Ⅴ アルコール度数:十五度
おれと阿部礼司くんの中身
人、人、人、人。ごった返す宮崎の地方スタジアムには、行きの飛行機に乗っていたファンも混ざって消えるくらいの人に溢れている。
「まるでお祭りですね」
「年に一度だからな。ここに集まってるのは筋金入りだ」
果てもないのどかな田んぼに、突如出現したかのように立つ運動公園とスポーツ施設はここに来た者の視線を奪う。
こここそが、日本シリーズを勝ち抜いた選手達のリフレッシュと来季へ向けての鍛錬にうってつけの一等地だ。普段人もまばらな運動公園も、地域を興したい自治体や商店街が売り出す地域の食べ物や郷土品の即売会場、または球団のグッズ販売会場になっている。
アベンジスのマスコット、阿部礼司くんも出店の屋根を作る簡易テントの前でパフォーマンスを披露し、スマホのカメラ達が彼の怒りパフォーマンスの場面を切り取ってSNSへ流していく。
「やっぱり好きですね」
「何が?」
「こういうイベントは、参加してナンボですから。あっ、阿部礼司君がバク転しましたよ!すごい」
「記憶はないけど、今日は中身が違う気がする」
「あ、側転失敗した。地面でふて寝しますよ」
「あれはガチの失敗だ。誰にも分かる」
「そんなこともあるんですねえ」
二人はゲラゲラと笑うギャラリーを横切り、高峰修の写真がプリントされたのぼりを通過した。ふと、高峰は青く抜けた空を見て、この身体を戻せた時のことを考えた。
「……思えばお前にも世話になったな」
「いえいえ。楽しかったです。あっ今度は側転した」
「もういいよ。ま、元の体に戻ったら、お前にあいさつしに行くから」
その瞬間、折田は阿部礼司を忘れてこちらに見入った。
「……澪さんと来てくれますか?」
「え?ああ、多分な」
「ほんとですか?絶対に約束ですよ?魂の約束ですよ?」
「魂の約束ってなんだ」
「絶対に破ってはいけない誓いです」
「はあ」
「アニメでやってました。勇者エクスカ……」
「もういいわかったその話は。約束なんてできないだろ」
「何でです?」
折田が足を止めるのを見て、服巻も折田に向き合う。
「俺が良くても、向こうがダメならダメだ」
「そんな、それは修さんの言い方次第ですから、修さんの責任です」
ファンは多かれ少なかれ本人を傷つける。そんな信念が柱のように心に立って、無意識に睨んでしまった。それを服巻が理解すると、自分が穏やかな目になったのを見たのか、折田は本音を吐いた。
「……お互い営業職ならそう言ってもいいかと」
そういう間柄になったことも解った。
「わかったわかったベストは尽くすよ。期待しないで待っててくれ」
「いつまでも待ちます!」
「お前、広橋のためなら上司とも旅行に行けるって思ってるんだろう」
「はい」
そうして折田は屈託なく笑う。
「……まあしょうがない。まあないだろうが、もしうまくいったら服巻には俺から説明しておく。そのためにバラバラな飛行機にしたんだしな」
「ありがとうございます」
客と車の契約を結んだあとの顔で、折田は頭を下げる。
「じゃあ、またな」
「あの、もし」
身体の向きを変えてスタジアムの入り口に進もうとする服巻を、折田の声が止めたのはその時だった。
「手掛かりが一つもなかったらどうします?」
服巻は少し間をあけて言う。
「お前に連絡するよ」
「僕から連絡する勇気はないですから、絶対くださいね」
「何事も勇気出せ。わかったよ。まあ、そんなこともないだろうけどな」
その声を聴いた折田の顔は、友人のように心配した表情になっていた。
「必ずですよ」
服巻は軽く腕を振った。
そうして別れて、そのまま歩いた。
中に入り、案内に従ってバックネット裏のチケットを手に入れたほかの客の列に混ざった。移動すると、何の飾りもない通用口に続く廊下のような場所があった。
まるで貨物列車がトンネルの中に入るかのように暗いその通路を抜けると、スタジアムの上にはるか抜ける晴天が見えた。会場外よりも、不思議と大きく見えるその懐かしい感覚に従ってその下を見ると、広いダイアモンドのラインが引かれ、いよいよ選手たちが運動する姿が見えて、何とも言えぬ懐かしさに包まれる感覚を覚えた。
服巻は、最前列の座席、C-49に腰を落とし、眼前に広がる光景を、観客の誰とも違う高揚感を味わいながら見る。ここから見えるあれもこれもが、かつて経験した感触をもって目に飛び込んできた。そして服巻は、目的の人物が現れるのを待つ。
「お一人ですか?」
退屈した様子であくびをする、年の近い男がこちらに尋ねた。
「ええ」
「もしかして、目当ては高峰修?」
「そんなところです」
「ああ、それは残念ですね。なんだか朝のうちは現地入りもしていないようなんですよ。選手の名前まではスケジュールにも載ってないらしく」
「いや、今回の合同練習は必ず全員が参加するはずですよ」
「どこの情報ですか?」
「それは……」
何だかそんな気分がするから、と言おうとしたがやめた。折田以外には不思議がられるだけだ。他には高峰修の判断だからというほかない。これも答えとしては変だ。先ほどの安部礼司の中身についても、何だかそんな気分がするからとしか言いようがない。服巻の脳みそに情報がないから『何だかそんな気分がする』という重力に従って動いているこの、気分というものだけがゆるぎなくあって、それが高峰修の証拠としか言えない。
しかし、答える必要はもはやなかった。
何の前触れもなかった座席の一部が、発破するように歓声を上げて興奮したファンの何人かが立ち上がってプラスチックのメガホンを振る。
そこには大柄でありながらスマートなプロポーションをもった野球選手がサングラスをかけた姿で歩いてきていた。隣にいる恰幅の良い男は、キャッチャーの麻元だ。
談笑してキャッチャーの男と別れた背番号十八は、軽く手を挙げると会場を沸かせて小走りで持ち場についた。
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