頭と心は違うことを考える
『修さん。ファンクラブ特別席、バックネット裏、抽選落ちました。申し訳ございません』
ため息をつき、瞳を閉じる。
頭の芯から怒りがサージしてくる。
これは高峰の怒りだ。鎮静させることは簡単だ。
折田は頑張ってくれた。責められない。
「ちょっと待ってくれ」
ここにいない折田にも、木ノ内にもそう言いつつスマホを掴み、我ながら恐ろしい速さで動く指を使って返事する。
『問題ないさ。観覧席なんてそもそも誰でも入れる』
『高峰選手に会うとなれば話は別ですよ』
『待ち伏せとか、ほかにも方法はあるし』
『できません』
『何で?』
『あなたがスーパースターだから、絶対に沢山人が来ます。確実な手を打つべきです』
『この立場にならなきゃわからなかった』
『無理もないですよ』
『ぶっつけ本番ってことか』
『すみません。野球興味ないからどう準備すればいいかわからなくて』
と打って手を止め、文章を消した。激情にかられると服巻に乗っ取られる。
だが、まったく大丈夫なのか?尽きない不安が、今度は胸付近からあふれてくる。
『とはいえ俺も見る側になったことはないしな。貧乏でキャンプなんて行けなかったし』
と打った後
『自分のプレーに躍起だったから俺も言ったことなくてさ』
と訂正し送信した。
すると『落ち着いて行けよ!』という誰かの声が耳に入って我に返る。
清宮を含んだ、センターポジションの三人が落ち着かずにヤジを飛ばしていた。
『とにかく諦めないでやってみます。まだチャンスがありそうなので』
『頼む』
ふと顔を上げると木ノ内のいぶかしがる顔が見えた。
「どうした?」
正気に戻る。
「あー、さっきの話、どこから話してたっけ?」
「清宮は本社に呼ばれるだろうなってところだ」
「え?すまん、説明してもらえると」
「どこから?」
聞き返される。
「清宮はどこに行くんだっけ」
「本社の野球部に行くかもしれんってことを言った」
「なんで?仕組みがあるんだっけ?いや、お前と同じで最近記憶がとびとびでな。こないだのクレームの内容もよくわからんし」
「好き勝手にやりすぎてついに意識も失ったのか?」
「そんなところだ」
それはあながち間違いではない。
「ここは同好会のスポーツクラブ扱いだが、あそこはセミプロだ。成績がいいと、ヤリミズ系列の会社の野球部同士で対抗試合をするときに注目される。それで営業成績もよければこういう地方の子会社の店舗から引き抜かれる奴もいる。そういうシステムだ」
「ああ、そうだったな」
「まあ、確かにこういう話もたまにしないと目的がないからな。最近は会社の都合とお前のストレス発散のための場でしかない。ああ、清宮君はこの仕事に向いてるよ。野球でもわかる。業績もあるし」
服巻はそこで胸落ちした。そういえば、ヤリミズ自動車の野球部は都市対抗野球リーグでも毎年強豪とされるチームだったはず。捷米大学に所属していたとき、卒業後ヤリミズに就職した者が多くいたことを知っている。
「確かに清宮は一、二番バッタータイプで器用だ。昔バスケもうまかったみたいなことを聞いたし、別競技でもそつなくやれるタイプなんだろう。だが、その分神経質で怒りやすいメンタルがよくない。練習を見る限り奴のほかのセンター三人とも不満をためやすく見える、あのポジションがそれだと、チームワークが乱れがちになる。マウンドの真ん中で吠えてるからな。そんなことはないか?」
「あ、ああ。そうだけど?」
といったところで正気に戻って木ノ内を見ると、彼はその一切忖度のない分析に苦虫を噛み潰したように唾を吐いた。
この野郎。グラウンドになんてことを。それは高峰にとっては許せない行為だ。
「お前はどうなんだ?」
その声には、いつもは触れない怒りがにじんでいた。
「俺はこの通りだ」
と言って見せると、木ノ内は口をもごもごと動かして鼻にしわを集めた。
「だらしねえ」
「あァ?」
「は?」
と飛び出た言葉に焦って、とりあえず服巻は笑って見せた。
冗談だと。すると木ノ内も機嫌を戻そうとする。
「ま、お前、最近急に変になることが多いぞ」
少し不満げに、いや、内心では非常に怒っているが平静を装っている木ノ内を見て、服巻は唾をのんだ。
ここで高峰の感情が急に飛び出したことに、服巻自身が一番驚いていた。
「名倉ァ!何エラーしてんだ馬鹿が!」
その怒声を聞いて顔を上げると、また名倉がミットからボールをこぼし、前にかがんでボールを拾い、やっと投げた。他三人は腕を振ったり舌打ちしたりして、明らかに空気が悪い。このチーム全体を覆う雰囲気だけで、敗北を悟った。
「あいつにとっちゃ、休日出勤も同じだな。ずっと怒られ続けて、だがへたばらん。それがうっとおしい」
木ノ内が小ばかにするように笑った。
「困ったやつだな」
服巻が言うと、求めていたはけ口を見つけたかのように木ノ内が言った。
「若いのに可愛げもないし馬鹿だし、ミスしまくるしベンチにも座れないときた。存在意義がない」
「でも辞表を出したこともないんだろう」
「ああ。だから皆ムカついてる。ほとんど辞めさせたいと思ってる」
「声が大きい。聞こえるぞ」
「聞こえねえよ。馬鹿だし。聞こえてたってどうってことねえよ」
「会社の決まりで絶対に所属しなきゃいけないってことじゃないんだろ?」
「ああ。だがあいつは野球をやめようとはしないんだ。多分お前にこれ以上悪く思われたくないからここに入ってるんだろ。今仕事辞めて履歴書になんて書くんだって感じだしな」
木ノ内だけではない。他のメンバーも名倉のいないところで彼の愚痴を言いまくっていることくらいわかる。
服巻はため息をついた。名倉はベンチから怒声を浴びせられながら引っ込んだ。
確かに、投げ方は振りも動きも大きすぎる下手なサイドスロー気味のスリークォーター。木ノ内が相手にしていないのもわかる。
振りは思い切りがよく、脇は締めようと意識しているのもわかる。しかし肩に力が入りすぎて自分の力をコントロールできていない。
気持ちが先手を打てていないから置くべき重心がぶれ、回転力の落ちたベーゴマのように体幹が斜めになることで、上腕が緩んだ輪ゴムのようなしなり方をするのが問題だ……。
この場合直すべきことは一つだが、いい指導者に巡り合えなかったんだろう。などと考えていたが、それを試合中に吹き込んでも今、彼の理解は困難だとも分かっていた。
何となく。全て何となくそう思う。
その後も続く、口あんぐりな苦し紛れの防戦の結果、川口店は4点の大差をつけられてコールドで敗北した。プレーが駄目だったというわけではない。
初めから態度で、メンタリティで負けている。
だから試合は昼になると早々に終わり、木ノ内を中心に輪になって今日の総評を終える。木ノ内の言葉は少ない。
いかにもアマチュアな、全てをやる気のせいにするダメな分析だった。コーチからは何もいう事はないと辞退した。それだけでも数人のメンバーからは驚かれたが、もう気にはしない。
その後、荷物置き場に戻った選手たちが帰り支度を始めていた。
木ノ内は小声でおつかれ、おつかれ、と声をかけていく。
服巻は一つ気になって、練習後のだれ一人いないと思っていた球場を見渡した。そこには一人でトンボを引いている名倉がいた。
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