あの男と一緒に行動していたろう。確か先月とか。何か知らんかね」
折田は、かなり慌てて言葉を紡いでいる様子だ。
「ああ、それが僕にもさっぱりで……」
「嘘はよくないぞ」
「いえ、本当に知らないんですよ……。特に最近はメールも返ってきませんし、感情が入っていないというか」
「そうだ。それだよ。全く覇気がなくなってしまった。繁忙期だってのにうちの店を潰す気なのか」
ふーむ、そんな重々しい息を鼻から出した店長は、らしくないんだと言った。
その声にもぎこちない返事を繰り返す折田を一瞥すると、
「ま、できなきゃ他の店にようやく飛ばせるよ」
そう吐き捨て、店長は清潔にひげをそった顎を指でなぞり背を向けた。
その理由を折田は一番知っていた。あの日、折田が宮崎で服巻を見つけた時はあまり思い出せない。だが確か、殆どもう日は落ちて風が草木を揺らしていた。寒かった。
とてもじゃないが、折田にしても、自分に話しかけられるような雰囲気はなかったろう、結局一緒にいることも拒絶した。
黙ってホテルまで帰り、『当初の予定通り』別の飛行機に乗った。
「折田」
清宮が鋭いまなざしで折田を見ている。
「お前やっぱり連絡取ってたんだな」
言葉も出ずに、黙っていた。折田の喉の奥が引っ込んでいる。その分清宮の気配が目の前に突っ込んでいるように見える。高圧的な気分の清宮が良くやる癖だ。誰に似たのか。
「ま、離婚してからあの人おかしくなってたからな。もう潮時か」
「潮時?」
「あんなに毎日生きる屍みたいになってるオヤジから車買いたいって思うか。俺はやだね」
折田は視線を落とし何も言わない。清宮は少し歪んだ唇のまま、折田を無視して話した。
「まあ、知れてるか。お前、何であの人が捷米出のくせにこんな前線でお呼びもかからないんだと思う?」
「さ、さあ……」
「人格に問題があるからだよ。それに、小さくてもお山の大将がいいんだろ。ま、すわりのいいイスってやつだ。すっかり丸くなっちまったがな」
そこまで聞いて、服巻は全てを見渡せる所にあったドアから飛び出した。
「清宮ァ!」
清宮が驚くほど腰を抜かしているのを見て、服巻は滑稽だと思った。
「てめえふざけてんのか!あぁ?」
そこにあった清宮のイスを蹴飛ばし、胸倉を掴む服巻は顔を傾けて清宮を睨みつけたまま動かなかった。
「オメエみたいに卑怯な盗塁野郎に馬鹿にされる謂れなんざねえんだよ!うだうだ弁解する暇があったら俺並みに案件とってこい屑!」
清宮は蚊のような声で、何度もすいません、さーせん、と啼いていた。
「おめえはただでさえ名倉や折田のミスを拾って数字を上げてる馬鹿野郎なんだからよ。人のふんどしで勝負する間に自分にやれることをやっておけ!分かったか!?」
久しくなかったこの極限の気配がオフィスを覆っていた。
しかし服巻が振りかざす論理は全く違う。それに清宮は困惑している。
想定していなかったろう。
まったく消極的になっていた服巻がここまで牙を見せることなど。清宮は小さくなって服巻が蹴飛ばしたイスに座り直し、PCをカタカタと打って、おそらくは一刻も早くここから去るために自分の仕事を始めた。
顧客のリストにある保険加入情報の確認や購入歴の確認は端末で処理せざるを得ない。
服巻は悪びれることなく椅子に座り、店長がこの部屋の外から見て見ぬふりをしている気配も知りながらふてぶてしく鎮座していた。
それを痛ましい顔で見ている顔を見た服巻の視線はその男に集中した。
「どうした折田。早く処理してフロアに降りろ」
「はい」
折田の声はすっかり機械的になっていた。
何か言い知れぬ満足感に身をゆだねていることを感じながらも、服巻はそれを当然のものとして扱うことにした。
その物陰に隠れるようにPCに向かっている女性スタッフの怯えた顔を見ても、考えが浮かぶことはない。
※
「おい!竹内走れっ」
服巻が怒声で選手を追い立てると、野手は曇天に浮かび上がる緩慢な打球の描く放物線その終わりに向かって走り、落下点に間に合う。ミットに収めると、ベンチから歓声が上がると、野手に向かって木ノ内が言った。
「OK、ナイスキャッチ」
「合格だな」
「名倉以外取れて当然だ、あんな球」
声は歓声にかき消される。木ノ内はユニフォームにアベンジスのスタジャンを着て、蟹股で両ポケットに手を入れたまま攻守交代するチームに向かって言った。
「おい!次も川口打線を炸裂させろ」
威勢のいい声が返ってくると、満足げに木ノ内が笑った。
「お前が元気になって活気が戻ったな」
「そんなもんか」
「ああ、見事に立ち直ってチームを勝利に導いてる。川越の連中、驚いてるぞ。お前が怒るようになってから、販売台数も野球も成績が戻ったってな。マネージャーとしてはケツの一つ二つ蹴り上げてやりたいところだ」
「立ち直る、か」
ふっと服巻が笑い、木ノ内が煙草をふかした。唇から漏れる白い煙が、そろそろ春の到来を予感する雰囲気を運ぶいまだ寒い風に乗って、すぐに薄らぎ消えていく。
「吹っ切れたに近いかもしれん」
「な?言ったとおりだろ?全部どうでもよくなるんだ、どうせ」
「確かにな」
交代した選手たちが持ち場につくと、ひりひりした空気があたりに漂う。
名倉はベンチにも座らせてもらえない。それは服巻に入れ替わる前からずっとそうだったと木ノ内が言っていた。
自分の責任だという内なる服巻の声は、正しいことのように思えた。
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