ただ無茶な客
「斜陽の野球を俺が持たせてるんだ。このくらいワケはない」
高峰修は言った。
後ろに視線をやると、すでにスタッフも警備員もいない。
そしてまた、高峰は一方的に言った。
「ドッキリのネタ晴らしだ」
アベンジスのユニフォームの上にブルゾンを纏った高峰修その人が立っている。
「うまく体を使いこなせているようだな」
服巻武はそう言って、自分自身の鏡に相対した。
「服巻武」
「いや、俺は高峰修だ。そしてお前が服巻武」
その言い方は、今までこの男の暮らしに付き合ってきて、イメージしてきた服巻武の姿、そのものだ。
「俺の身体を返せ」
高峰修は週刊誌でもたたえられるその爽やかな顔のまま、ほんの少しほおを緩ませた。
「何の話かな?」
思わず襲い掛かり、胸ぐらを掴みたかった。
だが、警備員が退いても、監視カメラはある。かなうはずもない。
「何でこんな大仕掛けを?」
「そうだな、この身体になって半年近くだし、前のボロ物件を見てやるのも悪くないと思ったのさ。まさかもう閲覧不可になった掲示板に、何気なく書かれてたオカルトの書き込みを、素直にやっただけでこんな理想の人生が送れるなんて誰も思わないだろうしな」
「じゃあ俺は偶然お前に選ばれたというのか?」
「まあな。とはいえ誰でもよかった。政治家でも芸能人でも。ただその日の夜にテレビを適当に見てたら、ニュースにお前がいた。まあ、アベンジスは追いかけて見てたからな。顔なじみさ」
服巻は高峰に詰め寄って睨みつける。
「澪に触ったのか?」
高峰は、満足げに口の端を曲げて目線を外した。
服巻の皮を被った高峰を激昂させるに十分だった。
「いいよな。あいつさ、画面で見てるよりもずっと甘えてきやがる」
服巻は拳を出そうとして再び無様に転がされた。
「今のは見なかったことにしておいてやる」
背中を打ってむせる服巻のポケットから冷たくコーヒーの缶が転がる、その様を見て高峰は言った。
「最高の夜だった。二人で分かち合った」
二つの足で立つ高峰は、巨大に見えた。
「澪はそんな馬鹿じゃない」
「女が皆どうしようもないのは、最初に殴れば従順になり、聞き分けが良くなるところだ。だが澪はその必要もない」
「離婚して逃げられたのはどこのどいつだ」
肩口を蹴られて更に転がる服巻につばをかけて、高峰は言った。
「いい気分だ。若い時が蘇ったかのように動く。ボールを投げる時、走る時、バットを振り回すとき、ティガーを乗り回すとき、最高の気分になる。もう俺を見下す人間は誰もいないし、金も尽きる心配はない」
「お前に、澪のことが分かる訳がない」
「あんな女俺がどうしようと勝手だろ。やる事やって捨てたところでまたいい女はどこにでもいる。女は金と顔にしか興味がない。嘘だと思うか?あの資産価値は捨てがたいが」
高峰は落ちかかる日を背中に浴びたまま、服巻に視線を落とした。
「いい気なもんだな」
服巻は言った。
「そうやって自分から他人を見下して、家庭も破壊して、職場にも迷惑をかけて、身体も壊して、三流以下の人生を送ってきたんだ」
「自己紹介ありがとう。人生に悲劇はつきものだ。理不尽な現実も受け止めて先に行くしかない。人は恨めない。そういうルールだ」
「ふざけるな!取り返してやる」
「諦めろ、お前が気付かないうちに金に任せてその芽は徹底的に消した」
「それでも、それでもお前が俺になれるわけがない」
「そうか?」
服巻は起き上がって、肉体的にも精神的にも吐きそうになるのをこらえて言う。
服巻は、いや服巻の体をまとった高峰は、鏡合わせの自分の、その眼だけが全く異なるその男に向かって反駁した。
「親からもらった身体だぞ。これはお前の人生なんだぞ」
「何度言わせるんだ?もう違う」
「珠莉にどう言い訳する?」
高峰の表情が変わったのはその時だった。
「お前の脳みその映像を見た。お前は珠莉を愛していた。彼女にどう申し開きをするんだ」
ああ、まあそうだよな。知るか。と言って間を開け、言い捨てた。
「お前が育てろ。服巻武。俺はもう何の関係もない」
堪忍袋の緒が切れ散らかして、血を吐くように叫んだ。
「ああ、そうかい。今わかったが、俺はお前になれないよ、それは俺にとっては、幸運だ。お前みたいなやつになるなんて御免だ。お前の家も、経歴も、人を傷つけて平然としてるのも、全部クソだ。俺が人生で忌み嫌ってきた事の全てだ!」
