最低のアウェー試合

 折田に連れられ、建物の外に出てから四角い建築物をぐるりと回っていく。


「朝礼の前の時間は掃除です。成績や部署は関係なく全員でやってます。いつも服巻さんが見回りして、出来ていないところはツッコまれます。できるだけくまなく見てください」


 服巻はたどたどしく歩きながらできるだけ道に目を凝らして歩く。

 ここからしばらく歩く先に箒を掃く男性の社員が見えた。

「おはよう」

「おはようございます、名倉君」


 思わず声が出てしまうと、折田が重ねて彼の名前を呼んだ。名倉は顔を上げ、自分と目を合わせるなり引いてしまい、足元にあった塵取りが倒れた。


「お、おはようございます」

 服巻はとっさのことに何も言えず、通り過ぎ、離れたところで折田は言った。

「入社三年ですが、彼はあまり業績が良くない子です。下半期に入ってノルマが一つも達成できていません」

 スケジュール帳に何か書いていないかを探すと出てきた。『名倉……ポンコツ。左遷対象。野球でも使えない』

 野球?

 気になるが、今の動作を覚えることが先だ。その言葉はいったんスルーして、折田に言った。


「とんでもなく怯えているな」

「しょうがないです。ひどい言葉で怒鳴られてましたからね。数字がないと」

「ひどい言葉?」

「殴られるから名倉だ。とか、利益あげなきゃ生きてたってしょうがないとか、この店のがん細胞とか、お前なんか何の価値もないとか」

「どこも変わらんもんだな」

「野球業界もですか?」


 服巻は思わずため息をついた。

「ああ。勿論だ。最悪の……」

「最悪の、なんですか」

「いや」


 そして、はたとそのセリフを発した自分を不思議に思う。何となくそんな気がしたからそう言っただけなのに、確信をもってなぜそれが言える?さっきの車の時は、頭から記憶を引っ張り出そうとして、出来なかったのに。

そして口にした瞬間、その確信と記憶のディティールは泡のように消えた。

 そんな自らに驚きながら、透き通ったガラス張りの店舗を眺めて考えていた。


「服巻さん?」

「あれ?なんて言おうとしたのか……」

 

 と口にして、曇り一つない鏡に服巻の怒りを募らせたような睨み顔が映る。

 それは部下にとっては、窓掃除のあら捜しをしているように見える。

服巻としては百点だ。


 二人は自動ドアをぬけると、『車検はヤリミズ!価値あるスタッフに確かなアドバイスを!』と書いてあるポップを通り過ぎる。


 フロアの一番目立つ広い場所に人がいた。今度は得意げにピカピカのSUVを拭いて回る背の高い男だ。

「おはようございます服巻さん!」

「おお。おはよう」

 とりあえずオウム返しをすると、男は折田を軽く睨みつけて服巻には笑顔を見せた。

「ダブルエムの社長さんの案件、このまま成約行けそうです。継続と新規で四台」

 一拍遅れて反応する。おそらくこれはいいニュースのはずだ。

「おお、すごいなあ」

「新しい会社の社長さんですのでこのままお話して新規の社用車導入まで一気に進めます」

「おお、頑張れよ」

 今、自分が思ったほどピンと来てない顔であることはわかっていた。その反応に、少々間が抜けたようになった男は「ええ」とだけ答えるとフロントガラスの下にあるワイパーを畳んだ。


「あいつは?」

「営業成績トップの清宮君です。現状服巻さんは彼を一軍、と言って可愛がっています。僕や名倉君とは真逆で、すごく仲がよさそうですね。よく喫煙所で他の人をけなして笑ってます」

「そっけない返しに見えたんなら確かにああもなるか。君が睨まれたのは成績が低いからか?」

「それもそうですが、ご機嫌を取ってるように思われたんじゃないですかね」

「なるほど。確かにそう見えなくもない」

 清宮に対するコメントはどこにもない。清宮、会食とか、取引先様ゴルフとか仕事に対するポジティブなメモには名前がある。

「実は、こうして一緒にいることはリスクです。何せ服巻さんは嫌われてますから……僕が何か取り入っておべっか使ってるような感じだと」

「居づらくなるな」

「お察しありがとうございます」


 この会話の中ではあまり気付かなかったが、新車や車検車を調整するであろう整備士たちがいるコーナーから、数人の男たちに凄まじい敵意を感じて、さすがに行くのははばかられた。自分たちは営業、彼らはその案件に沿って車を調整しお客に渡す。もしかして営業が無茶な要求をしていたりするかもしれない。そう考えると合点がいく。


「整備士には近づかないでください」

「なんでだ?」

「服巻さんは整備士の手塚さんと納期でもめて軽い暴力沙汰を起こしています。だからあの部署とは隔離されていています。服巻さんはこの店の営業への助言や手続きのチェック、相談役です。……相談したくないけど」

「何か一つでもいいことを見つけたいんだがな。無さそうだ」


 何かさっぱりとした気分で、それはいい事かもしれない

等と思いながら、服巻は客間となる空間を通り過ぎ、裏のオフィスへと向かう。

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