身体の操縦者

 高峰さん!高峰!修さーん!修!とファンたちが声援を送っている。


 服巻は無意識に立ち上がりながら、スムーズな動きを見せる高峰のアップに視線を奪われていた。服巻の皮を被った高峰にとっては、自分自身の姿を客観的に見るという、かつてない経験だった。


 やがて高峰は投球練習を行った。

 高峰は寸分たがわぬ高峰であり、いやむしろストイックすぎず、笑顔で周りともよくコミュニケーションを取っているようにも見えた。驚いた。


 練習の間ずっと高峰を見ていた。そして高峰はコーチに指示され、分かったように頷くと、わざわざファンにその姿をさらすようにフェンスの近くでピッチングを始めた。

「なんかさあ、高峰ってもっとシャイじゃなかったっけ?」

「マジ?」

 そんなカップルの声が聞こえてくる。服巻は忸怩たる思いで見守っていたが

「最近TICTACでもふざけてたし、そんなことないよ」

 という声が耳に入って、思わず叫んだ。

「おーい!服巻!」

 高峰が物凄い勢いで振り向いた。

 そのとき、時が止まった。

「こっち向いたぞ!」

 戸惑いながらもファンが『高峰』と名前を呼び、スマホのカメラが時を切り取る。

 服巻には痺れるような感覚があった。サングラスに隠れていたが、確実に目が合った。

「フクマキって誰?」

「今なんて言った?」


 その顔は驚いていて、目を合わせたまま数秒お互いに突っ立ったまま、凍ったようになっていた。

「高峰!こっちこい」

 麻元の声が聞こえると、我に返った高峰は麻元を向き、何食わぬ顔で練習を始める。

 これでは接点を持てない。こんな出会い方では難しいと判断した。ふと隣を見ると、先ほど高峰は来ないと言っていた男がずっとこちらを怪訝な顔で見ていた。


「あ、緊張して自分の名前を言ってしまいました」

「ハハ、そうですか。サインが欲しいなら、高峰の練習が終わって、別の建物に移動するのを待てばいいですよ」

 そう言う男に従い、とりあえず席に座った。

 相変わらず高峰は高いパフォーマンスを発揮し、そのたびに観覧席を沸かせる。

 むざむざここで、他の人間と同じように過ごすのは我慢がならないが仕方がない。

「高峰移動するっぽいよ」

 そんな噂を聞いたのはそれから一時間ほどだった。他の選手の移動時間を考えれば一致する。妥当だ。すぐに立って出待ちを考えた。今の服巻は、異常な高峰ファンか何かに見えるだろうが、そんなことはどうでもいい。


 スタジアムの通路を抜けて、親子連れを通り過ぎ、エントランスを抜けて四角い屋内練習場に行く道に着いた。その頃にはたくさんの出待ちで身動きが取れないほどだった。狙いは自分と同じ、スタジアム練習を終えた選手を迎えるためだ。 

 なんとなく輪の中に入り、何となく声をかけられやすい場所へと足を延ばしたが、アベンジスのキャップを被った目つきの鋭い男に無言で睨まれた。無意識に睨み返してボンとぶつかってしまうと、こちらの想定以上に服巻武の殺気が押したのか、男は退き、そして思い直した。また服巻の肉体に乗っ取られそうになった。だがこの際構うものか。

「高峰さーん」

 黄色い女性の声にこたえて立つ指の先を、群衆の向こうに認めた時、服巻はほとんど小走りでそこに向かう。引き返したことは功を奏したようだ。

「サインくださーい!」

「高峰おめでとう!」

「本物だ!近っ!」

「ヤバいヤバいヤバい」

 そんな声にまみれている間、ずっと高峰は笑顔を振りまく。子供にも目線を落として答えて、頭を撫でていた。突如ファンの前に姿を現し、サインを求めてくるファンに接する高峰に近づこうとする。その時、一瞬隙間が空いた。