そこで感づいたように、ん、と気づき、高峰は無表情で聞いた。
「やっぱりお前、もしかして『先天性』だな?そりゃあキツイね」
「先天性?」
息も絶え絶えの服巻に、高峰はコーヒー缶を蹴飛ばして睨みつけた。
「こう言う場合。例えば悪役が悪事を働いた全てを満足げに白状したことがきっかけで阻止されることもない」
高峰修の皮を被った服巻は『そうだよこれを話したくてここに来た』と言いながら、無表情で語りだした。
「俺は今まで、高峰修としての人生を高峰修としてそのまま送っていた。体が入れ替わったことはわかってなかった。で、都合があって埼玉に行った時、何かがフラッシュバックしたんだ。そして俺は、気が向く方向に車を走らせ、気づけばヤリミズディーラーズのあの店の前に着いた、そこで理解した。俺はここで働いていたような気がする。脳にその記憶はないが、吐き気のするような人生の気分に苛まれたよ。そんで『思い返した』。
ああ、そう言えばクソな人生だった。日本有数の私大捷米の経済を出て日本最高の車会社に就職したのに、高卒でもできるような現場に立たされた。だがどんなに数字を上げても上からお呼びがかからない。中途半端なお山の大将のまま、あれ以上の昇進も望めずずっと前線で、馬鹿な連中に気を遣われながら働かされ続けるだけだとな」
呆れてものも言えないまま、皮肉に笑えてくる感情を止められなかった。
「それがお前の運命だ」
「最高の人生をくれてありがとう」
高峰は頭を掻いて、爽やかに笑った。
「勝者と敗者、貧者と富者、努力と怠惰、だが幸せにはなりたい。俺は後天的にお前になったから、お前のことは真似しやすい。もういいか?麻元さんに呼ばれてるんで」
だったら殺してやる、死んでやる。そう思った。
だがそれすらも、高峰は打ち砕くように笑った。
「しょうもないメタボのおっさんを警察にぶち込み、不可解な証言をさせる事なんざ、赤子の手をひねるより簡単だと気づかないのか?」
メデューサの眼差しというものを聞いたことがある。
今の服巻そのものだ。楽しみながら、高峰は笑った。
「顔は傷つけないようにしてやる。営業だし。ま、理想の人生は、俺が代わりに満喫してやるから安心して余生を過ごせ。ティガーは最高だな。やっぱり高いだけ、ヤリミズの車と違ってエンジンが繊細だ。アクセルが心地いい自由を俺にもたらす」
去っていこうとする高峰を止めることもできず、服巻はただ立ったまま高峰の姿を見ていた。気づくと後ろには、以前より屈強な警備員が立っていた。
おそらく騒ぎを聞きつけたのだろう。全部高峰の手の内だ。
「ああ、すいません。この方がちょっとユニークで、技をかけてくれということだったので、何でもお答えしました」
高峰はそう言って警備員に笑うと、屈強な男にほとんどガードされながら、服巻は退室させられようとする。
「広背筋に気をつけろ」
「あ?」
「広背筋に気をつけろ。爆発すれば選手生命はもたない。お前は終わりだ」
高峰はそれ以上は何も聞いていない様子だった。
その発言でますます警備員を刺激し、警察呼ぶぞ!と言われてドアを蹴破られて外に出た。すると、そこに一人だけ野球のユニフォームをまとった男が来るのが見える。
それは高峰の見知った人間だった。
「麻元さん!」
麻元が目を見開いたままこちらを向いて、たじろいだまま動かなかった。
「麻元さん!あいつは偽物だ。よく見ればわかる。僕が高峰です!注意をそらさないでください。澪のことを……お願いします!」
そもそも麻元とそんなことまで言える関係を作ったわけでもないことを知りながら、それでもなお必死でそう言わざるを得なかった。
とっさのことに、麻元は何も言わず、警備員に遮られてそれも終わった。
そのあとにはへこんで転がったまま手つかずのコーヒーと、怒りがオーバーロードして満身創痍となった身体しか残されていなかった。
そのまま、打ちのめされたように座り込んで、時だけが経っていくのを止めることはできない。これもまた、あえて高峰が被害的な申告をしなかったことから、『ただ無茶な客』として処理されて終わった。
夕焼けとなり、日が落ちていく様子がベンチの上に開いた窓から網膜に届くのをうつろに眺めていた。
スマホが、ずっと鳴っていたことにも気付かなかった。
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