権威主義的職場
いよいよ一人で店舗にいなければならなくなった。これから退勤までおよそ十時間、先が思いやられるたび、両腕を曲げて腰に付けたままだった。
自分の権限で折田に、店舗から出ないよう命令することはできないかと彼に聞いたが、外回りでスケジュールを立てているために無理だと断られてしまっていた。
デスクに展開している社用の端末には、独自のアプリが幾つも開いていた。それぞれにパスワードが必要であり、今の服巻に分かるかは未知数だ。
くれぐれもPCの電源を落とさない事だ。
肝心の電源の切り方はおぼろげにしか知らないのだから。
しかしそうやっているうち、自分のデスクの前に立っていればそれだけで銅像のように思われるために、ひとまずトイレに行こうと思い立って、長方形の部屋の中央よりに鎮座する偉そうなデスクから廊下に出る。
すると折田からPINEが届いていた。
『なんであんなこと言ったんですか??』
『実力が上の人間のプレーを見て学ぶ事もあるだろうと思ったんだ』
『僕、聞いてませんよ。困ります』
『すまん。何故か分からないが、そう言いたくて、そうしてしまったんだ』
『名倉君に普通に接するだけでも、皆が違和感を持ちます』
『分かった。気を付ける』
と、そこにはほとんど出合い頭のような格好で、清宮が立っていた。
「折田とメールっすか?」
それが普通なのかは分からないが、清宮は強い語気を持ったまま笑っている。
おそらく驚いてばかりの自分に違和感を持ったのだろうことはわかった。
「ああ、名倉を教育するようにちょっとシメたところだ」
「あいつら二人そろって気が抜けてるんですから、しばいといてくださいよ」
いじわるな顔で清宮が笑う。
「ああ、そうするよ。頭が痛くてかなわん」
「ハハ、飲みすぎですよ」
「この身体に酔ってるんだ」
「それどーゆー意味っすか」
清宮が大げさに頭を振って笑った時、その眼を見た。この男は本心を隠しているタイプだと理解するまでに一秒とかからない。目が笑っていないのだ。とにかく服巻に話を合わせて、周辺に陣取る事で生き延びてきたのかもしれない。
「ちょっとした風邪だ、風邪」
と答えると、清宮は笑い声のまま、トーンを少し落とした。
「またまた、ガールズバーにでもたむろってたんじゃないすか?」
えらく失礼に出てくる男だ。後でぶん殴ってやる。だが、こいつは服巻とそんな話をしても問題ないほどの仲なんだろう。会ったこともない他人のことなのに、自分のことのように腹立たしくもなるが、この男を喋らせて、色々と情報を聞きたいと思った。
自分をコントロールしなければならない。このまま服巻と清宮は雑談をしつつ、二階のオフィスからオープン直前の一階フロアに向かって歩き、そこで他の社員連中のことを色々と言いながら持ち場に就く。これがルーティンだ。
だから会話をつづる必要があった。服巻は思わせぶりにニヤついて見せる。
「大きな声で言うんじゃない」
すると清宮は意地悪に返答する。
「もー、奥さんも子供さんも泣きますよ?」
「あ?」
両手をポケットに入れたまま足を止めて、口をぽかんと開けた。ぶん殴ってやる、そんな言葉が反射的に口から出ようとする。清宮もすぐにピタリと足を止めて表情は一変し、朝一番の明かりがついていない廊下は清宮にとって、魔の洞窟となったことを悟った。
多分、服巻としては付き合い上強がってアリにしていたが、実ははらわた煮えくり返っていた事案なんだろう
「……冗談だよ。朝は笑顔がないとなあ」
自分をコントロールしろ。これは服巻の感情だ。
俺のじゃない。
「ああ、こないだタバコ吸ってた時にこの感じでいいってことだったので、つい」
「俺の姿を見て学ぶことだ」
「勉強になります」
「いつ別れたとか、話したっけか?」
「ああ、つい三年前だとかは聞きましたけど。それだけです」
こんな部下に自分の人生の話をするはずもないか、そう思った服巻はそこで話を切り上げることにした。服巻が言うならこんなセリフか?そう思い言葉を選ぶ。
「今日は五件以上成約して来いよ」
「ハハ。服巻さん鬼っすねエ。名倉を外に追い出して、午前何もすることないじゃないですか」
「え?まあそうだな。俺も自分の仕事に集中したいんだよ」
「まあ店長とバチバチなのはスカッとしますよ、あいつ真面目過ぎて俺の仕事の邪魔ばっかりして、半端じゃないっすからね。いっつも、マジ死ねっていうか」
「ああ、そうか、そうか」
「……マジで大丈夫っすか?服巻さん」
「気にするな。今日一日こんな感じだから。面倒なことを起こさないでくれよ」
「はあ。うっす」
等と言いながら清宮は壁じゅう透明のガラスに覆われたフロアのブラインドを上げて開店準備を始めた。高く昇る朝日が大広間に置かれた幾つもの新車を輝かせている。
現在朝九時四十五分。
店舗自体は十時にオープンして、車の点検を予約した客や商談に応じる。とは言え今日は平日の火曜日、そこまで多くのお客が来るわけではないし、お客と密に関わるのは清宮やほかの営業マンであって、部下のフォローを担う服巻は、幸いながら必要な時に入り、『厄介ごと』を片付けるポジションだ。
だから……その厄介ごとが起きないことを祈りながら、フロアにあるPCデスクに座っていた。それが起きない限りは、仕事をしているふりをするだけでいいらしい。
服巻は『仕事をしない上司』の典型というわけだ。
そして服巻は、予約客をもてなす清宮を見ていた。先ほどとはまるで違う腰の低さ、丁寧な言葉遣い、何でも聞いてくださいと言わんばかりのエネルギッシュさがあった。
清宮という男が仕事をどのように考えているかが分かる。優秀な成績を収めることは、自分の身を守り、自分自身にアドバンテージを与える自信になることを知っているのだろう。
服巻は――――いや今は服巻に擬態した高峰には、清宮が自分の見てきた選手たちと重なって見えて、その景色は存外悪くない。そこで思い出したように理解できた。
名倉を見た時のことだ。弱い奴を責めても仕方がないと思った、その強烈な感情が、あのような言動を呼び込んだのだ。教える者が悪ければ、教えられる者もダメになってしまう、なぜそう思ったのかは思い出せない。しかし、その自分から見れば、名倉は服巻に潰されているも同然であるという事を、野球選手としての自分はわかっていたのだろうか。
と、腕を組みながらとりとめもなく考えていた。
具体的な日時の記憶はない。
だがその時の気分は分かる。つまり頭の記憶はないが、心の記憶はまだうっすらとある。そんなような感じだ。
それにしても……。ただPCの前に座っているだけで時間だけが過ぎていく。
苦痛だ。素振りや走り込みで時間を昇華してきた自分には。
やる事とすれば、たまに目が合ったお客に、CMで見せたような笑顔でお辞儀しいらっしゃいませと話すくらいだ。
服巻のスマホに入ったゲームが、やけにレベルの高いアカウントだった事を思い出す。
『実況!ダイナミッククライマックスベースボール!』
突如叫びだしたスマホの音量を慌てて低くする。たじろぐ周囲をにらんでことを収集する。タイトル画面に最も能力値の高い選手が大写しになっていた。
高峰修:SSR選手。能力値オールS。
俺の顔、似てるな。
画面のホームページに映る高峰修の顔と、ゲームのモデリングの顔を比べていた。
服巻の行為としては、奇っ怪としかいいようがない。
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