「高峰!」

 と叫ぶ。高峰がこちらを向く。今度は本当に目が合った。

 とっさの反応だったのか、こちらを向かず、そのまま背を向けて歩いていく。

 納得がいかない。

「服巻!体を返せ!」

 ぞっとする女性ファン、首をかしげる男、周りなど殆ど関係なかった人の目をかき分けて高峰の肩に触ろうとし、そして警備員に肩を叩かれてそれは終わった。


 力なくベンチに座り、温かい缶コーヒーを手にぶら下げて、眼前を通り過ぎるアベンジスのユニフォームを着た子供や高峰の団扇を持った女性ファンをしり目に歩く。何とか正面から会って問いたださなければならない。

 しかしどうすればいい?無性に不安に駆られてスマホを手に取り、

『目が合ったが無視された』

 と文字を書いてPINEを折田に送ると、スマホの画面を消してポケットに入れた。

 俺は高峰修、俺は高峰修。そう呟いて立ち上がると、自販機の周辺にいた人間達を多少怯えさせたことを知って、足早に立ち去った。

 この俺が、俺以外にあの身体を乗りこなせるはずがない。歩いていると、目につく人間達のまとった服や触れている話題が嫌になってきた。

 奴の『練習』が終わるまでにはまだ時間がある。ただ座っているより、歩き回ろうとした。そうでなければこの歯がゆい気持ちが収まらない。

 そこで、会場中に人を探す声が聞こえたのはその時だった。


「イベントのお知らせです。アベンジスファンクラブ限定、バックネット裏特別チケットをお持ちの方の中から抽選で三組の方に、選手と十分間の対面ミーティングをご用意しております。今から申し上げます座席番号の方は最寄りのスタッフにお声かけください」

 すぐに立ち上がった。

 Cの49。Cの49。何度も確認した。名前を呼ばれたことを理解する。  

 陽は明るいが、落ちる方向に傾きつつある窓から日差しをそのままに、ほとんど変質的にも見えるような声のかけ方で、アベンジスのユニフォームデザインの法被を着た女性にチケットを見せた。


「お、おめでとうございます……」

「会えるのは高峰修か?」

「高峰選手も選択肢ですが……」

「だったら頼む。すぐに会いたい」


 と言って彼女はトランシーバーで取り次いだ。

 興奮していた。半年の努力が、どんな形であれ前へ進む。そう思うと居ても立っても居られない。女性は服巻から逃げるように素早く、通路へと案内してくれた。

 やや時間がたち、殆ど会議室のような即席の部屋の前に立った。

 向かいにはおそらく、部屋の中にいるファンの連れと思しき女性が立っている。

 やはり一人しか入れないようだ。

 ドアの向こうには確かに高峰のやや低い声が聞こえ、そして女性たちの黄色い声がそれを上回ってさえずっていた。

 ドアが開き、アベンジスのユニフォーム姿に高峰の応援バットをバッグに差した女性が出てきた。目がとろけていた。

 それを見て、高峰修の影響力を今更ながら再びかみしめさせられる。

「ではどうぞ」

 そこには男性の警備員とスタッフが立っていた。

「Kの78の方」

 後ろに立っていた親子連れのうち、父親が息子にチケットを譲って、その子が興奮して足元を駆けていった。

「Cの49の方ですね?申し訳ありません。整理の事情により一番最後にお声かけをさせて頂いてます」

 服巻は立ち止まり、子供に順番を譲った。

 スタッフは子供に、禁足事項を二、三説明していた。ボディタッチは禁止、サインはOK、スタッフは同席とのこと。

 そして、また十分耐え忍ばされた。

 ドアが再び開いたとき、子供の瞳はずいぶん輝いて、そのまま勢いよく両親の懐に飛び込んでいた。

「それではCの49の方、こちらへどうぞ」

 と言われた。

 禁則事項を説明される間ずっと足がそわそわして、足踏みが止まないから目を閉じていた。


 ドアが開くとまっすぐに入った。

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